"スマイル"
開院前、洗面所の鏡に向かって笑顔の練習をする。
口角をいつもの高さまで上げる。
「……」
周りから見れば微笑の高さ。だが体感では結構高くあげている。ここまでは大丈夫。そして更に口角を上げようと試みる。
五ミリほど上げる。
すると、口角周りの筋肉がプルプルと痙攣しはじめた。
「はぁ……」
すぐに口角を戻して、ため息を吐く。
──やっぱりダメか……。
「やっぱ俺なんかに笑顔は似合わねぇか」
鏡の中の自分に向かって小さく呟く。
小さく呟いた筈なのに、まるで反響して大きくなって耳に嫌に響き、それが反射して自分自身の心に強く突き刺さる。鏡の中の自分が、痛みに顔を歪ませる。
「みゃあ」
視線を落として足元を見ると、ハナが俺の足に前足をかけて立ちながら、俺の顔を覗き込んできた。
「なんだ、抱っこか?」
ハナを持ち上げて抱き込む。
「お前、この間測った時より重くなったな」
ハナの成長にしみじみ言うと、「むぅ」と今まで聞いた事の無い唸り声を漏らした。「悪ぃ悪ぃ」と背を撫でる。
「お前女の子だもんな。猫でも体重気になるもんな」
「みゃあん」
控え目な小さい声で返事をする。
すると急に首を伸ばして、俺の口角辺りを舐め始めた。
「うおっ、ちょ、やめ……」
ふと、ハナと出会った時の事を思い出す。
──あの時もこんな風に、同じところ舐められたっけ……。
やめろ、とハナの頭を撫でていると、不意に鏡が視界に入った。鏡の中の自分は、先程一人で練習していた時より口角を上げていた。
──俺、こんなに笑えるのか……。
鏡の中の自分に驚く。けどすぐに落ち込ませる。
──けど人前でこんな笑ったら不気味がられるか、変に心配されんのがオチだな……。そもそもハナのおかげなのが大きいし……。やっぱり補助がないと無理か……。
落胆しながらハナを床に下ろす。
「さて、お前はそろそろ部屋ん中に行く時間だぞ」
そう言って傍に置いていたハナのトイレを持つと「みゃあ」と鳴いて、先陣を切って居室に入っていく。それについて行き、机の下にトイレを置く。
「じゃ、行ってくる」
「みゃあん」
ハナの声を聞いて、居室の扉を閉めた。
2/8/2024, 1:54:41 PM