名前の無い音

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『塩辛の作り方』



「…………!…………!」

新幹線の中までは届かない

『き こ え な い よ ?』

口がそう動いている
私は 笑いながら手を振った


※ ※ ※

久しぶりに 孫の顔が見たいって
田舎から 母が泊まりに来た

「何が食べたい?」
って聞いたら 逆に

「何が食べたい?」
と 聞き返された

私は 少し考えて

「塩辛」

そう答えた

塩辛
母の塩辛は独特だ
売っているものとは違う
私には まだ 作れない
何回作っても
あの懐かしい味には ならない

「ちょっとタッパー借りるよ~」

キッチンに立つ母
なんだか 懐かしい
イカをさばく姿を見ながら
『歳をとったなぁ』と
ぼんやり考えていた

ふと 頭に浮かんだ
『あと 何回会えるんだろう?』

今まで 考えたこと無かった
一年に2~3回として……
あと10年?20年?え?
あと……何回?

あれ?
ちょっと前までは
365日 毎日会えていたのに

ふと 悲しくなる

私は 何も伝えてない
まって まって 謝ってもない
感謝も 全然足りてない
まだ 何も 出来てないのに……

「はい 出来た!
明日から 食べられるからね」

そう言って 塩辛を入れたタッパーを
冷蔵庫に入れる

「そろそろ 作り方覚えなさいよ」

母が私を見ながら言う

「……うまく出来ないんだよね~
なんか よくわからないんだよ~」

作り方は もう覚えてるよ
違うんだよ なんか……



帰る日
新幹線の駅まで母を送る
ホームに行くまでの エスカレーターで
母を先に行かせた

登りのエスカレーター 背中が小さく見えた
あれ? こんなに 小さかったっけ?
あれ? こんなにおばあちゃんだっけ?

「あぁ もうすぐ来るんだね」

ホームで 時刻を確認する

しばらく 無言の時間が続く
何か 言わなきゃって思うんだけど
何か話したら 泣いてしまいそうで
声が出ない

(本当はね 「ありがとう」って
「いっぱい迷惑かけて ごめんね」って
「長生きしてね」 「また 遊びに来てね」
言いたいこと 沢山あるんだけど)

新幹線がホームに入ってくる

「さて お世話になりました
2時間 のんびり寝ていこうかね」

母に 荷物とお土産を渡す

「じゃあね 」

鼻の奥に 迫ってくる何かを
必死にこらえながら かろうじて言えた

母は 軽く手を振った
新幹線に乗り込む背中がさらに小さく見えた
座席を探し 座る

(なんでかな 今日に限って……)

遠くに 遠くに 行ってしまうような気がした
あぁ ダメだ 私はまだ謝ってない
まだ 感謝もしていない まだ まだ……

発車のベルが鳴り響く その瞬間に

「お母さん!大好きだよ!」

私は 新幹線の中にいる母に向かって叫んだ
母は ニコニコ笑って

『き こ え な い よ ?』

口がそう動いた
私は 笑いながら手を振った



まだ 塩辛の作り方は 完璧にしたくない
あぁ 今夜は みんなで 塩辛を食べよう
きっと 美味しくなっているはずだ

5/11/2022, 2:49:24 PM