「あ〜、素敵な恋愛したい!」
そう願う人は多くても、心が粉々になるような失恋がしたい、と願う人は少ないのではないだろうか。しかし物好きはいるもので。
「あなたと味わう失恋の味」
そんなテーマのディナープランがあると聞いて、海沿いのこじんまりとしたビストロに彼とやって来た。恋愛中の私たちが失恋を味わうって何?と面白がって。
大きく窓の開いた、目前に海の広がるテーブルに案内される。ちょうど夕陽が沈みはじめた、サンセット・ディナーだ。プレートの上に置かれたのはメニューではなく、但し書き…?
「失恋プランへのご参加ありがとうございます。これから楽しんで頂くのは、幸せなお二人にとっての最後のディナーです。今夜を境にもう、二度と会えない。今までお二人がともに過ごした日々を思い出し、語り合いながら、ゆっくりとご堪能下さいませ。」
えっ。そういう事か。なり切って楽しむってことね。そんなの上手く行くのかな?彼と私は顔を見合わせて苦笑いしつつ、せっかくの趣向だからその気でやってみるかということになった。
食前酒のスパークリングワインを飲みながら、初めて出会った日のこと。第一印象はどうだった?なんて改めて聞くのも甘酸っぱい気持ち。
オードブルのホタテと地野菜のマリネが美味しい。夕陽が沈んで、空の色が海に馴染んでいく。一緒に観た映画のあれこれ、出演俳優のその後についてなど。
冷たいにんじんのポタージュは先刻までの夕空の色。美味しいね、と言いながら二人で出かけた食べ歩きの話になり、あちこちで食べた何が一番か、ランキングを考えたり。お互いの好みや苦手なものにこんなに詳しくなっていたことも再確認。バゲットも美味しい。せっかくの海辺だからと二人とも魚を選んだメインの頃には、何度もケンカしたこと、何度も何とか仲直りして今があること、でも今日で、これでお別れなこと…って本当になり切って胸がいっぱいになってきた。
積み重ねてきた、たくさんの思い出。自分一人じゃない、二人一緒の景色がつぎつぎ脳裏をよぎる。デザートはジェラートとフルーツの盛り合わせ。メロン好きでしょ、とわたしにくれる。涙がでてきた…なんで!?なり切りなだけなのに!いやだ、そんなの。お別れしたくない!!すっかり真っ暗な景色に星が滲んで見える。きらきらしてきれい。
食後のコーヒーにはメッセージカードが添えてある。
「太陽が消えた夜空に月や星の光が増すように、失うことを思ったとき恋心はより募ったでしょうか。ディナーの間だけの失恋はいかがでしたか?どうぞ末永くお幸せに…!」
もう!募ったでしょうか、じゃないよ!
変なプラン!!ばかみたい!
でもいいか、なんだか今とても愛に溢れた幸せな気持ちになってるし。彼の方はなんだかフツーに「そういう設定なだけでしょ」とか言って澄ましていて腹が立つけど、さっき涙目だったの知ってるから許す。
「失恋」
#124
6/3/2023, 12:02:00 PM