えむ

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ディーヴァ・ピヴィエーツの歌声はとても美しかった。美しいだけで済ますには余りにも苦しいくらいに美しかった。その歌声は木々が生い茂る森の奥深くにある湖に行けば聴ける。ディーヴァ・ピヴィエーツは誰が湖に来ようが気にも止めなかった。彼女は歌う事をこよなく愛していたからだ。静かに、ただ静かに歌う事が出来ればソレで良かったから。木々の揺らぎはまるで彼女の歌に喜ぶようで。揺れる波紋は彼女の為のステージのようで。木漏れ日1つが彼女を魅せるライトに変わる。観客なんて要らなかった。

でもそんな安寧は長く続かなかった。美しい歌声を持つ彼女を金儲けの道具にしようと人間は言う。多くの手を使い彼女を無理やり湖から引き剥がし、水場が好きならばと半分くらい水が入れられた分厚いガラスの水槽に閉じ込められた。しっかりと掛けられた鍵、ワイヤーロープで何重にも巻かれたガラスの壁、出してと訴えようが全て無視される。声を聞いて、誰でも良い、声を聞いて、無視しないで。

連れてこられた場所はサーカスだった。まるで水族館のようなガラスドームの中にはたぷんと水が揺れている。その水は水道水を多量に使用していた…自然に湧き出る純水では無かった。水に触れた肌が痒くて仕方がない。別に水の中が好きなんじゃない。落ち着くから好きなんだ。あの綺麗な湖だから好きだったんだ。

『世にも珍しい二本足の“人魚”!まるで恋をし尾鰭を捨てたようなその姿は我々人間の為に産まれて来た事でしょう!その歌声はとても美しく、いや!美しいだけでは足りないとさえ思うはずです!』

司会者がマイクを使用した大音量でビリビリと彼女を紹介する。名前すら聞かないで…都合の良い決めつけで…。

『ではご清聴を!!』

高い観客席から見下ろすな。奇抜なものを見るかのような目で私を見るな。私の存在を侮辱するな。私の歌を都合の良いように利用するな。

『……♪♪♪』

黙って静かに私の歌を聴け。

歌声はガラスドームがあると言うのに遠くまで聴こえた。まるで耳を傾けろと顔を寄せられたかのように歌声が心地好く鼓膜を揺らし、視線がディーヴァ・ピヴィエーツに吸い寄せられる。興味津々な声も冷やかしの声も全てが溶けて消える。観客の数人は静かに、ただ静かに涙を頬に伝わせた。彼女の歌声は物悲しく、彼女の歌声は悲痛さえも感じ、その歌声は観客の心を強く強く揺さぶった。

そうでしょう?私の歌は悪魔でさえも心安らぐものなんだから。私の歌声は凄いんだから。私が一番なんだから。この場に居るどんな生物よりも。私がアンタ達の心に遺ってやる。

彼女の出番の終わりを告げる鐘が鳴る。だが観客はそれすら聞いてない。なんなら司会者も、団長も…。長く長く続く彼女の歌声だけでサーカスは幕を閉じた。出番の無かった団員達は彼女の入ってる水槽に蹴りを入れたり罵詈雑言を飛ばした。

『私に奪われるアンタ達が悪いんでしょ?』

その言葉にグッと悔しそうな顔をする。1人の男性団員はその言葉に納得した。“彼女の歌声は誰もを惹きつけるくらいに素敵だった。ソレは紛れもない事実だ。”“団長に出演順について相談すれば良いよ。”“俺達が盛り上げて彼女が〆る方が客は増える、そうだろ?”。その言葉に女性団員は歯軋りをしながら再度水槽を蹴って去っていった。男性団員は“キミの歌声はどの演者がやる芸にも勝るよ。俺が保証する。”とだけ残して去っていった。

ディーヴァ・ピヴィエーツはソレを聞いて少し気分が良くなった。明確に誰かに褒められる事が一度も無かったからだ。どんな生物が彼女の歌声を聴きに来ようが心を休め、美しさに感嘆し、満足すれば何も言わずに去っていく。ソレが当たり前だったから。自分が思っていた以上に私の歌声には価値がある。こんな薄汚れた水に半身を濡らしながら、こんな水槽に閉じ込められながら、歌うべき存在じゃない。

