ゆずし

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 妊婦の方が電車に乗ってきた。
 親切心というのは、咄嗟に出るものじゃなくて習慣的に養っていくものだと思う。ぼくは条件反射的に席を立ってその人に席を譲っていた。

「ここどうぞ」
「あら、ありがとう」


「せっかくデート中なのに隣を譲っちゃうなんてね」

 そういえば、今日のぼくは彼女とデート中だったのを忘れていた。明らかにへそを曲げている彼女になんとか機嫌を直してもらおうと謝り倒していると、「冗談冗談」といたずらっぽく笑った。

「君の親切にケチつける訳ないじゃん」

 よかった。怒っていなかったようだ。

「さっきの人、妊婦さんだったね」
「うん。じゃあ君は、二人に席を譲った事になるね」
「ええ? 胎児も一人に数えるのか?」
「胎児にも相続権はあるんだよ? 日本じゃそう珍しい考え方じゃないんだよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」

 お腹の中に眠る小さな命もまた、ぼくらと同じなんだ。
 彼女の手が、ぼくの手をそっと握り締める。

「私達も……いずれは、ね」
「あーうん。そう、だね」

 耳まで真っ赤にした彼女は、しばらく顔を合わせようとしなかった。

2/25/2023, 2:52:40 AM