量子は、可能性の塊だ。
観測するまで、ありうる全ての観測の結果が折り重なって存在している。
そして、世界は量子で出来ている。
つまりこの世界とは、可能性の岐路を、観測によって選択した瞬間の連続によって形作られているのだ。
つまり、この瞬間にも僕には可能性の結果が幾重にも折り重なっているのだ。
不慮の事故で死ぬ可能性、何事もなく生きる可能性、食後のコーラに、ペプシを選ぶ可能性、またはコカ・コーラを選ぶ可能性…。
人生の岐路というのも、得てしてそういうものだ。
岐路の前に立つ者は、進むべき道…もしくは進まないという選択をして、可能性の結果を観測しない限りは、無限の可能性が折り重なり、世界線を跨いで無限に存在する。
光が波か粒かなんて、結局のところ、観測者が解釈し、選択して、観測してみない限り分からないんだよ。
と、語る私の話を聞いていた君は首をちょっと傾けた。
「…つまるところ、私が決めるまでは無限の可能性が重なった状態だから、結果は私次第…最終的にどうなるか選択するのは私…ということですか?」
私はパソコンに目を移しながら答える。
「そういうことだね」
君の目線は、二次元方向に大いに逡巡する。
一通り逡巡したあと、君は私の方をまっすぐ見つめる。
「…人生の岐路に立つ部下に対しての励ましの言葉くらい、もうすこし素直にかけられませんか?」
私はなるべく君の目を見ないで答える。
「かけられないねぇ。私は捻くれ者だから」
「なんであなたに友人や助手がいないのか、分かった気がします」
「それは良かった。互いの理解が深まったじゃないか」
君は安堵とも諦観ともとれる、深い溜息をつく。
「ほんとう、最期まであなたは変わらないでいてくれるんですね」
ああ、君はそういう奴だったな。私は心の裡でそう呟く。君に目の前の二つの岐路なんて意味を成さないのだったね。トロッコ問題で、自分を使って止めるなんて、破滅的で自己犠牲的な答えを出すような奴だ、君は。
私は体だけ君の方に向き直り、君の目を見ないで答える。
「もちろん。君が世界の命運を握っているのだとしても、君は私の大切な友人で、助手じゃないか」
それとも、準英雄としての手厚いおもてなしを御所望だったかな?私がそう軽口を叩くと、君はクツクツと肩を揺すった。
いつもと変わらず、可笑しそうに笑う。
そして、目線を合わせてくる。
こちらを真っ直ぐと見る。
「ありがとうございました。最期に話せた人間が、あなたで良かった」
「そうか、テキトーに生きてきた私には重たすぎる賞賛だな」私は目を逸らして、答える。
「それでは失礼します」
いつもと変わらない声で、君はそう言って、部屋を出ていく。その背を私は見送る。
…きっと君は、宇宙の可能性を閉ざして見せるんだろうな。
正義感と博愛の強い君は、この世界に住む人々のために、この世界を滅ぼすんだろう。
この世界を世界の外側から観測している、“観測者”たちからの視線を、断つために。
疲れのままに、椅子にゆったりともたれる。
この世界を観測している、別次元の人間がいることを私たちが観測したのは、65日前。もう2ヶ月も経っているのだな。
私は身体を起こす。
パソコンの奥、…お前たちを眺める。
「私は冷静だからな。彼の岐路も、選択も、君たちにとっては大したことじゃないんだろうな」
「…だが、お前らだけは、彼の岐路と選択を覚えておけよ」
パソコンに繋いだ高次元計測装置が、無機質で熱の籠った低い唸り声を上げた。
6/8/2024, 2:18:21 PM