真岡 入雲

Open App


「えっ!嘘だろう⋯マジかぁ⋯」

会社からの連絡メールを確認中に、スマホの画面が突然真っ暗になった。
電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わず、再起動してみてもしばらく振動した後、ピクリとも動かない。
慌ててモバイルバッテリーを挿してみるが、効果は薄そうだ。
何せ、つい一時間前まではフル充電だったのだから。

見上げれば夏空。
濃い青色の空に、白い厚みのある雲が浮いている。
辺り1面の水の貼った田んぼには青々とした水稲が生え、時折吹く風にさわさわと音を鳴らして遊ばれている。
こめかみを伝って落ちてくる汗を手の甲で拭う。
まだ九時前だと言うのに、気温はぐんぐん上昇し陽射しは肌を刺すほどに強い。
おかしいな、ここは日本でも北の方、冬になれば雪が多く降り積る地域だ。
夏は、東京に比べれば涼しいはずではないのだろうか?
それにしても⋯⋯。

「はぁぁ、どうしよう」

見渡す限りの田んぼ。
所々に家もあるし、道路も通ってる。
事実バスを降りてから15分ほど、その道路を歩いて来たのだ。
問題なのはその間、たった一人の人間ともすれ違っていないということ。
まぁ、車とはすれ違ったが。
取り敢えず、約束の時間まで残り25分。
記憶にある地図を頼りに歩くしかない。
それにしても、色々と話には聞いていたけれど、田舎は本当に車がないと不便なんだと実感する。
本来であればタクシーを使う予定だったのだが、駅前にタクシーがおらず、駅員に確認したところ昨今の人手不足もあり、今タクシーは1台しか運行されておらず、ほぼ予約で埋まっているため対応は無理だろうとの事。
それでバスに乗ったのだが、そのバスも目的地までのルートはなく一番近いバス停で降りて、そこから徒歩30分ほど掛かるという不便さ。
これなら、年をとって反射神経が鈍って運転が危なくなっても免許返納に二の足を踏むその気持ちが痛いほどわかる。

「えーと、多分この辺り⋯⋯、あ、あった」

今まで歩いてきた道路から横に逸れるように接続している、車がすれ違うのがやっとと言うほどの幅の道。
その角の所に『鏡池神社』と書かれた石柱が建っていた。
石柱のところで立ち止まり写真を⋯と思いスマホを取り出しはたと気付く。

「あー、⋯そうだ、確かデジカメ持ってきたはず⋯」

背中に背負ったリュックから、だいぶ前に購入した私物のカメラを探す。
ついでにタオルと飲み物も引っ張り出す。
恐る恐るカメラの電源を入れると、待ってましたとばかりに、元気に起動した。
最近はスマホのカメラ性能が劇的に向上し、このカメラの出番もめっきりと無くなった。
入社して初めて貰ったボーナスでちょっとばかり奮発して購入した、コンパクトカメラ。
本当は一眼レフが欲しかったのだが、手が出せなかった。
それでも当時、吟味に吟味を重ねて買った大切なカメラだ。
個人旅行の時や、今回みたいな地方への出張などには大抵一緒に連れていく。
石柱のアップと引いて石柱を入れた構図で何枚か撮り、カメラを肩掛けのバックに入れる。
水分補給をして、タオルを首にかけリュックを背負い目的地に向かって歩き出す。
一歩一歩と進んでいくと、涼やかな風を感じるようになった。
道は一面田んぼだった世界から、集落を囲む山の一つへと続いている。
山に近づくにつれ気温が少しずつ下がり、山の麓に着く頃には吹く風がだいぶ涼しく感じられた。

「ははは⋯」

道は山の突き当りで、左に大きく曲がっている。
正面には石で作られた鳥居が間隔を置いて二つ設置されている。
一つは道が曲がる所に、もうひとつは山を少し入った所にありその間には砂利が敷き詰められている。
木々により日が遮られた薄暗い2つ目の鳥居の先、そこに長く続く階段を見つけ笑いが込み上げた。
神様はとことん、俺に試練を与えたいらしい。
お辞儀をして鳥居を潜り、一つ息を吐き出す。
気合を入れて顔を上げ、1段目の階段を上り始めた。


