未だ夏の焦燥を含有している秋風が、足下を疾走する。
いつもと違う華やかな装いに彩られた学校は、絶えず学生たちの笑い声で満たされていて、何だか違う生き物みたいだった。そんな文化祭の中でもとりわけ視聴覚室は、本当に教育機関なのかと疑うレベルで、若々しい熱気が渦巻く場所となっていた。その熱気を作り出している学生が一斉に目を向け、そんな視線の前で、まるで世界中のスポットライトを当てられたスタアの様にギターをかき鳴らし歌っているのが、他でもない私だった。小刻みにブリッジミュートを繰り返しながら流行りのロックチューンを大声を張り上げながら歌う私に呼応して、観客が飛び跳ねて声をあげる。肉体の疲労なのか、精神の高揚なのか、どっちとも取れる精神状態によって、メンバー全員が曲全体のBPMを跳ね上げていく。普段なら冷や汗が出る程の走り方だが、今はその疾走感が、私たちの青春の刹那を表している様で心地よい。私も、観客の皆も顔を真っ赤にして、全員が一つになっていくのが分かる。生演奏特有のグルーヴ感に酔いしれながら、アウトロのコードをかき鳴らし、飛び跳ねる。ドラムの締めのキックの余韻に合わせて、センキュー、と軽く言い放つ。次の曲の構成上必要のない、私のテレキャスをギタースタンドに立てかけ、アンプの上に置いていたぬるい水を口に含んだのち、
「いやーにしてもまだ暑いですねー」
と、MCを始める。リードギターの荒井くんが、
「めっちゃわかる、俺も今日半袖だもん」
と、同調すると同時に、観客から、お前は冬も半袖だろ!という野次が飛び、観客全体がドッと笑いに包まれる。いかにも内輪ノリと言うMCパート。いつもならノリノリで参加していた所だったが、今日は少し訳が違っていた。隣の席の、安田さん。常時ヘッドホンに黒マスクという、他人に壁を作る装備を徹底し、クールな印象でこの高校生活自体を俯瞰する癖があるその人は、聞いているバンドが同じという理由だけで、何故か私とだけ、仲が良かった。いつもクールぶっているのに偶に見せてくる抜けている所、好きなものを語る時の饒舌さ、少し低い落ち着く声、ぱっちりとした二重の目をくにゃりと曲げて示されるその微笑みに、私が籠絡されるのに、そう時間はかからなかった。今一番欲しいもの、というテーマで自分のエピソードトークを繰り広げる荒井くんの相槌を打ちながら、視線だけで安田さんを探す。しかし、私の今一番欲しいもの、そのひとの姿は、見つからなかった。今一番欲しいものは何か、と荒井くんに聞かれた私は、バンドメンバーと視線を交わして小さく頷きながら、
「今私が一番欲しい物は!皆の大きな声です!声、足りてるー!?」
と、観客を煽り立て、ラストの曲いくぞー!!!と良い、ドラムの入りからなるイントロに体を調和させていく。手で観客をこまねいて、自分自身もジャンプしながら、もっともっと!と叫ぶ。Aメロの歌詞は何かの始まりを予感させるように明るく、Bメロでは、情感をサビにどんどん高めていくイメージで、抑揚豊かに歌声を吐き出す。サビ前のドラムのフィルインに合わせて、お前らついてこい!と高くジャンプし、サビで感情を爆発させる。とそこで観客席の後ろ、出口の近くで、壁に凭れかかって静かに音楽に体を揺らしている安田さんの姿が目に入る。見にきてくれたんだ、と言う気持ちに頭が沸騰しそうになりながら、サビを歌い切る。元々、この学園祭で、結果がどうあれ、告白しようと思っていた。安田さんと二人で遊びに行った帰りに、余りの幸福度に悶えた時に目にした夕日が、舞台照明と重なって脳裏にチラつく。今だ、となんの確信もなく思った。荒井くんのバチバチのギターソロの裏で、私は観客席にまで下がり、両手を広げて次々と学生たちの間を走り抜け、ハイタッチをする。教室の端っこまで行った時、安田さんが軽く頭を下げて会釈しているのを、見た。私は、この熱さを、安田さんにも捧げたいと思った。いつもどこか冷めている安田さんに、この熱を、そっくりそのまま私ごと移したいと、そう考えた。会釈している安田さんの手を引っ張って私の元まで近づけ、安田さんのその細くて綺麗な指と、ギターにより硬くなった私の指とを絡ませる。安田さんが、驚きで目を見開く。友達から、それ以外に。明らかに関係性が変化していく感覚に、脳が震える。私は、安田さんの黒いマスクの片方を外して、観客側にはその口元を隠した状態で、安田さんのその真っ白な肌と共に見事なコントラストを作り上げているその桃色の瑞々しい唇に、これまでの歌唱による疲労なのか、この胸の高鳴りからなのか、それともどっちものせいで荒い息を絶えず吐き出している私の唇を、そっと合わせた。
7/21/2024, 10:10:30 PM