後日。燈里《あかり》は冬玄《かずとら》と東と共に、繩手《なわて》の家へと向かっていた。
「あの人間、許せないわ。あんな卑怯な手で燈里を無理矢理巻き込んだのですもの!」
「煩い。少しは静かにしろ」
燈里の腕に抱き着き怒りを露にする東を、冬玄は一瞥し窘める。しかしその目は鋭く凍てついて、纏う空気すら張りつめていた。
「どうしてそんなに落ち着いていられるのかしら!北は燈里のことが心配ではないの?」
「だからといって、燈里にしがみついて耳元で喚くな。燈里の迷惑だろうが」
「私は、別に迷惑だなんて思ってないから……でも、できればもっと穏便に……」
腕に抱き着く東に大丈夫だと微笑みかけてはいるものの、燈里の表情はどこか固い。それはこれから繩手に会いに行くことも原因の一つではあるが、どちらかと言えば、冬玄と東の会話の内容に対しての方が大きいからだった。
「それよりも分かっているだろうな」
「もちろんよ!あの人間がまた混じって燈里に危害を加える時には、人間ごと封じればいいのでしょう?ちゃんと南に札は貰っているわ」
「ちゃんとすぐに取り出せるようにしておけ。時間との勝負だ。相手が燈里に干渉する前に終わらせるぞ」
真剣な二人に、燈里は何度目かの溜息を吐いた。できるだけ繩手に危害を加えたくはない燈里ではあるが、どちらも聞き入れる様子はない。
人と妖の感覚の違いなのだろうか。救いたい燈里と違い、二人は自己責任として切り捨てることを厭わない。
「燈里。そんなに不安がらなくても、失敗なんてしないわ。速さには自信があるもの」
「いえ、そういうことではなくてですね……」
「燈里」
できることならば封じないでほしい。そう言いかけた燈里を、冬玄の静かな声が止める。
窘めるような響きに眉を寄せ、燈里は視線だけを冬玄に向けた。
「そもそもあの人間が祀り方を誤ったから、憑き物が暴れているんだ。それに巻き込まれただけの俺たちが、心を砕く必要はない」
「そうよ!富を得ようと迎え入れたのに、正しく祀らなかったのだから自業自得だわ。無理矢理封じたせいで混じってしまった後始末をしてあげるのを感謝してほしいくらいよ」
怒りが収まらない二人からそっと視線を逸らし、肩を落とす。
憑き物筋がどういうものか。その末路を燈里も知らないわけではない。しかし繩手の場合は、自ら望んで受け入れたようには思えなかった。
「会って早々、手荒な真似はしないって約束してね」
これまた何度目かになる忠告を二人にしながら、教えられた繩手の家へと足を速めた。
「いらっしゃい。まさか本当に来てくれるとは思わなかった」
出迎えた繩手は変わらず青白い顔をしながらも、その表情はどこか安堵が滲んでいる。
「あんたが無理矢理約束をしたんだろうが」
「あ……そう、だね……俺が……」
不機嫌な冬玄の言葉に、繩手の表情は途端に暗くなる。
無理もない。繩手は燈里に巻き込まれてほしいと言ったことを覚えてはいなかったからだ。
助けを得られるのはありがたい。だがその理由が自身の脅すような言動にあること、そしてそれが両腕の痣の原因であろう憑き物の仕業であることは、繩手にとって恐怖でしかなかった。
「こっち。両親の部屋はそのままにしてあるんだ」
繩手の案内で部屋の奥へと向かいながら、燈里は冬玄と東の様子を伺う。纏う空気は鋭いものの、問答無用で手を出す気配がないらしい。そのことに少しだけ安堵して、燈里は繩手に話しかけた。
「あれから、何か思い出せたことはある?」
「いや、なにも……」
答える声は沈んでいる。
「麗《うらら》って名前にも、やっぱり心当たりはないよ」
それは応接室での話し合いの際、繩手が口にした名だった。
あの時、繩手は燈里と麗の目が合ったと言っていた。ならば、それは繩手の中にいる憑き物の名である可能性が高かった。
「ごめん。巻き込んで」
「気にしないで。とにかく今は手がかりを見つけないと」
大丈夫だという燈里の微笑みに、繩手もほんの少し表情を緩めた。
