郡司

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永遠。
さて、永遠とは何だろう。「限りある命の生きもの」である自分には、遠いと言うか関係ないと言うか、少なくとも、自分の人生すべての期間は、間違っても永遠などではない。

「永遠」という言葉を聞くとまず、「時間的長さを表す尺度的な、でも掴み所のない表現」という感覚がある。そう、掴み所が無い。…しかし「掴み所」って何だ? 時間は手で掴めない。時間の経過感覚なんて実際のところ自分の状態によって変わるものだ。楽しければ短い感じがするし、身体的・心理的な苦痛を感じながらの時間は長く感じる(やだねぇ)。仕事で疲れ果てた時、布団に倒れ込んで「瞬き1回」したらそれこそ「一瞬」で朝に変わったときは、大いに不満を感じた。睡眠欲が成就してないぞ!、と。

また、「変わらないでほしいな」と思う風景は、場所により状況により、目まぐるしく変わってゆく。
子ども時代を過ごした山が、たった30年ていどの間に、削られ、盛られ、見る影も無くなる。山が消えるなんて驚愕だ。山猿よろしく山育ちの「山出し」な私にとって、山とは「偉大なもの」だったからだ。けれど、山すら永遠ではない。

時間的継続、という意味ではない「永遠」ならどうだろう。例えば、長嶋茂雄氏が選手を引退するときの言葉に、「巨人軍(ジャイアンツ)は、永遠に不滅です!」というのがある。他にも「この絆は永遠」という意味合いの言葉や言い回しはたくさんある。
この「永遠」は、その言葉を使うその人にとって、「ものすごく大切に思っている」ことの表明で間違いないと思う。

さて、比べるために並べてみよう。

「命のかぎり、あなたを愛する」
自分がこの言葉を出すとしたら、何を伝えたくて言うだろうかと考えてみた。少なくとも、「自分が死ぬまでね」などという時間的尺の意味では言わない。愛する時間は期限付きなんて、ナンセンスもいいところだ。だいたい期限などというつまらぬものが付く時点でそれは愛じゃない。五右衛門ちゃんに斬鉄剣で斬ってもらった方が良い。「この私にできることのすべてを尽くして、それをあなたに差し出す。それは私の、愛の表現です」という意味なら、しっくり来る。もちろん自分の感覚だ。

「永遠に、あなたを愛する」
時間なんて関係ないんですよ、という意味も含むであろう言い方だ。でも寿命がある。ではどうする?
「あなたへの愛は、自分という存在の、時間を絶するような深いところから響いています。だから時間は関係しない」という辺りの表現だろうか。

どっちの表現でも、結局「時間」が入り込む余地は無い。寧ろ、「時間」が哀れなくらい、「時間」はハナも引っかけられてない。
そも、時間の感覚や概念は脳のための都合だ。存在は脳ミソじゃないから時間を絶している。存在は命の本質であり、命の本質は愛と同じだ。しっかりと温かくつながり合うけれども、何にも寄り掛からず、自ら立つ。それを「永遠」と、脳ミソの知覚方式に寄り添った表現をしているなら、「永遠とは、存在であり命である。表現するならそれは「愛」の姿をとる」…というところか。

ただ、「大好き」で良いと思うのも確かだ。

11/2/2023, 6:43:15 AM