「ご連絡をいただければ、お迎えに参りましたのに」
「い、いえ。お手を煩わせるわけには⋯」
「てっきりお車で来られるのかと思っておりました。驚きましたでしょう?こんな辺鄙な所で」
「あ、いや、まぁ」

息を切らし、階段を上りきった俺を待っていたのは一人の女性だった。
ここの神社の神主さん奥様だというが、随分と若い気がする。
神主さんは60手前だと聞いていたのだけれど、どう見ても20代に見える。
下手をすれば10代でもいけるかもしれない。
いただいた冷たい麦茶を飲んで、俺は息を整える。
ここは山の中腹より少し下にある社殿。
隣には白壁に囲まれた純和風の屋敷が建っていて、お二人はそちらに暮らしているという。
神主さんは今急用で、街まで出ており俺は神主さんの戻り待ちだ。

「鏡池の事をお調べになられていると聞きましたが」
「あ、はい。今度神秘的な池の特集を組もうと思っていまして、その下調べになるのですが」
「左様でしたか。もうすぐ戻って来ると思いますが、そうですね。資料などお持ちしますので、少々お待ちください」

そう言うと奥さんは部屋の奥へと入っていった。
残された俺はと言うと、窓から見える景色に目を奪われていた。
田舎と言えど、駅がある付近はそこそこ栄えており、昨夜泊まったホテルもWiFi完備の近代的な造りだった。
客室数は少なく、宿泊者も多くはなかったようだが設備としては申し分なく、すぐ隣にはコンビニもあり、駅から徒歩1分で一泊素泊まり五千円を切るのだからリーズナブルだ。
また周辺に商店街やスーパー、それにオフィスビルっぽいものも見かけた。
ただ今いるこの辺りはその駅のある、いわゆる市街地から離れ山一つ隔てた場所にある。
故にこの場所から見える景色は、時代を一つ二つ戻ったようなそんな気にさせる。
近代的な建物は何一つなく、青々とした田んぼが広がり、所々に昔ながらの瓦屋根の家が建っている。
都会育ちで田舎とは無縁の人間なのに、郷愁の思いに浸っていると車のエンジン音が聞こえてきた。
隣の屋敷に止まったらしく、エンジン音が止まると共にドアの閉まる音がし、パタパタとこちらへ走ってくる音がした。

「あ、すみません。お待たせしてしまって」

勢いよく部屋に入ってきたのは、自分と同じ年頃の男性だった。
服装もハーフパンツにTシャツと、街中にいる若者と変わらない。

「えっと、あの」
「あ、ここの神主をしています、加賀美と申します。東京から来た冨野さんですよね?」
「あ、はい。そうです」

あれ?60歳くらいの方だって聞いてたんだが?

「いやぁ、鈴置の婆ちゃんにエアコンが動かないって呼ばれてしまって」
「エアコン、ですか?」
「この人もともと電気屋で働いていたので、ご近所さんからよく連絡が来るんです」

数冊の本を手に戻ってきた奥さんが、テーブルの上に本を広げながら言う。

「簡単な故障なら直せるし、そうじゃなければ古巣に連絡すればいいんで。今回は後者でしたが」
「そうなんですね。あの⋯」
「はい?」
「失礼ですが、こちらの神主さんは60歳くらいの方だと聞いてきたのですが、その⋯」
「あぁ、多分それ親父のことですね。去年俺が引継いだんです」

聞けば、昨年の今頃に倒れ半身が不自由になってしまったのだと言う。
それを機に息子である加賀美さんにここの神主を引継いだとか。

「それで、鏡池の事を知りたいんでしたね」
「はい」
「じゃぁ、簡単に説明をしてから、実際に見た方がいいかな」
「えぇ、その方がよろしいかと」
「ではまずこれから説明しますか」

そう言って、加賀美さんは奥さんが持ってきた本の中から絵本を取りだした。


「これが鏡池⋯⋯」

目の前にあるのは池と呼ぶには大きく透き通った水を湛えた場所だった。

「正確には池ではなく湖に分類されるらしいです。水深は15mくらいじゃないかって言う話ですが、正確なところは不明ですね」
「それはこの下が洞窟だから、ですか?」
「はい。前に一度調査に入ったらしいんですが、あまりにも複雑で危険を伴うので中止になりました。それ以降は調べていませんね」
「ここは普段立ち入り禁止、なんですか?」
「えぇ、禁足地にしています。先ほど説明しましたが、過去に何人かここで行方不明になっているので。子供が落ちたりすると大変ですしね」
「そうですか⋯⋯」

