一尾(いっぽ)in 仮住まい

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→思い出のようなもの

 数年前、コロナというウイルスが全世界を席巻した。あれは令和2年だった。
 マスクの効果のあるなし議論は、テレビから井戸端会議とあらゆるところでなされていた。一方で、対策は他にもあった。手洗い、消毒、パーソナルスペース、しかしマスクほど話題には上らなかったように思う。先の見えない閉塞感のアイコンとしてやり玉に挙げるのはちょうどよかったのかも知れない。
 夏場はともかく、冬場のマスクは顔が暖かかった。加えて人嫌いの自己認識没落者にとって、ウイルスよりも人の視線の防御網を得た気分だった。マスクは味方だった。
 そうした毎日を繰り返し、ちょっとウイルスの猛進が収まった頃、旅行割引というものが出始めた。それにあやかろうと車を使って旅行した。
 もちろん車の中以外はマスク着用。もう、すっかりそれが当たり前になっていた。
 浜辺に寄り添うように建つ道の駅に立ち寄った。観光客が結構多かった。
 そこを抜けて浜辺へ出る。人が減った。目の前に海。あいにくの曇天。海岸線の海と空が交じり合う。白い波が浜辺を撫でるように何度も打ち返す。海へ近づくと、足元の白く乾いた砂が水を含んだ濃い灰色に変わっていた。所々に海藻と木っ端と貝殻の破片。
 人の声は消え、波打ち際の水音だけが耳を打つ。振り返ると、道の駅のベンチに腰掛けて海を見る人がチラホラ見えた。誰も浜辺へ降りようとしない。
 ふと思い立ってマスクを外した。途端に、鼻腔いっぱいに海の香り。磯臭い、生命の匂い。窒息しそうになるほど、久しぶりに自分以外の匂い。すっかり忘れていた「外」の匂い。
 話は変わるが、昔から憧れているシチュエーションがある。夜景観光の際、目を閉じて、誰かに一番良い場所まで誘導されてからの、夜景がドーン!みたいなやつ。
 ロマンチックすぎて一生できないだろうな、と思っていた。しかし、唐突にそれが叶った。目ではないけれど、鼻で。
 視覚も嗅覚も五感だから、親戚みたいな感覚だろう。
 耳元に風。急に全感覚が研ぎ澄まされたような気がした。五感の一つの機能に不備があれば、他がそれを補おうと鋭くなるというが、むしろ頬を叩かれて全身覚醒したように感じた。
 海風と、波の音と、潮の香りと、目の前いっぱいに広がる曇天の海。
 しばらくそこでじっとして、私は再びマスクという相棒と一緒に群衆の中に帰った。
 あれから数年、マスクをあまりしなくなった。あれほど相棒だと思っていたが、夏の暑さがそれをはぎ取ってしまった。つくづく自分を軟弱者だと思う。
 
テーマ; 風と

5/2/2025, 1:29:39 AM