薄墨

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柿を齧る。
青くて、渋くて、固い。
今の夕焼けには溶けそうにない、未熟な柿だ。

阿呆、阿呆、と烏が罵りながら頭上を飛んでいく。
傾いた日が、この枝からはよく見える。

ゴーン…と鐘の音が響く。

昨日の夜、兄ちゃんが死んだ。
身体の弱い兄ちゃんだった。
いつも帰ってくるなり、倒れ込むように眠りこけていた。

その兄ちゃんがいなくなった。

かなかなかな、と蝉がなく。

兄ちゃんは俺たちとは随分歳の離れた兄ちゃんだった。
俺とは十も違った。
兄ちゃんは、俺たちにいろんな遊びを教えてくれた。
街からここに帰ってきた時には、毎回必ずお土産を渡してくれた。
母さんに内緒でおやつを分けてくれた。
兄ちゃんはいつも笑っていた。

ゴーン…鐘の音が鳴る。

“逆縁”になると、死んだ後の世界でずっと石を積まなくてはいけないらしい。
親戚の大人たちがそう言っていた。
逆縁ってなに?
聞いてみたけど、母さんは泣きそうな顔でただ首を振った。

兄ちゃんも今頃石を積んでいるのだろうか。

兄ちゃんは向こうで死んだらしい。
兄ちゃんが働いていた街の、兄ちゃんの家で。
兄ちゃんは一人で死んだらしい。

ゴーン…鐘の音がまた鳴る。

最後に会った時、兄ちゃんがこの柿の木を教えてくれた。
[弟妹達には内緒だぞ?危ないからな。お前ももう九だから…兄ちゃん同士の秘密だぞ]
兄ちゃんは俺の頭を撫でて、ちょっと悲しそうに笑った。

ここからは町が一望できる。
町の夏祭りの時の花火も綺麗に見える。
兄ちゃんが自慢げに教えてくれた。

お盆休みの最後の日。
兄ちゃんが街に帰る日のことだった。

かなかなかなかな、蝉が鳴いている。
ゴーン…鐘の音が体の芯に響く。

柿を齧る。
青臭くて、苦くて、シバシバする。

ゴォン…ゴォン…
鐘の音が町中に響いていた。

8/5/2024, 1:00:01 PM