多くの場合、初恋の日がいつかなんて人は覚えていないだろう。
でも私は覚えている。
あれは、私が高校生のとき。母の癌が見つかり緊急入院になった日だからだ。
母はいわゆる「毒親」だった。
女手一つで私を育てながら過重労働をしていた母は、いつも不機嫌でいらいらしていて、些細なことで私をぶった。殴ったり髪を引っ張ったりする理由はなんでも良かった。
時々お酒を飲むと、ずっと一人ぼっちの子供みたいに泣いた。母がそうやって泣くときは、私は母を一人にして置いていく世界と一体に溶け合わされて消えてなくなるみたいな気持ちになるから、ぶたれるよりもずっと嫌だった。
泣いたあと、母は必ず一通りの家事をした。済ませている掃除ももう一度したし、乾かしていた皿ももう一度洗い直した。私はきっと母にとって深刻な意義を持つこの儀式の間、消えてなくなれないことを心から悔やみながら、いつも部屋の端で小さく座って物音を立てないようにしていた。
その母が入院したという連絡を学校で受けた私は、その直前まで「ついに人を好きになったかもしれない」なんて考えていたことを完全に忘れて、喪失の恐怖に血の気が引いてその場に座り込んだ。
母の愛を喪失する恐怖じゃない。これまで母からもらえなかった愛が本当はいつかもらえるかもしれないという可能性、いつか私の存在を母に喜んでもらえるかもしれないという可能性、いつか私のせいで幸せになれなかった母が新しい幸せを見つけられるかもしれない可能性、そうした全ての馬鹿げた夢の喪失を、頭が理解するよりも先に身に刻まれた何かが理解したんだ。
母は結局、命に別条はなかった。保険がおりて、しばらく機嫌が良かったくらいだ。
癌でみんなが必ず死に至るわけじゃない。そんなこともわからないくらい、私は知らないうちに夢を溜め込んで、喪失を恐れていた。
私が好きになった気がしたあの人のことを思い出したのは、母の入院から土日を挟んで週明けに学校で見かけたときだった。
その瞬間、母の入院を知ったときの全身の慄きが蘇ってきて、私はその場にうずくまって吐いた。
全然私と関係ない。
保健室の白い天井を見上げながら、そう思って愕然とした。
かっこいいとか。優しそうとか。謙虚で控えめで実は努力家だとか。そんな彼の隣を歩いて、私は彼のことをよく知って、彼は私のことを一番見てくれてとか。そんな小さな夢想の全てが私の血と肉と歴史と何の関係もなくて、遠くて、目障りで、私はその深すぎる溝の前で、一人で失恋した。
ふと母が近くにいる気がしたけど、自分が母と全く同じように泣いているだけだった。
だから、私は初恋の日のことをよく覚えている。
私が何を望んでいて、何を得ることができないのか。
それがわかった日だったから。
5/7/2024, 11:25:51 AM