冷端葵

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もしも未来を見れるなら

 私は未来を見たいと思ったことがない。自分の未来なんて不確定だからこそ生きていこうと思えるし、成し遂げたい夢も成功願望もないので未来の自分が大成していようがいまいが興味がない。そもそも未来の自分は今の自分にとっては他人だ。他人の人生を覗いて自分と同一視することを危懼する気持ちのほうが強い。
 それでももし、目の前に天使か悪魔が現れて、未来を見せてやると言われたらどうだろう。もしも本当に未来を見れるなら、やはり見たくなるものなのだろうか。
 仮に天使が現れたら、私は自分の死に様を見せてもらうかもしれない。若くして逝くのか、天寿を全うするのか。穏やかな死か、藻掻くような死か。ゴールの見えないマラソンのような苦しみは、死に様を知れば軽減されるだろうか。
 しかし仮に悪魔が現れたら、私は死に様を見たいとは言わないと思う。悪い未来を見せられそうで怖いから。代わりに明日の天気とか、あるいは何百億年後の宇宙とか、そういう自分に無害な未来を覗き見て、とっとと悪魔が立ち去ってくれるのを待つだろう。
 こうして考えてみても、ゴールを見たい気持ちはあれど、自分の歩む道には興味がないらしい。もしも未来を見れるなら生きる価値が失われてしまう。それが私の人生観なのだ。

4/20/2024, 12:04:45 AM