「些細なことでも」
家に着いてから勇気を出してスマホを開く。
「あの時の百円、今返して」
覚えていてくれた!それだけで胸がいっぱいになる。
「はい、お返しします。あの時は本当にありがとうございました」
すぐに返事が返ってきた。
「明後日の土曜日は休み?」
「お休みです」
「一緒にランチでもどう?」
「はい、お願いします」
どうやって返す?ただ百円玉を渡すだけではつまんないよね。うーん…
思いつかないまま土曜日になってしまった。百円玉のことばかり考えていて、着ていくものまで考えていなかった!ああ、先輩とのデートなのに。デート?デートでいいのよね?
結局、何も思いつかない。デートにふさわしいようなかわいい服も持っていない。いつもの休日スタイルで出かける。ジーンズにTシャツ、スニーカー。
先輩がいる!先輩もラフな格好でよかった。そして行き先は、まさかのラーメン屋。和やかに、仕事の話が進む。同じ業界にいることで話は尽きない。
ラーメン屋を出て二人で街を歩く。青空に時々雲がかかる。さわやかな風が吹き抜けて気持ちいい。キッチンカーでアイスコーヒーを買ってベンチに並んだ。返すなら今だ。バッグから財布を取り出した。えっ。まさかの百円玉がない。
「ごめんなさい」
「どうしたの?」
「百円返そうと思ったんですけど、百円玉がなくて」
フフッと先輩が笑う。
「返してもらおうなんて思ってない」
「でも…」
「そう言えば会ってくれると思ったから」
「先輩から誘ってくれたのに断るなんて考えられません。あの時から先輩が好きでした」
言ってしまった。こうなったらちゃんと伝えよう。
「でも先輩の隣にはいつも副会長の東さんがいたから、何も言えずにいました」
「別れたんだ。つい最近。結婚も決まってる。へこんでたら、君に会った」
いつも自信にあふれていてみんなの中心にいた先輩。こんな先輩は初めてだ。弱々しく微笑む姿にキュンとする。
「ごめん、迷惑だよね。寂しかったんだ。そんなときに君を見かけて、つい誘ってしまった」
「迷惑じゃないです。覚えていてくれたの本当にうれしかったから」
「君さえよければ、これからも会ってくれない?」
「はい。少しでも先輩に近づきたいです」
「些細なことなんだけど、ふと寂しくなる瞬間があって」
「じゃあ、そんなときは連絡してください。話し相手にはなれますから」
「ありがとう」
先輩の寂しさにつけ込むことになるだろうか。それでもいい。先輩の中にあの時の私がいて、先輩が辛いときに出会ったのなら運命じゃない?
些細なことでもいい。先輩が寂しいとき、私を思い出してくれるなら。
9/4/2024, 10:34:15 AM