少女N

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着慣れない制服を着て入学式に参加し、周りの人に倣うように大きく3つの文字が書かれた看板の前で親と写真を撮った後、胸に付けられた薔薇だか何だかの安っぽいブローチもどきを外した。
今年の桜はかなりの遅咲きらしく、入学式には蕾すら見えなかった。それを周りの同級生らしき人達は残念がってたが、私は何も感じなかった。
祖父母にも外食に連れていかれ、お祝いされて、やっと、「入学式っていいなぁ」と感動した。
美味しいお肉を食べて感動しない人はいないと思う。
ちなみに、中学の卒業式の日は寿司を食べた。
その時ももちろん、寿司が美味しくて感動した。

だが、その日以降、中学と変わらないような日々を過ごした。
小学から中学に進学するのと違って、今回は中学から高校への進学。
普通は去年から話してた友達がいなくなっただの、仲のいい友達が同じ学校になったはいいが、クラスが違うだのそれなりの変化があるだろう。
が、私には関係のない事だった。
小学にも中学にも親しい友達なんていなかったので。

去年よりも難しく、つまらない授業を右から左に聞き流す。
窓際の一番後ろの席が私の席だった。
あまり運がいい方では無い私がこんないい席にあたるなんて。
今年の運をそうそうに使い果たしてしまったかもしれない。
少しこの先の未来が不安になり、ふと窓の外を見た。
青空でも見て、先程湧き上がってしまった小さな不安を消し去ろうと思ったのだ。
今日は、朝から天気が良く、私が望んだ青空がそこにあった。
前の席の人は背が高い人なので、私が窓の外を眺めていようと、先生にバレることはない。
そもそも、先生がかなり高齢で、耳が遠いだの目が悪いだの、悪くいうとガタがきている先生なので、一番前の席で寝ている人にも気づくことは無い。
だから私は、遠慮なく、青と白で作られた綺麗な世界を楽しんだ。
授業中は静かでいい。
休み時間になると途端に、耳障りな雑音がそこらじゅうに溢れる。
うるさくてうるさくて、空も本も楽しめないのだ。
だから、この綺麗な青空を存分に楽しめるのは、きっと、今しかない。

「ねぇ」

というのに、今しかないというのに。

「ねぇ、隣人さん」

暇なら少しおしゃべりしない?

私の右隣に座った少女が私に話しかけているようだ。
面倒くさい。
それしか感じなかった。
だが、このまま話しかけられ続けたら、それこそあのガタが来ている先生でも気づいてしまうかもしれない。
その子は少し声が大きかった。というか、よく通る声だった。

「いま授業中だから。」

話しかけないで。
そういうように暗に伝えた。その子の顔を一瞬たりとも見ずに。

「そうだね」

その子は少し間を置いてから、そう言って、そこからは何も言ってこなかった。

流れていく雲を見ているうちに授業が終わったらしい。
周りに雑音が流れ始めた。

お楽しみタイムはここまでのようだ。

はぁ、とため息をつく。

この先生以外は、割としっかりしている先生ばかりなので、外をぼーっとみていたらおそらく怒られてしまう。

今日は、少ないチャンスタイムに邪魔が入ったせいで、いつもよりも気分が沈んでいた。
うるさい教室から離れようと窓から目線を外すと、隣人と目があった。
隣人である少女は、私と目が合うと途端に嬉しそうにはにかんだ。

「授業中におしゃべりするのはよくないよね!」

だから、今おしゃべりしよう。

私のいつもより落ちていた気分がさらに落ちた。
少し顔にも出ていたと思う。
だが、無邪気さが滲み出ている少女は、私と"おしゃべり"しようと試みているようで、キャッキャと楽しそうに笑いながら、色々な話題を出てきた。

いつもあんなにウザったく思っていた"他人の声"だったが、不思議とその少女の声には不快感を感じなかった。



次の日も、その次の日も隣人の少女は私に話しかけ続けた。
彼女は私のことを「隣人さん」と呼んだ。
そして、なぜだか分からないが、ガタが来ている先生の授業の際には必ずと言っていいほど、私をおしゃべりに誘った。
先日の「授業中に話しかけるのは良くなかった」などと反省しているような言葉は何だったのだろうか。
何度も「授業中だから」と断っているのに。
ただ、休憩時間はよく少女とおしゃべりをするようになった。
おしゃべりというか、一方的に彼女が話しかけてくるだけだが。
私は許可してないのに、あちらが勝手に"おしゃべり"をしてくるのだ。
「授業中だから」という断り文句以外が思い浮かばなかったから。あと、周りのうるさい雑音しか聞こえないよりも、少女の声があったほうがマシだと思ったから。
彼女の行動を許した理由なんて、そんなものだ。

少女が話しかけて来てから2週間たった。
彼女は、毎日のように私をおしゃべりに誘ってくる。
休憩時間におしゃべりをするのはもちろん、やはりあの先生の授業中も必ず誘ってきた。

私の貴重な癒しの時間なのだ。天気がいいと爽快な気分になるし、天気が悪くても、それはそれでこの後はどんな天気になるかな、などと想像してみたりして楽しい。
だから、何度も「授業中は無理」と断っているのに。

あの先生の授業が始まり、今日も今日とて日課の空観察を始めた。
今日は青空だったため、凄くいい気分になった。
ふとその下を見ると、いつ間にか桜が満開になっていた。
少しだけ感動した。

「彼女の笑顔は、春爛漫という言葉が似合うものだった。」

急に先生の声がはっきりと耳に入ってきた。
春を感じていた矢先に、"春爛漫"という聞き慣れない言葉が聞こえたからなのかもしれない。
先生の方を向く。
どうやら、音読をしていたようだ。

「春爛漫とは、花が咲き乱れ、美しく輝く様子のことです。」

初めて知る言葉に無感動にへぇと頭の中で言葉を呟いた。

「ねぇ、隣人さん」

少し、ほんの少しだけおしゃべりしない?

いつものように隣の少女が私に話しかけてきた。

今日は、綺麗な青空で。その下で綺麗な春を見れたから。
理由なんてそれだけだった。

「いいよ」

私は初めて、彼女のおしゃべりの誘いに肯定を返した。
私は初めて、授業中に彼女の顔を見た。
無邪気さが残る少女はきょとんとした顔をしていた。
しかし、蕾が一気に開くように、顔を綻ばせた。

ああ、春が来た。

彼女の笑顔は、春爛漫という言葉が似合うものだった。




『春爛漫』

4/11/2024, 12:26:02 PM