そして、ある部屋の前で立ち止まり、ゆっくりと扉を開ける。
「ここが両親の部屋。何か見つかればいいんだけれど」
「見つかればじゃなくて、見つけないといけない……それじゃ、手分けして探そうか」
その部屋はカーテンを閉め切っているせいか、暗く湿った匂いがした。
カーテンを開け日差しを取り入れてもなお暗さが残っているようで、振り切るように燈里は頭を振り部屋の中から手がかりになりそうなものを探し始めた。
「宮代《みやしろ》さん。これ……」
暫くして繩手が燈里に見せたのは、何冊もの分厚い日記帳だった。
日記の一つを手に取りぱらぱらと捲る。どうやら繩手の成長記録のようで、彼の幼い頃の様子が事細かく書かれていた。
思わず笑みを浮かべながら燈里は文字を追うが、ある日付に書かれていた内容にその表情は一気に険しさを増す。それに気づいた冬玄が日記を覗き込み、同じように眉を顰めた。
「宮代さん?」
「北?何か見つけたのかしら?」
近づく東と繩手に、冬玄は無言で日記のページを見せた。その内容に表情を険しくする東とは対照的に、繩手はただ困惑する。
――やっぱり父の家に行くべきではなかった。式貴《しき》にもしものことがあったら、私は絶対に父を許さない。どんな手を使ったとしても必ず、報いてやる。
憎しみに近い、怒りを綴った言葉。日付を見ると、どうやら繩手の六歳の頃の出来事のようだ。
その日にはそれ以上のことは書かれてはいない。しかし後の日記には、しばらく高熱が続いている様子が書かれている。
「そんなことがあったんだ……ごめん、記憶にない」
申し訳なさげに首を振る繩手を、冬玄は鼻で笑う。それを燈里が窘めようとするのを手で制し背に庇いながら、冬玄は繩手の眼を見据え告げた。
「黄昏時だ。巻き込んだのだから、ある程度の情報を寄越せ」
「冬玄?何言って……」
言いかけて、ふと差し込む光に朱が混じり始めていることに気づき、燈里は口を噤んだ。
黄昏時。逢魔が時とも呼ばれる夕暮れは、人と魔が混じり合う時間帯だとされている。
繩手は答えない。応接室で見たような歪な笑みを浮かべ、冬玄の目を見返している。
沈黙。息苦しさすら感じる重く張りつめた空気から逃げ出すように、燈里はそっと窓の外に視線を向けた。
朱に染まる空。沈んでいく、燃えるような夕日はまるで目のようだ。
「燈里、駄目よ」
瞬きも忘れるほど魅入っていれば、不意に視線を覆われた。
「心を傾けてはいけないわ。惹かれてしまわないように、今は北のことだけ見ていなさい」
静かだが、有無を言わせぬほどの強さを湛えた言葉。小さく肩を揺らし、少しして燈里は深く息を吐き出し脱力する。
凭れかかる燈里の体を抱き留め、東は視界を覆う手を外しながら顔を顰めて動きのない冬玄の背を見つめた。
「北」
「そうだな。これ以上無駄に時間をかけるつもりもない。だんまりを続けるならば、こちらも少しばかり手荒にいかせてもらうぞ」
険を帯びた低い声に、繩手の笑みが深まった。
静かに腕が持ち上がる。冬玄の手にしている日記を指さし、掠れた声が答えた。
「その日記に書かれていることが、あなたたちの知りたい情報の全てだ。持ち帰ってくれて構わない」
それ以上は何も語らず、冬玄は小さく舌打ちをして日記帳を纏めて持ち、立ち上がる。
帰れと言外に告げられたのは、夜が来るからなのだろう。意図を汲んで東も立ち上がり、燈里を伴い部屋を出る。冬玄もそれに続くが部屋を出る寸前繩手を振り返り、無感情に問いかけた。
「あんたは何だ?燈里に何をさせようとしている?」
色を暗くする朱に染められた部屋に落とされた影が揺れ動く。
繩手は動いてはいない。表情の読めない繩手とは違い、影は冬玄の問いに小さく首を傾げたように見えた。
「繩手式貴。ただ違うのは、昼間固く閉じている記憶の蓋がほんの僅かに開いていること……宮代さんには、これ以上蓋を開かせない方法を一緒に探してほしい」
「――俺は、嘘は嫌いだ」
