ゆっくりなんて、そんな悠長なことを言っていられる余裕はなかった。
想いを打ち明け続け、彼女が学生のうちになんとか交際に持ち込んだ。
俺が大学を卒業したあと、強引に同棲を始める。
そして同棲に慣れたころ彼女からプロポーズを受けた。
完全に先を越されてしまい泣き喚いて暴れ散らかす。
結論、結婚はした。
彼女からのプロポーズなんて「はい♡」か「イエス♡」か「喜んで♡」しか選択肢はないのだから、当たり前である。
しかし、俺がいろいろとやらかしたせいで指輪を一緒に選ぶことは叶わなかった。
結婚2年目を迎える彼女の誕生日に向け、改めてふたりで一緒に指輪を選んで記念に残したい。
……そう、提案したところまではよかった。
「なあ! 予算どうなってんだよ!? 桁も頭の数字もおかしいだろうがっ!? なにをどうしたら指輪でこんな値段が跳ね上がるんだよ!!!!」
リビングに彼女の怒号が響き渡った。
座椅子の上で正座をし、彼女を怒らせてしまったことについては反省しつつ、予算に関してはギリギリまで反論を試みる。
「予算は俺の分を上乗せしました」
「え、なんで?」
怒りで吊り上がっていた目をまるまるとさせて、驚いた表情で瞬きを繰り返した。
忙しなく変わる彼女の表情に愛おしさで胸をいっぱいにしながら、左手を掲げる。
「俺はこれで十分ですから」
「……」
伝家の宝刀よろしく、颯爽と左手の薬指にはめられた指輪を見せつけた。
「やっぱり指輪いらない」
「え!? なんでですかっ!?」
「私だけならヤダ。私だってこの指輪、ずっと大事にするって決めてる」
宝物を取られまいと子どもみたいに左手を隠した。
チラッと、俺の様子を伺う仕草があざとくて目眩がする。
「一緒に選ぼうって言ったから……一緒にふたりの指輪を選ぶと思ってた」
瞳も声も左手を隠す右手も、しょんもりと寂しげに揺らすから、俺は慌てて手のひらをひっくり返した。
「予算を5分の1にしてふたりだけのおそろいの指輪、買いましょう。ね♡」
「最低でも半分は削って桁を減らせ」
「……」
2割削れば桁はギリ減るのに、そこは受け入れてもらえなかった。
「俺の誕生石を入れまくって派手にしたかったのに」
「え、なんで?」
「あなたの瞳と同じ色できれいだなと思ったので」
「……本音は」
「本音ですが?」
さっきまでのいじらしい態度はわざとなのかというくらい、対応にトゲがある。
俺の情緒がジェットコースターなら、彼女の圧はフリーホールだ。
「言い方を変えようか。本心は?」
「……ぐぅ」
あっさりと建前がバレたし、声が氷のように冷ややかになる。
俺の言葉によっては彼女が寝室か風呂にでも逃げてしまいそうだったから、急いでその腰にしがみついた。
「やっとあなたの左手に触れることを許されたので、今までの分も含めてあなたは俺のものでもあるんだと、周りに見せびらかして自慢して牽制したいです……っ!」
「そう」
俺の魂の叫びをたったの2文字で流しやがった……!?
「……許してなかったの、結婚だけなのに」
過ぎたことだからってよく言う。
学生時代に婚約指輪なんて贈ろうもんなら、絶対に重たがって逃げてしまっただろうに。
「そういうことにしておいてあげます」
「本当だってば……」
本格的にいじけてしまう前に、彼女の隣に移動してカタログを広げた。
きらびやかなデザインの指輪に指をさしては、彼女は目を輝かせる。
シンプルなデザインから華やかなデザインまで、彼女の好みは意外と幅が広い。
はしゃぐ姿に癒されながら、俺は相槌を打ってはこの緩やかな時間を噛み締めた。
手入れのことを考え、結局、結婚指輪と同じブランドで指輪を揃えることにする。
デザイン、色、宝石、刻印、こだわりながらふたりでイメージを固めた。
「お店に行くのは……、この日でいいの?」
「ここだとあなたのスケジュール的にキツくないですか?」
「じゃあ、ここは……? ちょっと離れちゃうけど」
「かまいませんよ。どうせなら時間かけていろいろ見させてもらいましょう。目の保養も大切ですし?」
「ん」
これからは勢いにまかせるだけではなく、かけられる時間を大切にしながらゆっくりと進むのだろう。
お互いに命尽きるまで、生涯ともにあることを誓ったのだ。
俺とあなたの、ふたりだけの。
『二人だけの。』
7/16/2025, 6:29:25 AM