「ほら、あそこ」
強い風に巻き上がる長い髪を押さえながら、もう一方の手で山肌を指さした。
この風で雲も吹き飛ばされているのか、青空が広がり、太陽は真上に差しかかろうとしていた。白く細い指が示す先はちょうど陰になっており、私は目を細めた。
私がその辺りに目をやったのを確認すると、
「まわりと比べて茶色になっている場所があるだろう?あそこまで行く。」
片道3時間といったところだろうか。
斜め前に立つ彼にチラリと目をやる。山に入るにしては軽装すぎる草履と服。取った山菜を入れる竹籠以外、似つかわしくない格好だ。
じっと見下ろしていると、視線に気づいたのか彼は顔を上げ首を傾げた。いっそう強く風が吹き付け、押さえていた薄茶色の髪が彼の顔にかかる。
「どうした?」
私は首を横に振った。
無意識に、事前に渡された鉈の柄をするりと撫でると、
「あそこまでの道は整備されているから心配いらないよ」と彼は軽やかに笑った。
その笑みに縫い付けられたような錯覚を覚える。
春の日差しのようなやわらかさに、つい目を逸らしたくなるというのに。
私は帯に入れていた麻紐を出し、彼の肩を叩いた。
先に行こうとした彼は振り向き、私の手にある麻紐を不思議そうに見やった後、「結んでくれるのか?ありがとう」と私に背を向けた。
その無防備な仕草に、苛立ちに似た翳りを感じ首を傾げる。
私と比べると随分と細身だが、彼のしなやかな身のこなしは彼の生き様をうつしているようで美しい。露わになった彼の細い首元を見ながらそんなことを思った。
(テーマ: やわらかな光)
10/16/2024, 12:12:41 PM