……

今日も変わらず観客席は埋まっていた。このサーカスに来る為のチケットは日々高騰を繰り返し、今では席を埋める大半が貴族や王族になるのが当たり前になった。運良く比較的安い席のチケットを取れる者も居たが大抵の客はチケットを売った方が利になると、チケットを個人売買する者も増えた。その全てはディーヴァ・ピヴィエーツの歌声に心を奪われた人達ばかりだ。どんなに有名なオペラ歌手よりも、どんなに有名なミュージシャンよりも、彼女の歌声に届かないくらいの何かが彼女にはあった。

『〜♪♪〜〜♪』

入れ替えられる水の音、カツカツと水槽周りを歩き回る靴の音…それらを聞きながら…何処か現実逃避するように生み出された歌詞とリズムはいつしか彼女の趣味になった。当たり前のように彼女に目を耳を心を奪われ…陶酔しきった恍惚とした表情を浮かべる観客達の中、1人だけなんの表情も変えずにジロジロと観察するように彼女を見る者が居た。その人は比較的安い席で望遠鏡を使用しながらマジマジと彼女の身体を見ている。その人が歌声を聴いてるとは到底思えなかった。

サーカスの幕が降りた。今じゃ妬み辛みも慣れたものだ、嫌味を言う奴は心根で自分がディーヴァ・ピヴィエーツより下であると認めてるからだ。観客の神でも見るような目が好きだ、あの崇拝してるかの如く指を絡め彼女の価値をこれでもかと表情と涙で表現してくれる。あの男性団員はいつものように水槽を掃除してくれる、水に少しでも濁りがあらば急いで取り替えてくれるし、髪を梳いてと言えば高価であろう柔らかなブラシでディーヴァの髪を優しく梳く、時には長い髪に見合う髪留めを贈る時もあった。嫌いじゃない、なんたって私は美しいんだから、これくらい見繕ってもあんまり変わらないだろうけど…もっと美しくしたいと願い自ら悩み行動し貢ぐその姿は気分が良かった。団長と例のジロジロ見てくる客が水槽に近付いてくるのが視界に入った。途端に男性団員は急いで水槽から離れる。なんだ、せっかく気分が良かったのに…。

