sairo

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軽やかな笛や太鼓の音。しなやかに舞う演者達。
手にした守り袋を握り締め、舞台だけを見据えて少女は歩いて行く。
和やかな談笑が聞こえる。いくつもの楽しげな子供の声が少女の横を過ぎていく。

――始まった。
――始まったね。
――次はどこへ行こう。
――待ちくたびれちゃった。

少女の足が止まる。舞台から視線を逸らし、改めて辺りを見渡して、気づく。
舞台へと続く道が開かれている。神楽を見ていたはずの人々が、皆少女に視線を向けていた。
溢れそうになる悲鳴を押し殺す。足が震え、前へと進む事が出来ない。

――選ばれたようだ。
――シキ様も喜ぶ。
――じゃあ、次はどうしよっか。

笑う声。皆少女を見て、囁いている。
耐えきれず、視線から逃れるように俯いた。

――ああ、ほら。舞台にあがるようだ。

俯く視界の端で、誰かの足が見えた。
幼い子供の足。少女に背を向けて歩いて行く。
はっとして顔を上げた。夢で見た子供が、手に何かを掲げ持ち舞台へ続く階段へと足をかけている。

「っ、待って!」

子供の手にするそれが、深紅の桜の花びらだと気づいた瞬間、少女は思わず駆け出していた。
ゆっくりと舞台へ上る子供を追って、階段を上がる。
引き止めようと伸ばした手が、子供の肩を捕まえる、その瞬間。
手は宙を切り、子供の姿が掻き消える。

「――え?」

立ち竦む少女の目の前で、舞台はその姿を歪ませて。
そこは暗く狭い、社の中へと形を変えた。


少女は強く守り袋を抱きながら、視線を巡らせた。
暗い室内には夢とは異なり、誰の姿も見えない。それが心細く、けれども安堵して、少女は詰めていた息を吐いた。
かたん、と音がした。暗闇が蠢いて、翁面が浮かび上がる。
視線を巡らせる。四方の壁に、取り付けられた翁面。虚ろに開いた目が、それぞれ少女を見つめていた。

「牲《いけにえ》はお前か」

どこかから聞こえる声。身を強張らせながらも、少女は強い違和感に眉を寄せた。
理由は分からない。社、翁面、声。すべて夢で見たものと同じであった。だが付き纏う違和感が、これはすべて紛い物だと少女に告げている。
かたり、と音を立てて、翁面が浮かぶ。静かにゆっくりと、少女を囲うように四枚の翁面が近づいた。

「祭の再開に相応しい、良い牲だ」

無機質な、それでいて下卑た響きを宿した声音。
違和感でしかない、酷く不快な声だった。


「これはただの夢。祭は終わったの。誰かの暇つぶしの話に、これ以上付き合うつもりはないわ」

目の前の翁面を睨み付け、少女は声を上げる。
ぱき、とどこかで小さく音がした。

「祭を否定し、牲の役割を放棄して、お前はどこへ向かう」
「家に帰るの。ここではない、私の家よ。村は私とは関係がないもの」
「お前一人が否定した所で、語る人間がいる限り、祭は終わる事はない」
「それはこの村の祭ではないでしょう。村の人は皆いなくなった。そして社の妖も消えた。祭は終わったの!」

叫びにも似た少女の言葉に、翁面が揺れ動く。少女を取り囲む四枚の翁面が寄り集まり、少女の目の前で一つに溶け合っていく。
ぴし、ぱきり、と小さな音が、次第に大きく聞こえ始める。

「これはただの偽物。誰かが面白半分で作り上げた、最低のお話…生き伸びるための祭で、犠牲《いけにえ》だなんて、軽々しく口にしないで!」

ばきり。四方の壁に亀裂が入る。亀裂は大きく広がっていき、その隙間から光が差し込んだ。
崩れていく。作り上げられた舞台装置が、少女の否定の言葉で跡形もなく。差し込む光が日の光である事に、崩れた天井から見える空の色を見て少女は気づいた。


「お見事。これほどまでに鋭い否定は、聞いていて気分がいいね」

楽しげな声音。翁面とは異なる、子供のような高い声。
空から声の方へと視線を移し、少女は目を見張り、息を呑んだ。
少女の目の前。翁面をつけた幼い子供が立っている。見覚えのあるその姿は、夢の中の子供によく似ていた。

「あなたは…?」
「祭は今も密かに続いている。牲を求めているっていう、人間の望みに応えた妖だよ。元とは違うし、望みで変質していたから、すぐに否定されちゃったけどね」

残念、と呟きながらも言葉とは裏腹に、楽しそうにきゃらきゃらと妖は笑う。くるりと少女に背を向けて、跳ねるように歩き出した。

「っ、待って!どこに行くの?」
「後片付けをしに。その後は、消えるのを待つだけだよ。今は人間の間で広まっているけれど、どうせしばらくしたら忘れるだろうしね」
「そんな。そんなのって」

淡々とした妖の言葉に、少女は眉を寄せる。思わず追いかけようと手を伸ばし、足を踏み出した。

「駄目だよ」

立ち止まる妖が、それを咎める。くるりと振り返り、駄目だと繰り返す。

「一つ、忠告してあげる。妖に情をかけないでね」
「――どうして?」
「情を持って、離れたくなくなって。それで最後には堕ちてしまうから…消える事よりも、よっぽど残酷だ。特に人間の望みに応えたからとはいえ、人間に手をかけた妖は、他よりも簡単に堕ちてしまうからね」
「でも、それでも…だってあなたは、誰かのために応えようとしただけなのに」

面越しの鋭い視線が、少女を射貫く。その強さびくりと肩を震わせて、少女は守り袋を胸元に抱きしめた。
納得はいかないのだろう。唇を噛み締めながら妖を見る目は、泣きそうに揺らいでる。

「優しい子。その優しさは、妖には毒だ…でもどうしてもというなら、彼に望んでみるといい。君か彼か、どちらかに成り代わらせてくれるかもよ」
「それは…でも、だって…妖は人の認識で…だから」
「君は否定しただろう?それとも、祭を認めるのかい?」
「――っ」

冷たく、残酷に妖は少女に告げる。自身を害そうとした妖のために対価を払う事は出来るのかと、少女に覚悟を問うている。
それに、少女は何も言葉を返す事は出来なかった。


「それでいい。君はこちら側に踏み出さないで、そのまま忘れるんだ。最低な夢は忘れてしまえ」
「……ごめんなさい」

俯き、けれど泣かないよう耐える少女を、妖は静かに見つめ。馬鹿だなぁ、と呟いた。

「本当に優しい子。純粋で真っ直ぐで…彼が心配になる。この先苦労しそうだし、君に何かあれば彼も堕ちてしまうのだろうね」
「それって、どういう…?」

少女の疑問を掻き消すように、強い風が吹き抜けた。

「じゃあね。彼はそのままお家で奉ってあげるといいよ。近すぎない距離がいい…さあ、そろそろ起きないと、学校に遅刻するんじゃない?」

くすくす笑って、妖は指を差す。示された方向に少女は視線を向けて。


目が、覚めた。



20250423 『どこへ行こう』

4/24/2025, 10:06:10 AM