その言葉に、繩手は小さく笑った。
貼り付けたものではない、困ったような笑みだった。
「本当でもないけど、嘘でもない。昼間の何も知らない俺は、思い出すことを恐れている。箱に閉じてくれた両親の献身を、意味のないものにはしたくないから……けれど今の俺は、開いた隙間から出ていってしまった麗の一部を取り戻したいと思っている」
冬玄の表情が歪む。
警戒ではなく、心底面倒だと言わんばかりの顔をして、何も言わず部屋を出て行った。
20260407 『沈む夕日』
「ごめんなさい。あなたまで巻き込んでしまう」
泣きながら謝罪を繰り返す女の背を、夫らしき男が撫でている。
「式貴《しき》を守るためだ。むしろこの子のために役に立てるのなら、これほど嬉しいことはないよ」
二人の前には、昏々と眠り続ける青年の姿。
まだ十代半ばくらいの、まだ大人の庇護を必要とする青年は、二人の献身を知らない。目覚めた後の悲しみと苦難はどれほどのものだろうか。
「もう泣かないでくれ。形は違うがこれからも、ずっと一緒にいられるのだから不安はない……それが、たとえ時間稼ぎでしかないとしても」
「っ……ありがとう、あなた」
微笑み合う二人は、果たしてどこまでを正しく理解しているのだろうか。
青年が眠り続けている原因であるモノ。封じ込めるための対価と期間のつり合いが取れていると、本当に思っているのだろうか。
誤った手順で迎え入れてはいるが、だとしても憑き物として迎え入れたことには変わりがない。不完全な憑き物を封じ込めるなど誤った方法を取ることの危険性を、どう思っているのか。
「――そろそろ、始めようか」
「えぇ、そうね……式貴。愛しているわ。あの時は守ってあげられなかったけれど、今度こそ守るから」
青年の頭を、二人は優しく撫でる。
二人に気づかれぬように、密かに息を吐いた。
あれこれ考えた所で二人の考えが変わるわけでもなく、その結果も何一つ変わらない。
どんなに手を尽くそうと、猶予が伸びるだけで結末は一緒なのだ。
二人の手が、青年の腕にそれぞれ添えられる。この状況で似つかわしくない穏やかな微笑みを浮かべ、目を閉じた。
――人とは、どうしてこんなにも面倒な生き物なのだろうか。
そんな戯れ事を考えながら、同じように青年へと手を伸ばした。
次の朝。
抱き着く誰かの腕を感じて、燈里《あかり》は目を覚ました。
東だろうか。幼いようでいて、しっかりと道理をわきまえている彼女にしては珍しいこともあるものだと、未だ微睡む意識で考えながら布団を捲る。
「睦月《むつき》……?」
予想外のことに、燈里は目を丸くする。いつもはどこか遠慮しがちで素直に甘えることの少ない睦月が、こうして布団の中に潜りこんでいる。何か良くない夢でも見たのだろうかという心配と、拠り所にしてくれているという愛しさに、燈里は嬉しくなった。
「ん……燈里ねぇ?」
名を呼んでしまったことか、それともしばらく見ていたからか、睦月の瞼が震えゆっくりと目を覚ました。
焦点を合わせるように何度か目を瞬き燈里の姿を認めると、ぼんやりとしていた表情がふにゃりと笑顔に変わる。
「おはよう、燈里ねぇ」
「おはよう。どうしたの?嫌な夢でも見た?」
不安そうな燈里に、睦月は首を振った。
腕を伸ばし、燈里の頭を撫でる。突然の行動に戸惑う燈里に、睦月は懐かしむように目を細めて呟いた。
「夢を見た時、燈里ねぇがこうして頭を撫でて一緒にいてくれたから」
してもらって嬉しかったことを、同じように燈里にしているのだと睦月は言う。一度強く抱き着いてから離れると、するりとベッドを抜け出した。
「燈里ねぇは、やらなきゃいけないことがあるんでしょ?お家のことはわたしと楓《かえで》ねぇに任せて、頑張ってね」
「睦月……ありがとう」
睦月の優しさに、燈里はふわりと微笑んだ。
部屋を出て行った彼女に続いてベッドから抜け出し、身支度を整えていく。
