『どうして』
どうして、という視点が人生には必要だと、常日頃から私は思っている。
なぜなら、私の周囲には理解不能な言動をする人が多いからである。どうして、の視点を持たなければ、人を変人や低能という言葉で簡単に切り捨ててしまうことになりかねないのだ。
ある後輩の話をしよう。彼は目上の人に無理難題を吹っかけて、困らせる。その無理難題とは、例えば「免許なしで運転して」、「線路に寝転んで」、「切符持たずに改札通って」等々、とにかく無茶苦茶である。傍で聞いている私としても、ヒヤヒヤするし、できたらやめてほしいと思うのだが、彼はやめるどころか却って言動をエスカレートさせていく。
そこで、どうして、である。
彼はどうして、無意味で阿呆な発言を繰り返し、人を困らせるのか。
実は、彼は周囲に気を遣っている。周りの人たちを和ませたい、笑顔にさせたい、そういった一心で、自分の評価が落ちることも気にせず、つまらない冗談を口にし続けているのだ。
そのように考えると、不思議と彼のことが愛おしく感じられる。不器用な彼なりに、周りのことを考えてくれているのだと。まあ、そのやり方は私から見ればやはり、常識外れでズレているのだが。
どうして、という視点を持つことは、人に対して悪意を持ちやすい私の心の幅を、こんなふうに少しだけ広げてくれる。つまり、考えに余裕を持たせてくれるのである。
とは言っても、どうして、の視点だけでは到底理解できないレベルの人間もいる。
まだまだ私も修行中だ。
1/14/2026, 4:41:56 PM