君の名前を呼んだ日
君は独りで生きていた。
誰にも気付かれず、
街の片隅の暗がりで、
人に怯える野良猫の様に、
息を潜めて暮らしていた。
君の名前を呼んだ日。
私は、この生命を掛けても、
君を護ろうと決めた。
君は充分過ぎる程に、
心も身体も傷付き、
冷たい世間の視線と、
醜い社会の汚泥の中で、
藻掻き苦しんだのだから。
君には、
幸せになる権利がある。
もう、他人に振り回されて、
辛い思いをしなくて、いいんだ。
君は今、
泣き笑いの様な顔をして、
私を見詰めている。
私の腹部からは、
鮮血が止め処なく流れ出し、
君の手には、
私の血で真っ赤に染まった、
ナイフが握られている。
君は、声にならない声で、
私の名を呼ぶ。
その澄んだ瞳からは、
涙が幾筋も溢れている。
けれど、私にはもう、
その涙を拭ってあげることは、
出来そうも、ないんだ。
か細い三日月が、空に浮かぶ夜。
不安で震える君に、
私が誓った事を覚えているかな?
君を護る為なら、
生命を捨てても構わない、と。
その、私の言葉に、
君は頷いてくれたよね。
だから、
泣かなくて、いいんだよ。
これで私の人生が終わろうとも。
君との約束を守った、
…それだけの事。
私の生命と引き換えに、
君が、悪夢から解き放たれるなら、
こんな私でも、少しは、
君の支えになれたのだと、
自分に誇れるのだから。
どうか、
後ろを振り向かず、
真っ直ぐ、夢に向かい、
歩いて行って欲しい。
最期に。
君の笑顔を見せて欲しい。
さぁ。
…笑って。
〜〜〜〜〜
やさしい雨音
貴方はここに居ます。
春の柔らかな日差しに、
微睡むように、穏やかに。
触れれば温かくて。
胸に耳を当てれば、
鼓動が聴こえます。
誰にでも優しかった貴方。
弱い私を護ってくれた貴方。
ずっと一緒に、生きていけると、
信じていたのに。
優し過ぎた貴方の心は、
世の中の悪意に、
無惨に傷付けられて、
壊れてしまったのです。
そんな貴方は、
まるで人形の様で。
目は開いていても、
何も写してはいなくて。
声をかけても、
返事は返ってこなくて。
それでも、貴方は、
ずっと変わらず、
私の大切な人。
とくんとくん…。
貴方の鼓動が、
やさしい雨音の様に、
音を立てて。
ぽつりぽつり…。
私の心の中に、
雨垂れの様に、
波紋を作ります。
想い出の中で、
永遠に色褪せる事のない、
愛おしい貴方の微笑みと。
今、ここにある、
器だけの貴方の面影に、
そっと縋るのです。
そして、私は、
やさしい雨音に包まれて、
貴方の戻る日を、
永遠に、待ち続けます。
5/26/2025, 12:22:42 PM