透明の耐熱ガラスのティーカップに、沸騰したお湯を入れた。
上から菊花、バタフライピーを散らす。
じわじわと菊の花が開き、透明だったお湯は鮮やかな群青色に染まっていった。
最後に星型の金粉を散らせば、さながらティーカップの中で小さなプラネタリウムができあがる。
星図の描かれたオシャレなパッケージと並べて、青々と澄んだティーカップの写真を撮った。
ティーカップを口に含めば、中国茶ならではの独特な甘味と苦味が口に広がる。
見た目さえ受け入れてさえくれれば、彼女が好きそうな風味だった。
「また妙にオシャレなもん飲んでるな?」
噂をすれば彼女がほかほかになって風呂から戻ってくる。
「飲みます?」
ティーカップを彼女のほうに差し向けるが、彼女は首を横に振った。
「お酒でしょ? いらない」
ん? 酒?
改めて、ティーカップに視線を落とした。
鮮やかなコバルトブルーの液体は確かに酒に見えるかもしれない。
しかし中身は酒ではなくハーブティーだ。
「いや、これ、酒じゃなくて菊花茶のハーブティーです」
「菊花……?」
「タイのほうでは有名な飲み物らしいですよ」
バタフライピーで色を青に染める飲み方は、SNSの映えを意識したものだろう。
タイのほうではハチミツや砂糖をたくさん入れて甘くして飲むようだ。
ちなみに、少しレモンを入れると化学反応で鮮やかな夕焼け色に変わっていく。
視覚効果も存分に楽しめる仕組みだ。
外袋のパッケージもこだわっていて、いかにもSNS映えしそうなデザインである。
俺が今開けたのは星図だったが、ほかにも天体の軌道が描かれているものや、12星座が円に連なったものが2包ずつあった。
「入れましょうか?」
「いや、いらない」
「そうですか……」
予想通り、色味のせいで彼女の警戒心が少し上がった。
バタフライピーにはハッキリした味はないため、派手な見た目ほど味にパンチはない。
彼女はジャスミン茶や甜茶を好んでいた。
菊花茶の素朴な苦味と甘味は好みだと思うのだが、視覚効果は絶大らしい。
「職場の事務の方に『彼女さんにどうぞ』って言われて押しつけられたものなんですが」
「……彼女……?」
彼女は、テーブルの上に置かれたティーセットと俺を交互に見る。
何度か視線を往復させたあと、俺をジッと見つめて首を傾げた。
「デッカい彼女だな?」
「お帰りなさいダーリン♡」
小首を傾げて両手を顎の下に持っていったりと、できる限りかわいいポーズでアピールする。
しかしあざとさを狙うには、図体がデカいせいで無理があった。
「ノってくるのかよ……」
間もなく1日が終わるというのに、彼女に特大サイズのため息をつかれてしまう。
「つーか、私宛なら勝手に開封するなよ」
「毒味は必要でしょう?」
「手作りじゃあるまいし大げさだな?」
「……」
彼女の職柄的にしかたがないのだろうが、人からの贈り物を受け取ることに抵抗がなさすぎる。
既製品でももう少しくらい警戒してほしかった。
「そもそも、このパッケージもハーブティーも、あなたの趣味じゃないじゃないですか」
「だからって勝手に開けていい理由にはならないだろうが。おたんちん」
彼女の言い分が正しいことはわかっていた。
わかってはいるが、ただただ俺の不快指数が上がっていく。
「なんでそんなに怒ってるの?」
「俺相手ならつけ入る隙があると思われたことに腹を立てています」
「はあ?」
意味がわからないと眉を寄せた彼女に、お土産と一緒に預かっていた名刺を手渡す。
名刺に印字された名前を見て、彼女は意外そうに目を見張った。
「あれ? この差し入れ、男の人からなんだ?」
「そうですよ?」
消えものだからあえて受け取りはしたが、本当は受け取ることすらしたくなかった。
映えさえすれば彼女が喜ぶと思っている浅薄さも、不愉快極まりない。
裏側など彼女は目もくれていないが、裏にはしっかりSNSのIDと食事の誘いが一筆記されていた。
俺が彼女と同棲していることまで知っていて、堂々と喧嘩を売ってくる。
余裕がないと思われたくなくて、つい見栄を張った。
しかし、そのしわ寄せとして、なんの落ち度のない彼女に八つ当たりすることになってしまって反省する。
「裏側もちゃんと見てあげてくださいね」
「裏……って、うわ……」
人の機微に見向きもしない彼女である。
彼女は俺から離れて手動のシュレッダーに名刺をかけ始めた。
不用意に手にしてしまった個人情報を彼女は手元に残さない。
躊躇うことなくハンドルを回す彼女の背中に向かって、俺は声をかけた。
「返事はしないんですか?」
「その人、同じ職場の人なんだよね?」
「ええ」
ハーブティーのコバルトを全て飲み干す。
菊の花も萎れ、蝶豆の花弁も沈み、星も消え、ティーカップの星図は崩れて消えた。
「なら……」
適温を失ったティーカップを置いたタイミング。
戻ってきた彼女の手が俺の頬に触れた。
「え」
ちゅ。
と、小さなリップ音が唇の上で響く。
頬を染めた彼女は恥ずかしそうに瑠璃色の瞳を揺らした。
しかし、すぐにその視線は真っすぐ俺に向く。
「……れーじくんのほうから、甘くておいしかったって伝えておいて」
彼女は水分の含んだ薄い桜色の上下の唇を合わせて軽く馴染ませた。
艶めいた唇を細い指先で這わせて、挑発的な笑みを刻む。
「そんなに心配しなくても、さ」
その緩慢で色のある彼女の仕草に息をのみ、心臓の脈打ちが徐々に激しくなる。
「顔も知らない相手に差し入れひとつで靡くほど、温い愛され方してないから大丈夫だよ?」
イタズラをしかける子どものように、彼女は楽しそうに笑みを深くさせた。
「ハニー♡」
かっっっ!?
かっこよっっっ!!!???
遅れてノってきた彼女に、俺の機嫌はすぐに上昇気流に乗る。
「ダーリン♡♡♡♡」
「ぐえっ」
暴走した俺の情緒は、彼女の潰れた声をうみだしたのだった。
『消えた星図』
10/16/2025, 9:47:22 PM