『えーっと、“ディーヴァ・ピヴィエーツ”さんですよね?お初にお目にかかります。私は種族研究所で働く研究員の〇〇と言います。』
『へぇ、そんなもの初めて聞いたわ。で?その研究員が私になんの用?』
『ディーヴァ!少しは我々のメンツというものを……』
『団長、煩いわ。今サーカスは閉まってるの。今のコイツは客でも何でも無いタダの古臭いメガネを掛けた髪ボサボサの男、私が媚びを売る必要も歌う必要も無いわ。』
『ディーヴァ……』
『まぁまぁ、実際彼女の言ってる事は間違ってません。ディーヴァ・ピヴィエーツさん、今回私が此処に来た理由は貴女の種族についての話をしに来ました。』
『そんなの知らないわ。人間が勝手に区別する為に作ったカテゴリーでしょ?私がどのカテゴリーに含まれてるかなんて興味無いに決まってるじゃない。』
『そう仰らずに…実はと言いますと“人魚族”を始めとした“一定の種族”を利用した商業行為は法的に禁止されてるんです。』
『ふーん?じゃあこのサーカスは違法ね、さっさと解体したら?』
『ですが、今このサーカスを解体するという行為は難しいんです。王族や貴族が存続を求めてしまってるもので…。』
『法律を作る側の人間が法律を破るのを黙認しろなんて愉快な話ね、人間はやっぱり馬鹿なのよ。』
『…えぇ…で、話を戻しましょう。王族や貴族が大々的に法律を破れば国民の不満は溜まる一方です。ならその法律に触れないようにすれば良い…と上の方々は判断しました。その為、私は貴女の種族調査をしにサーカスに来た訳です。』
『都合の良い種族(カテゴリー)を新しく作って法から逃れようとしてるのね?はーぁ、本当に人間は自分勝手ね。私から居場所を奪って、好き勝手利用して、挙句人間の都合を理由に私の存在を決めつけて…。』
『…半分くらいは正解ですが…。貴女は“人魚族”ではありませんでした。ましてや“新しい種族を作る”必要もありませんでした。』
『……どういうこと?』
『貴女は“クラーシィニァツェーッサ(美歌姫族)”という種族だったからです。この種族はとにかく静かな場所を好み、人間に見つかる場所を生息地にする事が少なく…発見例が非常に少ない種族です。特徴は水に溶けるような淡い色合いの髪、容姿が“人間族”に非常に似ており、“雪人族”と同等の白い肌を持ち、永い寿命を有するが長寿の代表例として挙げられる“耳長族”に比べ成体が小さく…そして、“水精族”と同じように歌声で人を惑わす事が出来ます。』
『…ふーん…。で?』
『発見例が非常に少ないという事はその種族に見合う法律は何一つ作られません。見つからないのなら作る必要が無いからです。』
『…じゃあ私はず〜っとこの狭い水槽で歌ってれば良いのね。聞いてて欠伸が出ちゃう長話をしてくれてありがとう、さっさと研究所に戻ってちょうだい。』
『いいえ、貴女は此処で歌い続ける必要はありません。ディーヴァ・ピヴィエーツ、貴女はこれから研究所に移送され、生態の解明や“美歌姫族”の解明に協力してもらいます。』
『…はぁ?そんなのに付き合う必要はどこにも無いわよ。私は自分のカテゴリーさえも理解してなかったのよ?ずっと一人でお気に入りの場所で歌ってて捕らえられて狭い場所に入れられて歌わされてるだけ、そんな私を調べてアンタが並べた以上の情報が落ちるとでも?』
『落ちますよ、個体が居るのであれば。例を挙げるのであれば食性は勿論、遺伝子や染色体、内蔵の位置や生殖器の形を始め、どのように個体を増やすのか、その方法はどんなものなのか…。』
『……。』
『貴女が生きてても死んでても、今後の種族研究歴史に大きな爪痕を残すでしょう。その時は貴女の名前が、“ディーヴァ・ピヴィエーツ”という名前が歴史に遺るんです。非常に素晴らしいでしょう?』
『だ、団長!コイツの言ってる事狂ってるわ!内蔵の位置とか個体の増やし方とか…服ひん剥いて身体捌くって意味じゃない!私は魚でもなんでもないわ!』
『…ディーヴァ、もう研究所からは表現するのも恐ろしいくらいの寄付を貰ってる。この国でサーカスが開けなくなるだけで別の国に行けばサーカスは運用可能なんだ。なんなら…サーカスなんて開かなくても我々一同は一生遊んで暮らせる。それくらいの額だ。』
『……散々利用して…売ったって事…?』
『…そういう事だ。』
『ふざけないで!!こんな痒くなるような水の中で何日経ったのか分からなくなるまでサーカスに貢献してきたじゃない!!!私の歌を認めてたから周りと差別してたでしょ!!!』
『では、明日の夜までに移送の準備を終え、お迎えにあがります。』
『団長!団長!!やめて!!!売らないでよ!!!!私歌うわ!!!!沢山!!!!研究所の寄付なんて目にならないくらい稼ぐから!!!!お願い!!!!行かないで!!!!』

団長と研究員は自分の叫び声を無視しながら視界から消えてく。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、ご飯として出されてた切身みたいになりたくない。何よ、個体の増やし方って…子供を作らせるって事?。ちっちゃな動物がそういうのしてたのは見た事あるけど…自分がソレをやるなんて想像した事も無かった。ガラスを叩く手がズルリと落ちて水に浸かる。震える足を抱えるように縮こまる。自分が惨めで涙が出てくる。

こんなに泣いても喚いてもガラスを殴っても…この狭い水槽から出る事も出来なければ…誰も助けてくれなi…

『…ディーヴァ…。』
『…。』
『…水槽に入っても良い?』
『…いや、来ないで…。』
『…。』
『…入って来ないで…。』
『…。』
『出てって…。』
『…ディーヴァ、一緒に逃げよう。』
『…何言ってんのよ…。』
『明日の夜に研究所の連中が来るんだろ?サーカスが開くのは夕方だ。皆が起きるのは早朝だけど…もう少し時間が経てば皆寝る。明日のサーカスの演出に支障を来さないように。』
『……。』
『今から何処かに行こう。俺が持ってる金は少ないから沢山歩くと思う、でも俺らの事を誰も知らない場所まで行こう。歩けない時や疲れた時は俺が背負う、絶対に置いてかない、絶対に一人にさせない。約束する。』
『……団員…何言ってんの…。』
『俺を信じてくれ。…頼む…俺のお願いを聞いてほしい…。』
『……フフッ…×××ってホントに気分を良くしてくれる人ね。』
『……初めて名前を呼ばれた気がするよ。』
『初めて呼んだもの。』
『…水槽に入っていい?長い間水に浸かってたんだ。一人で出るのは大変だろ?』
『…良いわよ、許してあげる。』
『…抱き上げても良い?』
『……。』
『嫌?』
『さっさとしなさいよ。こっちは待ってあげてるんだから。』
『…ハハッ待たせてごめんね。』

