sairo

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赤く艶やかな果実を一つもぎ取る。
しゃり、と音を立てて囓れば、広がる甘酸っぱさに目を細めた。

今年も無事に実りを迎える事が出来た。
上等だ。きっと満足してもらえるはず。
そう思えば、緩む口元を押さえる事が出来なかった。
手をかけてきたものが、こうして最良の結果を伴って応えてくれる。この瞬間が、何よりも好きだ。
たわわに実る種々の果実も。
一面に広がる黄金の稲穂の海も。
心を躍らせ、目を楽しませてくれる。

しゃり、とまた一口果実を囓る。
ふふ、と声には出さずに笑んで。
瑞々しさを咀嚼し、甘露を嚥下する。
また一口、と口にしようとして。

「あぁ、今年もよく実っているなぁ。実にうまそうだ」

しかし背後から聞こえた声に、手を取られてかなう事はなかった。
しゃり、と手にした果実を囓られる音がする。

「うん。やはりうまいな」

穏やかな声に、硬直する。
一呼吸置いて、じわじわと全身に巡る熱に、慌てたように身を捩った。

「ちょっと、勝手に食べるな」
「いいじゃあないか。少し前までは、儂の膝の上で喜んで食わせてくれただろうに」
「それは小さい時の話だろうに。いつまでも引きずるな、じじい」
「すっかり口が悪くなってしまって。儂は悲しいぞ」

まったく悲しげなそぶりも見せない、笑いを含んだ声音。
さらに熱が駆け巡り出すような錯覚に、耐えきれずに逃れようと暴れ出す。
だがその反応すらも楽しむように、腰に手を回され体を引き寄せられ、いとも簡単に抵抗を封じられてしまう。

「ちょっ、と。離せ、こら。このっ、変態!」
「酷いなぁ。大きくなったら儂のお嫁さんになると、あれだけ言ってくれていたのになぁ」
「だからっ、それは小さい時の話でっ!」

触れている体に、呼吸がうまく出来なくなってくる。
胸の鼓動が忙しなく、巡る熱が動けない体の代わりに暴れ出す。
後ろにいてくれて良かった。今のこの顔を見られずにすんでいるのだから。
恥ずかしくて、うれしくて、死んでしまいそうだ。

「おまえが育てたものは実にうまいな。あやつに引けを取らん。あやつが常世を渡り心配ではあったが、おまえは実によくやってくれているよ」

しゃりしゃり、と果実を食べる音。
合間に囁かれる言葉に、暴れていた熱が勢いを少しだけ殺し、胸の痛みを生み出した。

「寂しくはないか。一人で泣く事はなくなったと聞いているが、我慢はするなよ。溜め込まずに、儂らに吐き出してしまえ」
「別に、我慢なんてしてないし。一人でも、大丈夫だから」

熱が勢いを殺していく。
胸の痛みが強くなり、きゅっと唇を噛みしめた。
恥ずかしい気持ちも、うれしい気持ちも凪いでしまい、虚ろな残り滓が澱みのように溜まっていく。

「強情者め。一体誰に似てしまったのだろうな」

呟く声は、珍しく少し寂しげだ。

「一人にしているからか。それならば」

芯まですべて平らげて、ようやく手を離される。
けれどそれを寂しいと思うより早く、くるりと体を反転させられ、抱き上げられた。
久しぶりに見る変わらぬ姿に、間近で見る顔に、凪いでいた気持ちや熱が再びこみ上げてくる。
澱みが一瞬で流されていくのを感じた。

「なっ!?」
「前のように、儂が世話を焼いてやろうなぁ。食事も湯浴みも任せておくとよい。夜は眠れるまで話をしてやろう」

あやすように揺らされながら、歩き出す。
家に戻るのだろう。懐かしいと、微笑むその横顔に、文句は言えず。

「あやつは母でありながら、子を育てる事にはとんと向いていなかったからなぁ。儂らがおらんかったら、今頃おまえはここにいなかったかもしれん」
「お母さんの悪口は、やめて」

確かにそうではあるけれど、と思いながらも否定する。
仕方がない事だ。人には向き不向きというものがある。
それに、正確には子育てに向いていないというわけでもない。
ただ張り切れば張り切るほどに空回りをして、惨事を引き起こしていたというだけだ。

「それと、まだやる事がたくさんあるから、下ろして」
「収穫ならば、出来るモノが他にいるだろう。たまには休む事も必要だぞ」

それに、と懐かしむように、期待に心躍らせるように、彼は子供のようなきらきらした表情で笑う。

「久方ぶりにおまえの世話が焼けるのだ。儂の密やかな楽しみに付き合ってはくれないか?」
「…ずるい。収穫、楽しみにしてたのに。いやと言えなくしないで」
「ならば、明日は一緒に収穫しようなぁ」

益々笑顔になる彼から顔を背け、小さく馬鹿、と呟いた。
顔が熱い。体の熱が、ぐるりと巡る。

待ち望んだ、年にこの時期だけの特別な瞬間は。
結局は、彼と一緒に過ごす一時の喜びに負けてしまうらしい。

「さて、夕餉は子らに頼んで沢で魚でも捕ってもらうか。最近は食事が疎かになっていたとも聞く。そこはあやつに似らんでくれよ」

歌うような囁きに、肯定も否定もせずに目を閉じる。
とんとん、と背を優しく叩かれ、寝かしつける心地良さに微睡んで。

踊るような鼓動の高鳴りに、気づかれぬように一人笑った。


20241010 『ココロオドル』

10/10/2024, 9:57:19 PM