時間は反復だ、と誰かは言ったらしい。
昼が巡り、夜が来る。
日が昇り、沈む。
時計の針が12から進み、12に戻る。
だから時間は反復だ、と。
今日もまた、ポストには新聞が届く。
私は律儀にそれを取りに行き、トーストを焼く。
時計の針がカチッ、と一分動く。
時間通りだ。六時五分。
新聞を傍に置いて、牛乳を注ぐ。
秒針がチチチチ…と時を刻んでいる。
将来必ず直面する数々の選別に備えて、きっちりスケジュール管理されていた幼稚園児の頃からの過去は、今も私に染み付いている。
焼き上がったトーストを皿に乗せ、テーブルまで運ぶ。
トーストを齧り、牛乳を一口飲んでから、新聞を開く。
機械的に見出しに目を通す。
自分に関わりのあるニュースはないだろうか、と考えながら。
スケジュールを分単位で管理される生活が、つらくなかったと言えば嘘になる。
しかし、安心はできた。
だって、今日が上手くいかなくても、明日も同じように過ぎていく。
今日の六時五分が上手くいかなくとも、明日も同じように六時五分が反復する。戻ってくる。
これが、毎日別の行動をしていれば、予定が狂ってしまうから、やり直しはできない。
しかし、スケジュールを分単位で守っていれば、話は変わる。
もう一度やり直せるのだ。同じ六時五分、同じ八時十分、同じ十九時五十五分を。
だから、私はスケジュールをきっちり守る、窮屈な暮らしも別に嫌いではなかった。
弟妹は嫌いだったようだが。
元恋人も理解できなかったようだが。
到底完璧からは程遠く、何度も何度も反復してようやくモノを覚えるような要領の悪い私には、突発的に行動して、何もやり直せなくなることの方が、ずっと怖かった。
今の親友がまだクラスメイト、という感じだったあの日、私は初めて他人にそんな話をした。
奴は快活に笑って言った。
「お前、時計の針みたいな奴だな」
散々笑われたが、悪い気はしなかった。
それから、私は時計の針になった。
やたら自由を叫ぶ、制限がなくとものびのびと生きていける、優秀な他人の声を、さほど気にしなくても済むようになった。
私は時計の針だ。時計の針のような暮らししかできない。
しかし、時計の針にも、存在する意義がある。
時計の針にも、役目がある。
時計の針がカチリ、と動く。
新聞をめくり、トーストを一口齧る。
六時六分。今日も時間通りだ。
2/7/2026, 1:48:52 AM