G14

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 俺は自動車免許をとるため、自動車学校に通っていた。
 勉強嫌いの自分は筆記試験になんとか合格。
 そしていくつかの講義を受け、ようやく実際に車を運転することになった。
 緊張するけど、それ以上に楽しみだ。

 そして免許を取った後は、気になるあの子とドライブデート。
 少しずつ距離を縮め、ゆくゆくは恋人に……
 よーし、がんばるぞ

 未来に希望を膨らませながら指定された場所に行くと、担当の人が待っていた。
「こんにちは、担当の加藤です。
 木村さん、よろしくお願いします」
「お願いします」
「では早速ですが、実際に運転してみましょう。 
 では運転席にどうぞ」
 俺は加藤さんに勧められるまま、車の運転席に乗り込む。

「今回は初めての運転ということで、最初に大切なことを教えたいと思います。
 木村さん、自動車運転で何が大切か分かりますか?」
「えっと、安全運転、ですか?」
「はい、正解です。
 具体的には『かもしれない運転』を心がけましょう。
 講義で聞いていると思いますが、車を運転する上で思い込みは大変危険です」
 飛び出すかもしれない、止まらないかもしれない……
 道路には危険がいっぱいだ。

「こういう事は経験してみるのが一番良い。
 車を発進させてください。
 ゆっくりでいいですよ」
「分かりました」
 加藤さんの言葉に従い、車をゆっくりと走らせる。
 軌道に乗ったことを確認した加藤さんは、助手席から話しかけてきた。

「それでは前を見て運転しながら聞いてください。
 これから『かもしれない運転』の練習をして言いましょう。
 あそこに脇道があるのが分かりますか?」
 運転に集中しながら、先の方をみると脇道らしきものが見えた。

「この練習場はとても見晴らしがいいのですが、今回に限ってあそこは家の塀で見通しの悪い脇道であるとします」
「はい」
「木村さん、想定される危険は何か分かりますか?」
「そうですね……
 『あの塀の影から子供が飛び出してくるかもしれない』ですか?」
「素晴らしい」
 加藤さんは嬉しそうに手を叩く。
 少し大げさだと思うが、不思議と悪い気はしない。

「その通りです。
 子供に限らず、バイクや車も一時停止せずに出てくることもあります」
「止まらない車がいるんですか?」
「はい、『どうせ車はいない』という思い込みによって一時停止を無視し、出てくる時があるんです。
 ですので『かもしれない運転』は大事なのです」
「なるほど、そういう事もあるんですね」
 なんか車を運転するのが怖くなってきたな……

「歩行者も運転者も、事故をしてしまっては不幸なだけですからね。
 常に最悪を想定していきましょう」
「『最悪』ですか?」
「最悪を想定しておけば、いざそれが起こっても冷静に対処ができますからね。
 滅多に起こる事ではありませんが、しかし無いわけではありません。
 備えは大事ですよ」
「なるほど」
 滅多に起こらないが、だからこそ準備が大事なのか。
 心に刻んでおこう。

「では悪い方向に、最悪を考えていきましょう」
「悪い方向?」
「はい、これは練習です。
 いろいろ想定していきましょう」
「と言っても他に出てくるものありますか?」
「ありますよ」
「例えば……」
「例えば?」
「例えば、の道路の影から元カノが出てくるかもしれない」
 思わずブレーキを踏む。
 今なんて言った?

「ダメですよ木村さん、元カノに反応してしまっては……
 まだ未練があると思われますよ」
「そういう事じゃなくって、え、元カノですか?」
「はい、世間は狭いのです。
 元カノが脇道が出てくることもあります」
「確かにそうですけど……」
 確かにありえなくもないけどさ。

「もし急ブレーキをかければ、元カノがこちらに気づき警察を呼ばれます。
 別れた男が付き纏っていると……」
「やけに解像度高いですね……」
「経験しましたから」
「えっ」
「私が若い頃、そんな経験をしましてね……
 私は想定不足で警察を呼ばれてしまいましたが、木村さんには悲劇を経験して欲しくないんですよ。
 では次行きましょう」
 加藤さんの指示で、再び車を走らせる。

