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ひねくれた子どもでしたから。
この言葉は、嫌いでした。

「よいお年を」

なんて気取った響きでしょう。
年末にはみんな、この言葉を言わないといけないのです。
いつものように「バイバイ」や「さよなら」で別れようとした自分は途端に、子どもっぽい、ものを知らない、みじめな無礼者に変わるのです。
だからって、周囲に合わせるのも嫌でした。
薄っぺらいのです。
あたかも「あなたのしあわせを願っています」という顔で手を振りながら、そのじつ、気づかいのできる自分に酔っている気分になるのです。
人間の心は有限です。
本気でやさしくできるのは、自分の輪で囲った内側だけです。
輪の外側の人々にばらまけるのは、無責任な言葉だけです。
ひねくれた子どもでしたから。
ひねくれた子どもの周囲には、薄っぺらい人間しかいなかったのです。
 

今は、少しわかった気がします。
言葉は、呪文なのです。
相手ではなく、自分のために言うのです。
あちらの言葉に、どれほどの真実があっても、なくても。わたしが「必要だ」と思うなら、こちらの言葉には意味があるのです。
おなじだけの熱量が返ってくることを期待したり、おなじだけの熱量を返さねばと気負ったり、ややこしく考える必要はないのです。
わたしの心を、明るくしたいから。
わたしとあなたをつなぐ見えない橋を、きれいに掃き清めて、まっさらな気持ちで来年のあなたに会いたいから。
だから、この言葉を言うのです。

 
「よいお年を」






#良いお年を

12/31/2023, 1:19:52 PM