ねこ

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眠い目を擦って、心地よい眠りから体を剥がした。
目の前の液晶には、15:51の文字が写っていた。

今日は三連休のど真ん中、私は昼夜逆転のど真ん中だった。
普段は学生として最低限の生活リズムを保っているというのに、昨日1日で何があったのかというと、端的に言えば夜更かしをしてしまったのだ。

まあ大学生とはそんなもんだろうと思う気持ちもある一方で、昨日の夜更かしについては特筆したい点が結構あった。他者からすればこれも取り留めのないことかもしれないが、私にとっては大事な自分の一部だ。

そういうわけで、今日はその内容をここに書き留めていこうと思う。



___まず、昨晩の夜更かしの発端について。

夜更かしの原因は人によってさまざまだと思うが、私の場合、日中に思い残したことがある場合に、夜更かしでそれを穴埋めしようとして起こるものが多い。
それらに効果がない、むしろ逆効果ですらあることは火を見るより明らかだが、それが本能として備わっていることもまた同様に明らかである。

ではその作用を引き起こした引き金が何かというと、「自尊心の擁護」である。

私はデザイナー2人を両親にもっている。父の方は私と性質が似ているが、あまり頻繁には話さないのでここでは割愛させていただく。
今話の手綱を握っているのは、母の方だ。母は理詰め派の父や私と異なり、圧倒的にセンスの人だ。故に、プレイヤー側として仕事をする人間である。実際、私もデザインを学ぶものしては尊敬するところが多々ある。

ただ本当に申し訳ないが、母は絶対に教育者としては向いていないと思う。なぜわざわざ実親にこんな嫌味を挟むのかといえば、これが今日の本題だからだ。

私は結構理詰め派の人間だと自負しているが、その割に人の心は失っていない自信がある。なにせ、私自身が感情の機敏すら理詰めで攻略しようとするような人間だ。
ただ率直にいえば、私にはセンスがない。
母とは正反対に近い性質を持っている。
センスをセンスとしてそのまま扱える母と、センスというセンスを理詰めで吸収して武装する私。
結果は同じに見えるが、たまにどうしても相性の悪さが露呈する。

本来なら、その隙間すら理詰めで少しずつ考えていくのが私の人生の醍醐味と言ってもいいくらいなのだが、今回は少し訳が違う。
本来私の中ではあまり起きなくなっていた事故が、最近母との間で多発していると感じたからだ。

私は趣味でイラストを描いているのだが、そこで一つ学んだことがある。

「作者と作品の評価を混同してはいけない」。

ひいては、ことわざにも『罪を恨んで人を恨まず』とあるように、コトとヒトは区別して考えなければならないと深く心に刻んでいる。

大学で学び始めてから、その線引きは少しずつ日常に染み付くようになった。
中学や高校ほど距離の近い先生もいないので、完全に仕事の話として割り切った話し合いが可能になり、どことどこを切り離して話すべきか自分の中で明確にして取り組むことができたし、実際そっちの方が傷つかないし成長できるし一石二鳥だなと感じていた。



そこで話は昨日の昼に遡る。

この冬休み中、大学からはパッケージデザインの課題が出ていた。
初めて作るパッケージのデザイン案は、何度も何度もこねくりまわし、なかなか思うようにそれらしいパッケージとして完成しなかった。
とはいえ、少しずつ着実に好みに近づき、課題としてもある程度相応しいレベルになっていくそれに、ちょっとずつ愛着が湧いていた。

ただ不思議なもので、染み付いた癖のおかげか、今これについて大学の先生に何か言われても、私は吸収したいと考えるだろうと思った。自分から聞きに行きたいとすら思える。なぜなら、このパッケージは自分が全身全霊取り組んだ「良いもの」であると確信しているからだ。その先で何を言われても、もはや糧にしかならないと感じた。


しかし、実はそこにはひとつの落とし穴があった。


センスについて信頼を置いている母にも、もちろんこの課題については相談させてもらっている。
昨日もそのことについて話していたのだ。
正直自分の主観的記憶なんていくらでもねじ曲げられていそうで怖いが、掃き溜めのつもりでそのまま記しそうと思う。

結論だけいえば、私は母からのアドバイスにめちゃくちゃむかついた。苛立ちが抑えられず、やる気が削がれ、いわゆる「萎え」を感じた。
私は最初、原因がよくわからなかった。ただ、母のアドバイスを聞いている間、やけに思考が感情に奪われやすくなり、素直に聞き入れることができなかった。
そもそもあちらも仕事中に電話をかけていてくれていたので、こちらを気にかけてくれている時点で感謝しないといけないのだが、その時はまるで拗ねた子供のように聞く耳を持たなくなっていた。
昼夜逆転の副作用かとも思ったが、それだけでは足らない何かがある気がした。そもそもこれは初めての話ではない。似たような何度かあった。


どうせやる気も失ってしまったことだし、今回は原因について分析してみることにした。

そして私は、とりあえずふたつのことに気がついた。
まずひとつ目。大学の時にできていたヒトとコトの区別ができていない。
次にふたつ目。大学では先生が褒めを挟んでくれるが、母は私のことをほとんど褒めない。
これは後から考えた結果、ふたつ目が発端でひとつ目が作用し、最終的に苛立ちに繋がったと考えられる。

要するに、大学と違って褒められることがないからへどを曲げてしまったのである。なんとも可愛らしい、そしてしょうもない話だ。

最終的には、大学という研究機関が流石だという結論に落ち着いた。

まずは褒めと共感を差し込むことで自尊心や承認欲求を満たし、その後にアドバイスを送っているから私は普段素直に受け取ることができていたわけだ。

しかしその「自尊心や承認欲求を満たされた状態」は、学習において絶対に外せない大事な状態だ。これなしで行くのはなかなかの猛者だなと思う。

今後は、褒めが入らない環境下でどうやって自分の自尊心をうまく保つかコントロールできるようにならねばなるまい、と頭を抱えることになった。




...さて、オチも何もなく、この話はこれで終いです。
ただのつぶやきを読んでいただき、ありがとうございます。


テーマとは少しズレた話になってしまいましたが、実際のところ、感情の荒波を少しでも抑えようとする自分の姿は、夢を見ていたいだけの賢い幼子に見えてしまうのですよね。




今日のテーマ「夢を見てたい」

1/13/2024, 11:23:05 AM