「旅に出よう!」
そう言って、彼に手を引かれ外へと飛び出した。
跳ねるように、夜道を駆け抜けて。当てもなく、気の向いた方へと向かう。
最初に訪れたのは、湧き出た小さな温泉のある山奥だった。
「温かい」
「気持ちがいいね」
足を温泉に浸け、その温かさに笑い合う。
温泉に浸かる動物たちの緩んだ顔を見て、いいなぁ、と呟いた。
「えいっ!」
とん、と背を押され。服を着たまま温泉へと倒れ込む。
少し遅れて、ばしゃん、と大きな水音。彼も飛び込んだようだ。
「ちょっと。急に何するの。というか、何してるの」
「折角の温泉。堪能しないとね」
「服、どうするの。びしょびしょなんだけど」
「温泉から出たら、直ぐに乾くよ。問題ない」
文句を言っても、彼は楽しそうに笑うだけ。仕方ない、と溜息を吐いた。
突然の事に距離を取っていた動物たちも、こちらの様子を伺いながら、温泉に浸かっている。
温かい。服を着たままだというのに、とても心地が良い。
少し微睡み細まる目に気づいて、彼はにこにこ笑って手を取り、立ち上がる。
「さあ。次はどこへ行こうか」
次に訪れたのは、月明かり差し込む森の広場。
手ぬぐい片手に踊る猫や、腹鼓を打って楽しそうに騒ぐ狸たちの宴会を見ていた。
「すごい、上手」
「一緒に踊ろうか。おいで」
彼に手を引かれ宴会の場に躍り出る。
突然の事に、踊り騒いでいた猫や狸の動きが止まり騒くが、直ぐに楽しそうに声を上げて、先ほど以上に盛り上がった。
彼と共に、踊り出す。踊り方など知らない。見よう見まね。腹鼓の音に合わせて、夢中になって踊る。
とても楽しい。気づけば声を上げて笑っていた。
その後も、色々な所へ訪れた。
雪山では、皆で雪合戦をして。季節外れに咲く満開の桜の木の下で、花見もした。
川や海へも訪れた。海の上を漂うたくさんの綺麗な光を、けれども彼は気に入らないようで、直ぐに別の場所へと向かってしまったけれど。
そして今、山頂で星空を見ている。
「きれい」
「今の季節は空気が澄んで、星がよく見えるからね」
両手を伸ばす。親指と人差し指で四角を作り、燦めく星を閉じ込めた。
くすくす笑う。手の中に閉じ込めた星か、ちかり、と瞬いた。
「じゃあ、そろそろ最後の旅に出ようか」
おいで、と手を差し出される。
閉じ込めた星を解き放ち、彼の手を取った。
「目を閉じていて。一気に飛ぶから、揺れるよ」
「分かった」
言われるままに目を閉じる。
離れないように彼の手を強く握り、側に寄った。
「行くよ!」
彼の言葉とほぼ同時。地面がぐにゃり、と歪んだ感覚がした。
不安になって彼にしがみつく。小さく笑う気配と、優しく頭を撫でる手の温かさに、さらに強く彼の手を握った。
「着いたよ。もう目を開けても大丈夫」
彼の言葉に、恐る恐る目を開ける。
「っ、わぁ!」
目を見張る。あまりの美しさに息を呑んだ。
一面の星の海。さっき見ていた空よりも近く、手を伸ばせば届きそうな距離で瞬いている。
白、赤、青。たくさんの色の光に囲まれて、鼓動が跳ねる。
「気に入った?」
「うん!ここはどこなの?」
「宙だよ。現世じゃなくて、ぼくたちのいる方の宙だけど」
こっち、と手を引かれ歩き出す。地面がないここでは、歩いているというよりも空中を漂っていると言った方が正しいのかもしれない。
ふわふわと、彼に手を引かれるままについていく。燦めく星が近くを通り過ぎる度に瞬いて、きん、と澄んだ音を立てた。
綺麗だ。とても。星の瞬きを、音を聞きながら、弾む気持ちで微笑んだ。
「到着」
「ここ?」
「そうだよ。ちょっと待っててね」
彼に連れられ辿り着いたのは、七つ並んだ星の場所。
手を離されて、おとなしく彼を待つ。一番端の星に手を差し入れて何かを探すように手を動かす彼は、やがて何かを手にして戻ってきた。
「はいこれ。旅の終わりの記念品」
「ありがとう」
差し出された何かを受け取る。きらきらした青くて白い光が、手のひらの中でちかり、と瞬いた。
「これって、お星様?」
「星の欠片。お守り代わりにね」
手のひらの上の星の欠片ごと手を包まれる。視線を合わせて、彼は優しく微笑んだ。
「今回の旅は、これでおしまい。また来年、迎えに行くよ」
「うん。ありがとう」
「必ず迎えに行くから。手術、頑張って」
「知ってたんだ…ちゃんとがんばる。お星様と一緒に、待ってるから」
彼の目を真っ直ぐ見返して、告げる。
約束だ。一年、諦めないための。優しい彼との、優しい約束。
また彼に会えるように。そう願いを込めて、微笑った。
「そろそろ戻ろうか。目を瞑って」
彼に促されて、目を閉じる。地面が歪む感触は、来た時よりも怖くはなかった。
目が覚めた。
四方を覆う、白いカーテン。白のベッド。
鼻につく、薬品の匂い。
いつもと変わらない。長くいても好きにはなれない病室。
幸せな夢を見ていた。まともに動かす事も侭ならない、欠陥だらけの体で自由な旅に出る。温かくて、優しくて、残酷な夢。
はぁ、と溜息を吐く。
夢は、所詮夢だ。目が覚めてしまえば、いずれ忘れていくだけの、儚いもの。今日見た夢も、きっと直ぐに忘れてしまうのだろう。
ふと、手の中の違和感に気づく。開いてみると、手のひらの中に、小さな石が一つ。
そこらに転がっているのと差異はない、小さな石。手の中で転がしても、やはり石はただの石だった。
捨ててしまおうか。そんな思いが過る。このまま持っていても、もうすぐ検温に来る看護師に見つかれば捨てられてしまうだろう。
少し悩み、床頭台の引き出しを開けた。
中からお菓子の缶を取り出して、蓋を開ける。
中には、落ち葉や枯れた花、木の実が無造作に転がっている。まるで小さな子供が集めた宝物のように。
缶の中に石を入れる。かたん、と小さな音を立てて、また一つ不思議な宝物が増えた。
小さく笑う。鼓動が跳ねた。
「今日も、がんばろ」
呟いて、缶を閉じ。また引き出しの中にしまう。
何故か、今日はとても調子がいい気がした。
20250119 『手のひらの宇宙』
1/19/2025, 10:33:47 PM