いす

Open App

そういえば雨を見ていなかった。聞いていなかった。触れていなかった。嗅いでいなかった。傘は錆びていて、ふと触ってみたが開きそうにない。それだけの月日が流れているらしい。
「遅れてすみません」
やってきた客の肩は少し濡れていて、ビニル袋に入った軸の太い紺の傘がその滴を先端に落とし袋をゆるく膨らませている。柔らかな肩にあなたは触れる。まとう雨の匂いを嗅ぐ。ビニル袋が床を擦る音を聞く。あなたは彼に口付ける。こんな断絶された小さな部屋にも、どうやら雨は降るらしい。

11/6/2023, 3:26:16 PM