×××はディーヴァを抱き上げて水槽から出る。少しばかり赤くなった足が久しぶりに水から離れられた。重たく感じる足が重力と×××が動く振動で揺れる。

『どう?水槽の外に出た気分は。』
『案外サーカス内って狭いのね。』
『ディーヴァは森に居たんだろ?ソレに比べれば室内なんて全部こんなもんだよ。』
『そう、じゃあ慣れておかないとね。』
『…なんで?』
『人間って室内に居た方が安心するんでしょ?』
『そうだけど…。』
『それに、×××言ったじゃない。絶対に一人にさせないって。』
『……。』
『…何よ…。』

軽い沈黙、何故か絡まない視線、もう暗くなったサーカスの壇上で柔らかい感触を与えあった。もっと触れたいなんて絶対言ってやらない。人間なんて馬鹿ばっかりなんだから。今だって何度も何度も…私の気持ちなんて考えずに…。でも…気分は悪くない…。

……

『荷物は少なめにしよう、非常食も軽いヤツで、水は川とかそういうので凌ごう。流石に重いからさ。』
『ねぇ、この格好変じゃない?』
『そりゃディーヴァがいつも着てる服に比べれば変だと思うよ。でも“飢えた兄妹が懸命に街から街へさすらってる”ならソレが普通。』
『…少し臭い…。』
『……ソレは俺の汗だと思う。』
『……×××の汗って臭いのね。』
『男の汗は基本臭いよ…。』

薄汚れたダボッとした上着、紐が無ければスルリと落ちてしまいそうな土まみれのズボン、袖や裾なんて少しカビてる、寒さや暑さ対策で羽織らされたフードの付いたケープから髪が見えないようにふわふわの長髪を纏め、基本ディーヴァは“兄”という設定の×××の背中に背負われながら移動する。理由は顔を人に見られないように肩とフードで上手く隠す為だ。ちなみに靴は布を撒いた革紐で留めただけの代物である、こんなんでまともに歩ける訳が無い。

『さて、準備出来…』
『待って。』
『どうした?ディーヴァ。』
『コレは持っていきたいの。』

手に持ったのは×××が贈ってくれた髪飾りと柔らかなブラシだ。ソレを見た×××は少し照れくさそうにしながらバッグの中身を確認しゴソゴソと整理して…優しくディーヴァの手から受け取り中に入れてくれた。

『行こう、ディーヴァ。』
『…重いって言ったら怒るからね。』
『俺結構鍛えてるから大丈夫。』
『重くないとは言わないのね。』
『…軽いです、凄く…。』
『今更言っても手遅れよ。』

背負われ、重力でぶら下がった足を揺らし×××の足に当てる。×××は申し訳なさそうな顔をしてたがディーヴァの口角は少し上がってた。

そして2人はサーカスの敷地内から出た。出来る限り街から離れようと歩を進めた。最初は思った以上にサクサクと街を進めた。その調子で国から出る時に潜る開放された門を通る。門番は目を向ける事もしなかった。スラム街に居られなくなった孤児が国から離れようとした…そんな風に見えたのだろう。赤くなった足やダボついた服から覗く肌という肌は土汚れを付け…何日も風呂に入ってないかのような臭い服を纏って…興味を持つ方が珍しいだろう。

橋を渡って国から出ていく。舗装された道を歩きながら、分かれ道ではあえて細い道を選び、段々と手入れが雑な道に入って行く。人目につく場所を通ってたら声をかけられかねない。何より目撃情報は少なければ少ない程良い。

『…あっちに行きましょう。』
『そっちは森だから危ないよ。』
『危なくないわ。』
『蛇とかに噛まれるかもよ?』
『ここら辺の動物は私の歌が好きなのよ。』
『…へ?』
『わざわざこの森から来てた子も多かったの。私の歌は人間の耳に入る程には有名だったんだから。』
『…ディーヴァって森の支配者だったりする?』
『支配者じゃないわ。アイツらが勝手に来て、勝手に好きって言って、勝手に攻撃してこないだけよ。』
『…ディーヴァを信じるよ。』

