綺麗な花が咲いていた。
この辺りでは見かけない花。綺麗な青や紫に、一瞬で心を奪われた。
彼女の妹への贈り物にしようと、花を摘む。以前花が好きだと言っていたのを覚えていた。
彼女への贈り物は何にしようか。上機嫌で家へと向かいながら考える。
以前大きな雀を生きたまま捕まえた時には、彼女はありがとうと言いながらも逃がしてしまった。鼠を捕った時も、褒めてはくれたけれど、食べる様子はなかった。
魚ならばどうだろう。記憶を辿り、彼女が魚を食べていたことを思い出す。
そうしよう。家へと向かう足を速めながら、いい考えだとにんまり笑う。
この花を妹にあげて、それから川に魚を捕りに行こう。きっと彼女は褒めてくれるはずだ。
微笑んで、優しく頭を撫でてくれる。そんな未来を想像して喉が鳴るのを止められなかった。
けれど現実は、雨の夜よりも冷たかった。
見つけた花は、彼女が一生懸命に育てた花で。
一つ残らず摘まれてしまった花を見て、彼女は元気をなくし。
病気になって、そのまま二度と目を覚ますことはなかった。
もう二度と名前を呼んでも、頭を撫でてくれることもない。
どんなに鳴いても、答えてくれる優しい声は聞こえない。
彼女の匂いがしない。姿が見えない。
もしもあの時、花を摘まなければ、彼女は今もここにいてくれたのだろうか。
大好きだよと、笑う彼女といつまでも一緒にいられたのだろうか。
そんな都合の良い話。
夢物語を思いながら、彼女のベッドではなく冷たい地面の上で丸くなり、目を閉じた。
そんな、悲しい夢を見た。
「いや、そんな夢の話をされても……」
泣きながら花に水をやる猫を横目に、少女は困ったように眉を寄せる。
「そもそも私が花を育ててただけで、夢が現実になるわけないでしょうに」
「だって、見たことない花だった!同じ場所に咲いてた!」
何を言っても、どんなに否定しても、猫は少しも泣き止もうとしない。このままでは猫の目が溶けてしまいそうだと、同じやり取りに疲れた少女は思わず現実逃避をし始める。
「お花、もう摘まないから……だからいなくならないでね。お世話もするから。たくさんお水あげて、大事にするからっ!」
「いなくなる予定はないし、水はそれぐらいにしてあげて」
猫から如雨露を取り上げ、少女は密かに溜息を吐いた。
どうすれば泣き止んでくれるのか。猫から聞いた夢の話とは違う行動をしてみせても、不安がなくなる様子はない。
「そもそも植えたのは白のクレマチスであって、青とか紫ではないんだけどなぁ」
白い蕾に触れながら、少女は呟く。
「第一、育ててた花を摘まれたからって病気になるほどは落ち込まないよ。そりゃあがっかりはするけど、また育てたらいいんだし」
「でも、咲いたら青になるかもしれないし、病気にだって……」
何度も繰り返したやりとり。同じ結果に、少女は疲れたように頭を抱えた。
そこで、ふと以前読んだ本の内容が思い浮かぶ。
「病気ってさぁ。もしかして花を摘まれたことじゃなくて、鼠からだったりしない?」
きょとんと目を瞬かせる猫に、少女は説明する。
鼠が色々な病気を媒介すること。その中には命に係わるような病気も含まれていること。
猫が分かりやすいようにと噛み砕き、ついでに人は鼠を食べないとも伝えれば、猫は衝撃をうけたように尾を震わせた。
「鼠……病気……食べない……」
大きな目をさらに大きく見開き、猫は呆然と呟く。どうやら話を聞いたショックで涙は止まったようで、少女は申し訳なさを感じながらも安堵の息を吐いた。
だから、大丈夫。
そう続けようとした少女の笑みは、しかし猫の次の言葉を聞いて引き攣った。
「でも、ここ……たくさん鼠がいるけど、どうしよう……」
「え……?」
タイミングがいいのか、悪いのか。
視界の隅で鼠が家の床下から出てくるのを見て、少女は声にならない悲鳴を漏らした。
「ここ、昔鼠の大将が住んでいたから、そのせいで鼠が今も多いんだよね。猫にとっては食べ物に困らない楽園ではあるんだけど」
そう言って少女を見つめる猫の目は、何かを決心したように強い光を湛えている。
少女に近づき、動けなくなった少女の手を握る。緩慢な動作で視線を向ける少女と目を合わせ、猫は一つ頷いて大きく尾を揺らした。
「今まで気づかなくてごめんね。あと、これからしばらく賑やかになると思うから、それもごめん」
「どういう、意味?」
猫の謝罪の言葉に、少女は意味が分からないと表情を曇らせる。不安そうな少女を安心させるように猫は目を細め、尾で少女の腕を撫でた。
「穴場だったから今までは他の猫に内緒にしてたんだけど、皆に教えることにするよ。そうしたら猫がたくさん来て鼠を捕りつくしてくれるだろうから」
きゅっと手を握ってから離し、猫は少女が何かを言う前にどこかへ向けて駆け出していく。
一人残された少女は猫を追いかけることもできず、戸惑うように花の蕾を見つめていた。
「――というのが、ちょうど一年前のこと」
花を植え替える手を止めぬまま、少女は笑って友人に語る。
彼女が植え替えているのは青色のクレマチス。側では赤や白の花を咲かせたクレマチスに、猫が如雨露で水をやっている。
「急にどこかに行ったと思ったら、その日の夜に大変なことになるなんて思わなかったよ。すごい音がして外を見れば、何匹もの猫に追い回される鼠の群れがいるんだもん。思い出しただけで今も体が震えるよね」
そう言いながらも少女はとても楽しそうだ。鉢に植え替えたクレマチスを友人に手渡しながら、辺りを見回しあれはすごかったと目を細める。
「最後にはさ、どこに隠れていたんだろうってくらいの大きな鼠が出てくるし。まるで物語の中の世界にいるみたいだった」
いや、この状況がすでに非現実だから。
心の中でそう反論しながら、友人は渡された鉢を手に愛想笑いを浮かべた。
少女は一切気にかけることはないが、彼女の家の中や庭は猫で溢れ返っている。
どこを見ても、猫ばかり。鼠がいなくなった後もここを気に入り住み着いてしまったと少女は笑うものの、数が多すぎる。
だが友人が一番気になったのは、どの猫も普通ではないということだった。
二股に分かれた尾。二足歩行をし、言葉を話す猫もいる。
少女がさも当然のように、普通の猫と認識しているのが友人は不思議でしかたがなかった。
クレマチスの花を貰えるからと、気軽に少女の家にくるのではなかった。
少しだけ後悔しながらも、友人は引き攣った笑みを浮かべながらも何も言うことはない。
「また来てよ。もう少ししたら、カサブランカや紫陽花なんかも見頃になるし。なんだったら、また鉢を分けてあげるから」
「あ、うん……楽しみにしてる」
ほとんど無意識に出た楽しみという言葉に、内心で驚きながら。
「ちょっと、そこ!紫陽花の葉っぱ食べないで!」
「ごめんー」
「ねぇ、ミミズ見つけた!大きいの!」
「あっちに雀いたけど、食べていい?」
「やめなさい!いつものご飯で我慢して」
随分と賑やかな面々と、楽しそうな少女の笑顔を見て。
まあいいかと、それ以上考えることを諦めた。
20260508 『一年前』
5/10/2026, 9:07:44 AM