「そうだね、頑張らないと……これからも、ずっと皆と一緒にいるためにも」
呟いて、一つ深呼吸をする。
決意を新たに、部屋を出た。
ぱらぱらと日記帳を捲る。
流し読むだけではあるが、それでも熱が下がった後の繩手《なわて》の奇妙な行動が目についた。
――式貴《しき》以外誰もいない部屋で、二人分の話し声が聞こえる。
――夕暮れ時に、ふと影を見たら知らない女の影が見えた。一瞬だけですぐに消えてしまったけれど、見間違いではない。
――式貴の腕の痣が濃くなってきている。女の気配が強くなっている。家が裕福になっても、この子が犠牲になるのなら、そんなものいらない。
繩手に付きまとう女性の影と、物理的に裕福な家庭。
憑き物筋として憑くのは、一般的に狐や蛇などだ。人が憑き従うことはありえない。
女性を慕い、敬っていたという繩手。与えられていた加護。
憑き物筋というよりも、燈里と冬玄《かずとら》の関係に酷似していた。
「冬玄。もしかして、繩手くんは……」
「言いたいことは予想がつくが、この人間の家は憑き物筋だ」
燈里の言葉を遮り、冬玄はそう断言する。顔を上げ、困惑する燈里の目を見つめて問いかける。
「燈里にとって、俺は何だ?」
「え?」
目を瞬き、遅れて何を問われたかを理解したのか、燈里の頬が赤く染まる。
視線を彷徨わせ、俯きながら、消え入りそうなほどか細い声で答えた。
「……私の……た、大切で……大好き、な……人……」
冬玄の動きが止まった。
俯く燈里を凝視したまま、ゆっくりと手を伸ばす。
しかしその手が燈里に触れる寸前冬玄は我に返り、誤魔化すように咳ばらいをしてそっと手を引いた。
「そうなんだが……いや、そうじゃなくてだな。宮代《みやしろ》の……まぁ、俺も宮代になるわけなんだが……あぁ、いや、その……」
ここに楓《かえで》がいればまず間違いなく呆れ、冬玄を蹴ってでも話を進めただろう。
しかし幸か不幸か、楓は睦月と共に買い物に出てしまっている。そのため、甘酸っぱい空気の漂う部屋で、二人はしばらく赤面しながら無言のまま固まることとなってしまった。
「燈里!」
そんな気まずい沈黙を吹き流すかのように、一陣の風と共に東が部屋に飛び込んでくる。
慌てる二人を気にすることなく、東はどこか誇らしげに胸に抱いたファイルを掲げてみせた。
「南が調べたものを持ってきたわ!そちらの進捗はどうかしら?」
慌てている二人に、東は不思議そうに首を傾げる。掲げた資料と机の上の日記帳を交互に見て、あぁ、と得心がいったように頷いた。
どうやら慌てている理由を、まだ十分に日記を読み進めていないからだと思ったようだ。
「心配しなくても大丈夫よ。わたしも手伝うわ」
「問題ない。だいたいの理由は把握している」
東の持つファイルを受け取りながら、冬玄は無愛想に答えた。だがファイルの表紙に手をかけた時、ふと思いついて東に視線を向ける。
「あの人間の家に憑いていたモノは女だったらしいが、俺たちと同じだと思うか?」
「違うわ。あれは憑き物よ」
冬玄の問いに、東は迷わず断言する。
「何故そう思う?」
「だって憑き物だもの。憑いているモノが何であれ、人間がそれを憑き物だと認識しているのだから憑き物にしかならないわ」
何故、そんな当然のことを聞くのか。真意を測りかねて、東の眉が寄る。だが燈里の困惑した表情に大方の事情を察し、柔らかく微笑んだ。
「燈里。わたしたちはね、望みを映す鏡みたいなものよ。燈里が望んでくれたから、わたしは今までも、そしてこれからもずっとわたしでいられるの」
「そういうことだ。だから、というわけでもないが、色々と突拍子なことをしているようだな。詳細は分からないが全ての始まりとなった家でまた何かがあり、憑き物が変質して封じるに至ったようだ」
そう言って、冬玄は先程までの甘い気配などなかったかのように、眉を顰め手にしたファイルを開いた。
20260408 『これからも、ずっと』
4/9/2026, 10:17:35 AM