2人は森の中に入る。足場の悪い森の中は歩くのが困難なのか速度が徐々に落ちていく。ディーヴァを支える為に両手が塞がってる×××は草を退ける手段を持ってない、だから懸命に足で草を踏み倒しながら目を凝らしながら…自分が何処に居るのか分からない中ただ歩いた。ディーヴァがあっちと指をさせばどんなに草が生えてても進んだ。少し曲がってと言われればそこに獣道が出来てても進んだ。朝日が昇り頂点から降りて星が見えるまで…広すぎる森を歩いた。そうしたら少し開けた場所に出た。美しい湖がそこにはあった。

『あそこの水は飲めるわ。とても綺麗だもの。私が保証してあげる。』
『…此処って…。』
『私の居た場所よ。この森は湧き水は多いけど川とかは少ないの。丸1日飲み水無しで過ごしてたし…。』
『…それって心配してくれたって事?』
『さっさと飲みなさいよ。私が元居た場所だからいつ誰が来てもおかしくないのよ?』

その言葉に×××は慌てつつも湖近くにディーヴァを優しく降ろし、自分はその隣で水を手に掬い飲んだ。途中から無我夢中で湖に顔を突っ込んで飲んだ。非常食を無駄に消費しないように何も食べなかったんだ。何も飲んでなかったんだ。喉を潤し食道を通り胃に入ってくる綺麗な水が美味しくて仕方がない。

『…ブハッ…ぁあ…死ぬかと思った。』
『えぇ、今まで会った人間の中でも特に馬鹿な人間が見れそうで少し怖かったわ。』
『ディーヴァは飲まないの?』
『…飲んでるわよ?』
『ぇ?』

ディーヴァは土に汚れた指先を軽く水面に触れてるだけだ。どう見たって飲んでるとは言えない。

『…ディーヴァ…今まで飲んでた水…凄く不味くなかった?』
『えぇ、すっごく。』

この美しい湖の、あまりにも美味しい水を飲んだ今だから×××は分かる。人間が街に水道を引いて管を通り、蛇口から出る水なんてディーヴァにとって生ゴミに近いものだったかもしれない。ソレを自分達は良かれと思って流し入れて浴びさせて…。

『…ごめん…。』
『でも×××のおかげでマシだったわ。×××が水槽掃除を担当する前は2日や3日水を変えてくれなかったのよ。痒くて苦くて臭くて…ホンットに最悪だった。』
『…ずっと気になってたんだけどさ。』
『何?』
『ディーヴァって一応ご飯とか貰ってたじゃん?ずっと魚だったけどさ。食べてる時とか結構あったけど…此処に居た頃のディーヴァがよく食べる物って何だった?』
『…多分果物よ。木に実ってる物とか、分かりやすいものだと木苺とか…でも余り頻繁に食べる事は無いわ。歌う事が食事みたいなものだから。』
『歌う事が食事?』
『えぇ、歌うと身体が満たされるのよ。たまに食べる果物はオヤツ感覚ね。』
『つまり魚とか貰っても…。』
『勿論嬉しくないわ、生臭いし、丸ごと渡されても食べづらいし、切身でも筋とかあって飲み込みづらいし。』

ディーヴァがソレを言ったと同時に×××はバッグを漁った。そして取り出したのは干し魚である。まるでジャーキーの代わりのような…。

『お、オヤツとして食べれるかなって…その…ほら、いつも切身だと…味とか色々……。』
『…ん。』
『な、なにその手。』
『1個くらいなら食べてあげるわよ、寄越しなさい。』
『でも嫌いなんだろ?』
『は〜や〜く。』
『…はい。』

手渡された乾いた魚は貰っていたものよりも軽く、臭かった。魚類特有の臭みをグッと濃縮したかのような臭いを感じる。とりあえずソレを口内に入れて咀嚼しようとするが…固い…とてつもなく固い…今まで柔らかな果物や魚の切り身ばかり食べてたから干した魚なんて顎が耐えられない。とりあえず何度も噛み噛みと歯を突き立てていたら唾液がツーッと唇を滑る。

