地下鉄駅の奥、錆びた非常口の扉を抜けた先に、その喫茶店はあった。
店名は《クロノ》。
外の時間とは異なる規則で動く、いわゆるパラレルワールドの入口だ。
椅子に座ると「別の世界線の自分」と会える。ただし条件が一つ――注文したコーヒーが冷めきる前に、席を立たなければならない。
なので、この店に入る時には予め、何を話すか決めておくことをオススメする
雨で濡れたコートを脱ぎながら、真衣は重い足取りで席に座った。
「……会いたい人がいるんです」
店主は無言で頷き、カウンターで黒い液体を落としていく。
真衣は、ふと窓の外に目をやる。
雨ーー
あの時もこんな雨が降っていた、と心の中で想う。
湯気が立つカップを前に、真衣は鼓動が早くなるのが分かった。
目の前に現れたのは、別の世界の自分だった。
その「真衣」は明るい瞳をして、左薬指に銀色の指輪を光らせている。
「あなたは……結婚してるの?」
「うん。あの人とね」
彼女が微笑むたび、真衣の胸は締め付けられる。
こちらの世界では、あの人――達也は事故で亡くなっているのだ。
こんな雨の日にーー
ふと会話の途中で、背後から冷たい囁きが重なった。
『どうして、こっちに来たの』
耳元に氷のような声。振り返ると、客のいないはずのテーブルに、影が座っている。黒い靄のような、顔のない「誰か」。
指輪を嵌めた真衣が怯えた声を上げた。
「この世界ではね、彼を失わなかった代わりに、“私”を失うの。影に喰われて……。だから――あなたの涙が、私の代わりに流れる」
コーヒーの表面が静かに揺れる。
真衣の頬を、熱い雫が伝った。理由もわからず、ただ溢れて止まらない。
自分ではなく、もう一人の「真衣」の痛みを泣いているのだと気づいたとき、カップから立ち上る湯気が消えかけていた。
「戻らなきゃ……」
椅子を離れる直前、影が伸ばした手が視界を掠めた。掴まれれば、二度と帰れない。
次の瞬間、真衣は《クロノ》の薄暗い店内に引き戻されていた。カップのコーヒーはまだ温かい。
涙を拭い、呼吸を落ち着かせる。
涙の理由は、誰のものだったのだろう。
それを知ることは、もう二度とできなかった。
《クロノ》のドアベルが鳴った。
パラレルワールド、コーヒーが冷めないうちに、涙の理由の総集編です。
涙の理由
ある国の王子が百年前に眠りにつかされていた。
彼を解き放つには、純粋な涙が必要だという。
それは小説の中で読んだ話。
しかしそれを知ったことをキッカケに、主人公は奇妙なことに巻き込まれていく。
それは、ある日の夜の事だった。
突然の金縛り。
主人公は、初めて体験する金縛りに恐怖と焦りをかんじていた。
ーーなに、これ。金縛りってやつ?何で?ーー
焦りと恐怖は次第にピークに達していく。
そのとき、耳元で声がした。
「お前が泣いたとき、封印が解かれる」
封印?
私が泣いたとき?何の話?
やがて、金縛りはとけた。
だが、もうその日は寝ることができなかった。
部屋中の電気をつけ、朝まで起きていた。
鳥の声で、ようやく私は緊張の糸を解いた。
しかし、次の瞬間、昨日の声が頭の中で響いた。
「純粋な涙をもらうために、お前の大切な人をもらっていくよ」
その瞬間、訳の分からない涙が伝った。
こんなわけの分からない、涙の理由何て知りたくない。
私は誰を失った?
思い出そうとすればするほど、その輪郭は遠く遠ざかっていく。
私は、あなたの何でしたか?
9/27/2025, 10:40:07 AM