「次は……
 対向車線から車が来ます。
 何が起こると思いますか?」
「車がはみ出してくる?」
「いえ、対向車線の車に、今カノと知らない男が仲良さそうにドライブしています」
「えっ」
 思わず、木村さんを見る
「ダメですよ、よそ見をしては……」
「すいません」
 前に視線をもどす。
 一瞬であったが、自分の車が車線からはみ出していた。
 わき見は危ないと知っていたが、その意味を身を持って体験した。

「木村さんは一瞬でしたが、私はがっつり見てしまいました。
 その結果、道路のガードレールにぶつかり、警察にお世話になりました」
「はあ」
 この人、異性トラブル多いな。

「ガードレールがあったので、人を轢かずに済みましたが、どこにでもあるわけではありません。
 気を付けてくださいね」
「わ、分かりました」
 怖い。
 車の運転じゃなくて、加藤さんが怖い。
 よく教習員なれたな。
 あ、反面教師的に雇われたのかな?
 俺がいろいろ推察しているのも知らず、加藤さんは次の言葉を続ける。

「次行きますね。
 そこの交差点、信号が赤になったことにして停止してください」
「はい」
 俺は停止線の手前で止まれるようにブレーキをかける。
 だが停止線のかなり手前で止まってしまった。
 意外と難しいな。

「初めての時はこんなものです。
 さて、そこに商業ビルがあるとしましょう。
 想像してください」
「はい」
「その商業ビルには大きな液晶モニターがついてます。
 あなたは信号待ちの間、そのモニターを見ています。
 さて想定される『かもしれない』は何でしょうか?」
「うーん。
 見過ぎて信号が変わったことに気づかないとかですか?」
「いいえ、『モニターに自分が推しているアイドルの結婚記者会見が流れる』です」
「それは……きついっすね」
「私はそれを見て激しい動機に襲われ、最終的に救急車で運ばれることになりました……」
 本当にトラブル多いな、この人。
 不安になって来たぞ。

「そんな時どうすればいいか、分かりますか?」
「ええと、分かんないです」
「ハザードランプを出し異変を知らせ、ハンドブレーキをかけて、車が動かいないようにします」
「あ、見た後の対処なんですね」
「こればっかりは避けられませんからね」
「そりゃそうですけど」
 さすがにこれは違うような気もするが……
 しかし、急に心臓発作が起こり、運転できなくなるという話は聞いたことがあるので、この事は覚えていていいのかもしれない

「それで次なのですが――」
 その後も講習は続き、加藤さんから『かもしれない運転』を教え込まれたのだった。

 ◆

 数か月後、無事実技試験に合格し、免許を取ることが出来た。
 意外であったが、加藤さん直伝の『最悪が起こるかもしれない運転』はなかなか役にたった。
 こうして初心者マークでありながら、どんな危険にも対応できるよう運転できるのは加藤さんのおかげだろう。
 感謝してもしきれない。

 あとは経験だけだと、自宅周辺の道路を練習がてら走っていると、物陰から出てくる人影が!
「あれは!」
 物陰から出てきたのはだれであろう、気になるあの子。
 しかも、仲良さそうに男と腕を組んでいる。
 とんでもない物を見てしまった。

 俺は二人を目線で追いかけそうになるも、すぐに気を取り直し前を見る。
 最悪を想定してよかった。
 もし、最悪の想定訓練をしていなければ、動揺し事故をおこしていたことだろう。
 危ない危ない。

 事故は回避した。
 だが自分の心にはくすぶった感情があった。
 この状態のまま運転するのは危ないと判断し、休むことにした。
 こういうとき、どうすべきかも加藤さんから教わっている。

 俺は他の車の邪魔にならないよう、道路のわきに車を寄せる。
 安全な場所に、ハザードランプを点けてハンドブレーキをかけて停止。
 安全を確保した後、車内で一人呟く。

「いや、最悪の気分だわ」
 車の中でちょっとだけ泣いたのだった。

6/7/2024, 4:35:22 PM