『〜ッ何よこれ!すっごい食べづらいじゃない!』
『だ、だよね〜…。』
『どうやって食べるのが良いのよコレ!』
『火に炙って食べたり…唾液とかでふやかして食べたり…あと筋に沿ってちぎりながら食べたり。』

そう言って×××は自分が食べる干し魚を取り出しては端っこに歯を立てて上手く割いてみせた。割かれた干し魚を口に含んでは咀嚼を何度も繰り返し、ちゃんと飲み込む。ディーヴァはソレを見ては同じように端っこを歯で咥える…が、上手く割く事が出来ない。

『ンッ…グッ……。』
『俺がやろうか?』
『…ッ…出来る…アニッ…。』
『…やらせてくれない?』
『……。』

少しばかりムスッとした顔をしたディーヴァは×××に少しふやけた干し魚を手渡した。唇を濡らす唾液をぐしぐしと拭っているディーヴァの視界には自分が今まで散々しゃぶってた干し魚に歯を立てる×××が見える。せめて反対から割いてよ…なんて言うまもなく綺麗に割かれた一部分を“はい”と手渡された。1度叩いてやりたくなる気持ちを抑えながら小さくなった干し魚を口に含む。しょっぱい味が口いっぱいに広がる。咀嚼しやすくなった干し魚をムグムグと何度も何度も噛んで…×××よりはうんと長い時間をかけて飲み込んだ。

『…しょっぱい…。』
『で、水をたっぷり飲む。』

言われた通りに指先を湖に触れさせる。口に溜まった塩分が徐々に和らいで…水がより美味しく感じる気がしなくもない。臭みは消えないが。チラリと×××を見れば何処か期待に満ちた瞳でこちらを見てくる。そんな顔されたら口内に残った臭いに対して何も言えなくなるじゃない。

『………悪くないわね…。』
『でしょ?人間はコレを酒のつまみとかにしたりする。もうちょっと安全な場所に行けたら火で炙ったのも食べさせるよ。』
『…私、魚嫌いなのよね。』
『……ごめん、食料コレしかなくて…。』
『……でも食べれなくはないわ…。』

少しばかりの沈黙の後、少しだけ肩を落としながら干し魚を食べる×××の腕に頭を寄せた。ふわふわとしたロングヘアが柔らかく×××に擦り付けられる。

『…慰めてくれてるの?』
『…そんな事無いわよ。疲れたから寄りかかりたいだけ。』
『…そっか。じゃあ木の近くに行こう。』

干し魚をひょいっと食べた×××はまたも軽々とディーヴァを抱き上げて木の幹に背中を当てられるように座らせてくれた。そしてその隣に腰を下ろす。ディーヴァは再度腕に頭を寄せた。

『ディーヴァって結構甘えたがりだったりする?』
『…叩くわよ。』
『ごめんなさい。』
『×××は黙って私が寝やすくなる為の支えになってれば良いのよ。』
『…ディーヴァ、あの水槽の中でゆっくり寝れた事ある?』
『無いわ。私は水の中で呼吸出来ないもの。ずっと縮こまるように寝てた。』

ソレを聞いた×××は申し訳なさそうな顔をした。それと同時にディーヴァの手を軽く引いて向き合うような体制になり…×××が下になるような形で寝転がりながら抱き締める。

『俺さ、ディーヴァが元はどんな風に寝てたかは分からないけど…こんな感じだったりする?』
『…重いって言ったら怒るからね。』
『いんや、重くは無いけど…。』
『…無いけど?』
『…ディーヴァって胸大きいn』

×××が全て言い切る前に叩いた。そりゃもう何回も叩いた。“ごめん!本当にごめん!”って言うまで叩いた。それから上に乗るような形から腕枕されるような形になるよう横に身体をズラす。

『ディーヴァって体型について気にしてたりする?』
『違う!×××が言うのが嫌なの!』
『へふぅん?』
『何その変な声!馬鹿にしてるの!?』
『いんや、なんか嬉しいだけ。』
『何考えてんの馬鹿!』

隣同士で向き合いながら、時折×××が優しくディーヴァの柔らかな髪を梳くように撫で、頬を膨らますディーヴァはその度にツンっと視線を逸らす…それでも撫でてくれる手には擦り寄った。髪から頬へ×××の手が滑る。視線が交わる。唇に伝わる柔らかな温もりはとても気分が良かった。