これだけ綺麗であれば、良い観光地になるのにと思ってしまう。
そして禁足地であれば、特集記事にするのは厳しいだろう。

「わざわざ来ていただいたのに、申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそお忙しい中ありがとうございました」
「あぁ、そうだ。折角だから、ちょっとこちらへ」

そう言って案内されたのは、今までいた場所の反対側。
大小様々な岩が円を描くように配置されている。
不思議なことにこの場所だけ底が浅いようで、白い砂が敷き詰まって中央からこぽこぽと水と空気が湧き出ていた。

「ここは?」
「手鏡池、と呼んでますね。ここで神に願うと一度だけその人の人生に必要なものを映し出してくれるそうです」
「え?」
「私の場合は妻が映りました。どうです、やってみますか?」
「⋯⋯なんだかちょっと怖いですね」
「そうですか?因みに親父は車が映ったそうです」
「車?」
「はい。その時一番欲しいものだったらしいんですが、買うのに躊躇していたそうで」
「で、買われたんですか?」
「えぇ、買って母をナンパして捕まえたと言っていました」

今一番欲しいものは⋯スマホだけど、それが映し出されたら嫌だな、とか考えていると加賀美さんが手鏡池に手をさし入れた。

「必ずしも映し出されるわけではないんです。私も子供の頃からやっていましたが、映ったのは3年前ですから」
「なるほど」
「今回映らなくても、また来た時に試してみればいいんです。いつでも来てください。お待ちしてますから」
「はい」

俺は加賀美さんに言われるままに、手鏡池の縁に立ち目を閉じた。
三度自分の名前を唱え、同じく三度、深くお辞儀をする。
そして、柏手を三度打って、静かに目を開き手鏡池を覗き込んだ。


「それでは、また。来られる際にはご連絡ください。駅まで迎えに参りますので」
「ありがとうございました。お伺いする時には、ご連絡差し上げます」

駅のロータリーから去っていく白色の車を見送って、俺は踵を返す。
先ずは公衆電話を探して会社に連絡を入れなければ。
それから次の目的地に行く前に携帯ショップに寄って、スマホの状態を確認してもらって。
頭の中で今後のスケジュールを組み立てる。
次の取材先はここから西に向かって二時間の電車の旅だが、スマホが無いことには色々と不便すぎる。
ほんの少し前はスマホなんかなくて地図を片手に歩いたものだ、と編集長がボヤいていたのを思い出す。
一度便利を手にしてしまうと、その有難味を忘れがちになる。
スマホも然り、車も然り、家電も然り、コンビニも然り。

「あ、あった!」

駅構内を歩き回ること10分、やっとの思いで公衆電話を見つけた。
携帯電話が流通し、ほぼ1人1台持つようになったためか、公衆電話の数は激減している。

「えーと、会社の番号は⋯⋯、あぁぁ、覚えてない、そうだ、名刺、名刺」

やっとの事で会社に連絡を入れ、次の目的地までの電車の時間を確認する。
出発まで37分、携帯ショップは、近くに⋯⋯あるのか?
駅員に聞いてみると携帯ショップは駅から徒歩20分、バスでも10分かかるらしい。
つまり、携帯ショップも車で来店することを前提とした場所に建てられているとのこと。
なので駅員のオススメは、ここから6駅先の大きな駅の駅ビルの中にあるショップ。
途中下車にはなるが、背に腹はかえられない。
俺は駅員に礼を言って改札を通り、ホームのベンチに腰を下ろした。

「はぁぁ、疲れた」

結局、手鏡池には何も映らなかった。
怖いとか言っていた自分が情けなくも感じるが、これでよかったのかも知れない。
また、ここに来る口実ができたから。
今度は、スマホは2台用意しよう。そうすれば1台が故障しても大丈夫だ。
そして今一番欲しいのは、一眼レフのカメラ。
あの綺麗な鏡池、そしてそこからの景色を撮りたい。
スマホのカメラでもなく、長年の相棒のコンパクトカメラでもなく、昔からのあこがれの一眼レフカメラで。
技術とかそういうのはまだ無いけれど、気持ちだけは十分に詰まったいい写真が撮れると思うから。


━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 長くてごめんなさい。

7/22/2024, 3:22:07 AM