パラレルワールド
朝起きて、顔を洗いに一階の洗面所に向かう。
「あ、一葉。おはよう。朝ご飯出来てるわよ」
足音を聞きつけ、母親が台所から顔を出した。
ありがとう、と返し、洗面所で顔を洗う。その間に四人の兄たちが起き出した。
「カズー、おはよ」
「かーちゃん! 俺のシャツは!?」
「やばい! 朝の会議忘れてた!」
「電車遅延してるって!」
相変わらず、特に上の三人の兄たちがうるさい。
「お父さんはもう仕事に行ったわよ。あんたたちも早くしなさい!」
朝から賑やかな家だ。
活気ある家族の声を聞きながら顔を上げーー鏡越しに、綺麗な女の子の顔と目が合う。
細く長い黒髪、大きな丸い瞳、豊かな睫毛、小さい鼻先、薄ピンクの唇。ヘアバンドで前髪をあげ、顕になった額にも、白く細い首筋にも、袖を捲っている肘から下にも、どこにもひとつも傷はない。古傷すらない。左手の薬指は曲がっていない。
「一葉。一緒にご飯食べよ」
下の兄に呼ばれ、慌てて洗面所の戸棚を開け、化粧水を叩き込む。
上三人の兄は、長男が運転する車に乗り、朝ご飯を食べずに家を出た。
今朝のご飯はコーンスープにバターを塗ったトースト、ツナの混ざったサラダだ。
「社会人って大変そうだな。俺もそろそろ就活かな」
トーストを齧りながら兄が言う。まだ大学二年生なのに。
「二年の夏にインターンに行く人もいるんだよ。でも、その前に一葉は大学だな。もう決めたのか? ……迷ってる? 一葉なら、どこの大学でも大丈夫さ。またテストでトップの成績だったんだって?」
トップではない。学年で十以内に入っただけで、学年トップとは総合点十五点も離れている。
「いーや。凄いことだね。兄さんたちを覚えてないの? 追試の常連だったんだよ」
覚えている。
長兄の成績が足りなくて留年の危機だったことまで覚えている。
朝食を食べ終わると身支度を整えた。膝上五センチまでスカートを折る。兄さんが買ってくれた薄ピンクのカーディガンに袖を通し、家を出た。
清々しい朝晴れの陽気だ。通っている進学校に向かう為、近くのバス停で立ち止まる。数分後やってきたバスから、近くの高校の制服を着た人達が降り、一様に学校を目指していく。
偏差値の低さからか、素行の荒い生徒が多い高校だ。金髪のギャルや、顔までピアスをあけている生徒、制服を着崩した生徒がほとんどだ。
ふわっと心地好い香りがして、バス車内に吸い込まれる列の中から、香りを辿った。明るい茶髪に、細い目が印象的な男子生徒と一瞬目が合った。その視線は鋭く、突き刺さりそうですぐに目を逸らした。
バスに乗りこみ、揺られること十数分で最寄り駅に着く。電車に乗り換え、数駅で通っている学校に着く。
「おはよ! 一葉」
一駅隣で、友人のひとりが乗ってくる。いつもこの子と車両を合わせ、一緒に学校に行くのだ。
「昨日のドラマ観た? 月九のさー……」
友人が楽しそうに話すのをうんうん、と頷いて聞く。その間に学校の最寄り駅に着いた。
並んで改札を出、学校へと歩いて向かう。途中から自転車通学の生徒や、バス、徒歩で来る生徒たちの群れに入った。
「あ! おーい!」
友人が前を歩くサッカー部のクラスメイトに呼びかけた。振り返った彼は、口を大きく開け、名前を叫んでくれた。
朝から会えてラッキーだと言う気持ちと、むずむずするような恥ずかしさで、心が弾んだ。
「そういえば一葉、大学決めた? 将来は先生を目指すんだっけ?」
「……うん。私、中学校の先生になりたいの」
「一葉なら絶対に良い先生になれるよ!」
憧れている先生がいる。優しくて厳しくて温かい。1年生の時の担任の先生だ。
ーー母親に望まれたように女に産まれ、女として充実した人生を送る津島一葉のパラレルワールド。
9/26/2025, 3:03:13 AM