何度も何度も唇を重ねていたらぬるりとした感触が口内を擽る。突然の事に驚いて×××の肩を掴み離れようとするが×××は離れる事を拒むようにディーヴァを強く抱き締めた。柔らかな髪にふわりと食い込むように…強く…それでいて優しく。絡めた舌を少し離すと透明な糸が唇を繋げる。

『…ハッ…ハッ…いきなり…何するのよ…。』
『びっくりした?』
『当たり前じゃない!』
『…でも…ごめん。』

先程まで隣に居たはずの×××はディーヴァを地面に倒し、その上から見下ろした。その表情はいつものヘラヘラしたものじゃなくて…なんて表現すれば良いか分からない。

『好きだよ、ディーヴァ。本当に大好きだよ。愛してる。』

そう言ってダボダボの薄汚れた服の中にソッと手を潜り込ませてくる。今から何が起こるのか分からずに…優しく柔らかく触れる体温に肩を跳ねさせながらバグバグと鳴る心臓を身体に響かせた。その体温はゆっくりと柔らかな果実に触れて指をふんわりと埋めた。キュッとした声が喉に詰まりかける度に唇を重ねられて上手く声が出せなくなる。身長にしては大きな果実が何度も揉まれる度に淡いピンクで彩られた部位がぷっくりと膨らんで…×××の指先がそこに触れた。

『!?ッ〜〜ッッ///』
『…プハッ…い、痛かった?』
『分かんない!分かんないわよ!でもビックリしたの!』
『…ごめん……。』

×××は怒られた犬のようにしょぼんとする。荒くなった息を必死に整えて…“どうしてこんな事するの…?”と小さく聞いてみた。×××は目線を泳がせ…頬を赤らめ…どう説明しようかと悩みに悩んでるような…そんな感じだ。

『ちゃんと説明出来ないのなら今後はしないで。』

そう言って×××の胸を押し、向かい合うように座り直す。少しばかり乱れた服を整えながら伺うように×××を見るが…なんとまぁバツの悪そうな表情だ。

『…ぇっと…アレなんだよ…人間で言う愛情表現というか…欲望というか…。』
『何よ、そんな曖昧な説明されてもよく分からないわ。』
『…性欲です…。』
『…はい?』
『好きな人に対する性欲です。今のは。』
『…。』
『男ってそういうのなんかもう止められないんです。馬鹿だから。』

自分で言った言葉が情けなさすぎるのか俯きだした×××にため息が漏れる。そうか、馬鹿なのかこの子は。

『で、その性欲ってのは好きな人に向けるやつなの?それとも…“女”ならなんでもいいの?』
『いや!それは違う!…はず。確かに色んな女の人に向ける男の人も居ると思うけど…俺は好きな人に向けたいです。初めてだし…大事なものなので…。』
『…ふーん。』

ディーヴァは自分の柔らかな髪をクルクルと指に絡ませる。あえて視線も顔の向きも合わせない。ちょっとばかり上がった口角も見せてあげない。×××が自分に対して“好き”という言葉を言うのは慣れてるが…ここまで真剣に“好き”を表現しようとした事実は中々に気分が良かった。

『ビックリさせてごめん…。』
『教えなさいよ。その性欲について。』
『…へ?』
『好きな人としたいやつなんでしょ?』
『で、でもディーヴァが嫌なら…。』
『私は×××を人間の中で1番のお気に入りと思ってるわよ。』
『…。』
『私と×××は種族が違うわ。だから人間の思う“好き”の気持ちは私には分からない。でもね、私の言う“お気に入り”が人間の言う“好き”に近いなら…そういう風に受け取ってもらっても構わないわ。』
『……それって…つまり…。』
『…これ以上何か言わせるつもり?』

本当に×××は馬鹿だ。考え無しにディーヴァを連れ出して、考え無しで一生懸命何かを作ったりして、考え無しに押し倒して、身体を触って驚かせて…本当に×××は馬鹿だ。でもそんな馬鹿を“お気に入り”なんて言ってる自分も馬鹿なのかもしれない。

今度はちゃんと向き合って唇を重ねた。無理やりじゃない形で舌を絡ませた。×××が身体に触れても驚かずに受け入れた。元々裸で過ごしてた分、服を捲られるのは構わないが…何故か×××に見られるのは少し恥ずかしかった。その意味は分からなかった。ゆっくりと身体を押し倒される。痛くも痒くもないが身体を舐められるのは少し擽ったい。お互いの息が荒くなるのだけは伝わった。擽ったかったのがゆっくりと何かに変わってく。性欲を表す行為がどんなものかがゆっくり身体に染み込んでく。

