「誰もが苦しんでいるし、悩んでいます。みんな同じです」
担任が病欠で、非常勤講師が代わりに授業を行った日。
人権学習で「いじめ」についてのDVDを流し終わり、彼女は何を思ったか、そんなことを口走った。
その様子はただ無表情に、DVDの内容なんてどうでも良さげだった。
彼女の瞳には傷ついて涙を流す少女の姿が、別の化け物にでも見えていたのだろうか。
みんな同じ、だからどうしたのだろう。
いじめられっ子が学校に行けなくなったのを自意識過剰だと非難するつもりか、もしくはいじめっ子にも相応の理由があるから許すべき、と諭すのか。
馬鹿らしい。
どこまでも外野の意見だ。
当人にしか分からないことを分かったような気になって、朗々と言い捨てるとは。
どうせいじめに遭ったこともなく、ぬくぬくと育ってきた人なのだろうと、私は見当違いな考えを話す彼女を見て思った。
けれど、それはあくまで偏見と憶測に過ぎないのだ。
彼女の発言から育った環境を推測し、罵る。それこそ馬鹿のすることだろう。
しかし、誰もが苦しんでいるし、悩んでいます、という言葉には多少なりとも同意した。
誰もが苦しんでいるし、悩んでいる。
だからこそお互いに手を差し伸べるべきだ、と世間は言う。
「どれも綺麗事に過ぎないんだけどなあ」
社会に出たこともなければ大人を知ろうとしたこともない。
ただ、現状が理想に程遠いことは知っている。
いつかはそうなれば良い。
だから、私もこれから会う誰かには手を差し伸べようと、密かに決意した。
誰もがみんな、ひとり寂しく泣かないように。
2/10/2024, 4:20:43 PM