sairo

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誰かの視線を感じて振り返る。

「あれ……?」

誰もいない。いつもは誰かしらいるはずの公園内はしんと静まり返り、人どころか生き物の気配すらなかった。
その異様さに背筋が薄ら寒くなるものの、風に乗って届いた香ばしい匂いにあぁと納得する。
今夜は広場で祭りがあるのだ。いくつも並ぶ屋台を思い浮かべ、漂う匂いも相まって小さく腹の虫が空腹を主張する。
苦笑して、手にした鞄に視線を落とす。図書館から借りた本を持ったまま屋台を覗くわけにはいかない。先程感じた視線など忘れて、早く帰ろうと足を速めた。



また、あの感覚がした。突き刺さるような、それでいてとても静かな視線。
辺りを見回すが、こちらを見ている人は誰もいない。気ままに散歩を楽しんでいたり、ベンチで休んでいたりと、公園にいる人たちは思い思いに過ごしている。
気のせいだったのだろうか。首を傾げながら、そういえば以前も公園で視線を感じたことを思い出す。
気になって道を逸れ、普段は足を踏み入れない公園の奥へと向かう。この先には、幼い頃に友人たちと遊んでいた秘密の花畑があるはずだった。



昔と変わらない、色とりどりの花が咲く道を進んで行く。
吹く風と共に、薄紅色の花びらが降ってきた。手に取って懐かしさに目を細めながら、背の高い向日葵の間を抜けていく。
そうして辿り着いたのは、花畑の中心。一本の桜の木の下で、疎遠になっていた友人の姿を見つけて立ち止まる。

「あれ、どうしたの?こんな所で」
「そっちこそ」

こちらに気づいて声をかける友人に、小さく肩が震える。辺りを見る振りをしながら視線を逸らした。
彼のことが嫌いになった訳ではない。ただいつからか、彼に見つめられると酷く落ち着かなくなった。すべてを見透かすような強い視線。胸が苦しくて痛くて、何かと理由をつけて遊ばなくなり、次第に疎遠になっていった。
相変わらず、彼の視線は落ち着かない。しかし今更引き返す理由もなく、かといってこのまま立ち尽くしている訳にもいかず、彼の側へと歩み寄る。

「久しぶり。あんまり変わってないな」
「そんなこと、ない……と思うけど……」

彼と会わなくなってから数年は経っているのだから、少しは変わっているはずだ。そう小さく反論するも、彼は笑って否定する。

「変わってないよ。俺の目を見ないとことか、昔のままだ」
「っ……」

気づかれていないはずはないと思ってはいたけれども、こうして目の前で言われるとどうしても気まずくなってしまう。
ちらりと彼に視線を向ける。記憶の中よりも成長した彼の姿に、途端に胸が苦しくなった。

「この前の夜祭に、参加しなかったんだな」
「え?あ、うん……」

突然振られた話題に驚いて、肩を震わせながらも頷く。
何故急に、と疑問に思うのと同時に、どうして知っているのかと戸惑う。
家に戻ってから、出かけようとは思っていた。けれど図書館から借りた本を鞄から取り出した時、無性に本の続きが読みたくて堪らなくなった。
少しだけ、と思いながら本のページを捲り、気づいた時にはすでに日付が変わってしまっていた。

「ぎりぎりの所で踏み留まるのは勘がいいのか、それとも運がいいだけか。まあ、どちらでもいいけど」

何を言っているのか。意味が分からず、眉を寄せながら彼を見上げた。

「――っ!」

彼と目が合い、反射的に顔を逸らす。
かたかたと体が震える。今すぐにこの場から逃げ出したくて堪らなかった。

「逃げるな」

低い声と共に手を掴まれる。強い力に振り解くことができず、逆に引き寄せられ肩を掴まれて、無理矢理に目を合わせられた。
うまく息が吸えない。目を閉じようとしても瞼は縫い付けられたかのように動かなかった。

「ちゃんと見ろ。お前は今、どこにいる?」
「どこって……」

昔、皆で遊んだ花畑にいる。
そう答えようとした。けれど彼の目に映る自分の姿を見て、思わず息を呑む。
成長した彼とは違い、この花畑で遊んでいた頃のままの自分の姿。無邪気な笑顔に、声にならない悲鳴を上げた。
彼が見ているのは誰だろう。次々と気づく違和感に、恐怖で涙が滲み出す。
どうして彼は目を合わせるために膝をついているのか。どうして花は咲いているのか。
桜。向日葵。その他にも紫陽花や秋桜など、同じ季節に咲かないはずの花たちが咲き誇っているのは何故なのか。

「お前がいるべきなのはここじゃない」

彼の言葉に思考が揺れる。彼が怖いのに、縋りたくて堪らない。
聞きたくない。帰りたい。逃げ出したい。離したくない。
様々な感情が込み上げる。どれが自分の思いで、どれが違うのか分からない。
どうしてそう思うのかすら、理解できなかった。

「あ、あぁ……」
「さっさと戻ってこい、このバカ」

意識が揺さぶられる。
耐えきれず遠のく意識の中。彼の目の中の自分が、忌々し気に顔を歪めているのを見た。



誰かの視線を感じて目が覚めた。

「あ……」
「おはよう。無事に戻って来れた感想は?」

どこか呆れたように彼が言う。それに首を傾げて、視線を巡らせる。
白で統一された見知らぬ部屋。どうしてこんな所にいるのだろうか。

「あんまり心配させんな。夜祭の屋台で売られているものを口にしたら、戻れなくなるところだったんだぞ」

頭を撫でて彼が笑う。どこか安心したような、温かな色をした目に見つめられる。
途端に胸が苦しくなった。恐怖からではない。よく分からない感情が込み上げて、顔が熱を持ち始める。
思わず彼に背を向け、布団の中で丸くなる。痛みを覚える程、鼓動が速くなっていくのを止められない。

「何だよ。戻って来れたんだから、もう見られることに恐怖はないだろ。こっち向けよ」
「っ、後でね!」
「後って……」

この状態で彼の顔など見られはしない。きっと息ができなくなってしまう。
そんなことを思いながら、彼の視線から逃げるようにさらに布団の中に潜り込む。体を丸めて強く目を閉じた。
何が起こっているのか、どうすればいいのか分からない。

唯一の救いは、この胸の痛みはどこか甘く、決して嫌なものではないことだった。



20260328 『見つめられると』

3/29/2026, 4:59:34 PM