あなたの夢は、なに?
俺の夢は、名も知らぬ君の大切なものになることだ。
彼女とはそれ以来、会っていない。元々身分の差が大きかった。高貴な人だ。下男である俺は、本来会うことすらできなかった。
雪が降っていた。初めて会ったのは、まだ俺たちが、九つの時だった。美しい衣を見に纏って、彼女は椿の花を眺めていた。
「どうしてここに?」
「あ、えと、椿の花が元気か、見に来ただけで…」
「あなたがこの花のお世話をしてくれていたの?」
「…は、はい。姫君」
「そう」
掴みどころのない人だった。笑顔は滅多に見せず、今ここに降り続ける雪のような儚げのある人。同じ九つとは思えぬほど、美しい。
「あなた、名前は?」
「あ、ありませぬ…そのようなもの、俺のような卑しい身分の者には…」
「そう。では、椿と名乗りなさい。椿、これからもこの花々のお世話をして頂戴」
彼女は俺に、椿という名を与えた。
それからというもの、俺は暇さえあれば椿の花の世話をし、その度にその様子を見ていた彼女と言葉を交わした。次第に、彼女も笑顔を見せるようにもなった。
十二になった頃、彼女が他貴族の家へ嫁ぐことが決まった。その日もいつものように、俺たちは椿の花を眺めていた。
「…嫁がれると聞きました」
「……ええ。この花とも、もうお別れでしょう。明日には、この屋敷を発つ」
「またいつでも、見にいらしてください」
「これから行く場所は、滅多に外へ出られない牢獄のような場所。椿、あなたとももう会えない」
「高貴な姫君が、俺如きの存在を気に掛けてはなりません。俺はこの家の下男。ただ姫君のそばで、この花の世話をしていたに過ぎませぬ故」
どんな顔もできなかった。ただ彼女に背を向けて、ひたすら椿の花の世話をする。そうすることで、密かに思いを寄せていた彼女が嫁ぐことを、忘れられると思った。
「……私の夢は」
突然、彼女が声を出した。
「私の夢は、椿になることなの。屋敷に閉じこもっていないで、外に出て自由に、この世界のどこかで美しく咲くことのできる椿に」
彼女は俺の隣に来た。この三年間で初めてのことだった。
「あなたの夢は、なに?」
椿の花にそっと手を触れ、彼女はこちらに顔も向けず言った。
「俺の夢は、名も知らぬ君の大切なものになることだ」
それ以来、彼女とは会っていない。会うことができなかった。自分の想いを伝えても、彼女がこの想いに応え、一緒にどこかへ行ってくれることなどなかった。婚姻が、なくなるわけでもない。
それでも俺は、自分のこの名に、椿に恥じぬよう、誓おう。君の大切なものだったこの椿の花を、俺の大切なものとして、これからも永久に、守り続けよう。
4/2/2023, 1:15:06 PM