『…怖くない?』
『…ちょっと緊張する…。』

そんな小さな会話を間に挟んで…愛撫や舐る行為が始まる。無意識に足をモゾモゾと動かしていたら×××が優しく足に触れた。大き過ぎるズボンが落ちないようにとキツく結んだ紐が解かれる。緩んだズボンが下ろされ華奢で白く艶めかしい足が顕になった。下着なんて無論履いてない。×××の下着を履くのはなんか抵抗あったし、だからと言ってディーヴァが水槽の中に居た時に履いてたビショビショのものを持ってく訳にもいかなかったから。

『ディーヴァって綺麗な肌してるよね。』
『水槽の水のせいで軽く荒れてるわよ。』
『それはごめんだけど…白くて綺麗な肌には変わりないよ。』

脱がされたズボンは近くに置かれ…綺麗と表現された足を、太ももを優しく撫でられ唇を当てられる。なんだかソレが視界に映るのがとても恥ずかしくてケープのフードを深く深く被る。視界が塞がるまで。ぬるりとした感触が足の付け根の…もう少し真ん中の…そんな場所に触れた瞬間“きゃっ”と声が漏れた。必死に足を閉じようとしてるのに大きな手がソレを邪魔してくる。

『な、な、どこ舐めてるのよ!』
『…見たら分かるよ?』
『見なくても分かるわよ!』
『なら大丈夫。』
『どこがよ!?』

顔が真っ赤になってるのが自分でも分かる。腰を捩り足をモゾモゾと動かし抵抗を始めるが一切意味を成さない。段々と水音が腰に耳に響き始めて…もうどっちから出てる音なのか分からないし分かりたくもない。チゥッと一部を吸われた瞬間にビクッと腰が跳ねた。足に変な力が入りカクカクと痙攣する。息をするのが苦しくなるくらいの感覚に目をチカチカさせる。

『ディーヴァ?』
『ぁ…ぅ…。』
『大丈夫?』
『……だい…じょうぶに…みえるのなら…。』

弱々しくペシッと×××の頭を叩いた。大丈夫に見えるのなら×××は多分目が見えないのだろう。それくらいには大丈夫じゃない。熱くなった身体も、よく分からない感覚を覚えてしまった下半身も、ソレに対して悪くないとか考えてしまう自分の思考も。全部おかしい。全部おかしいのは×××のせいだ。

『…顔見せてよ。』
『…ぃや…。』
『お願い。』

嫌だと言ってるのにフードを握り締める手を優しく握ってくる。コイツ…力じゃ勝てない事を良いことに…。憎たらしい×××と目が合ってしまう。観客達の見せる興奮した目とは違う…でも多分興奮してる…そんな瞳。

『ディーヴァ、可愛いよ。』
『〜ッ…ぅるさい…。』
『愛してる。』

まるで慰めるような優しい唇に憎たらしいという気持ちが絆されてしまう。あぁもう。絶対に許さない。×××が自分を見捨てようとした際は恨み辛みを込めた歌でも歌ってやる。そんな事を考えてる隙に×××の手が先程まで散々舐められていた場所に触れる。

『ゃ…っ…。』
『嫌?』
『………。』

そんな目で見るな。試すような口振りをするな。馬鹿め馬鹿め馬鹿め。“お気に入り”なんて言葉撤回してやる。いつか撤回してやる。くちゅりと音を立ててなぞられる度に腰が跳ねる。ギュッと唇を噛み締め喉から出てきそうな音を全て飲み込む。指先が吸われた部分を弄び始めれば目をギュッと閉じる。×××はフーッフーッと必死に息をして堪えるディーヴァの頬に優しく唇を当ててくる。指先は散々ディーヴァの濡れた一部を愛撫し尽くし…ちゅぷっと“中”に指先を挿れた。

『んぁっ…ぅ…。』
『痛い?』
『…ぅるしゃぃ…。』
『もっと挿れて良い?』
『……もぅ…すきに…して……。』

本来なら此処で相手に身を任せるなんておかしいはずだ。でも今のディーヴァはおかしいんだ。×××のせいでおかしくなってるんだ。だから身を任せるんだ。全部×××のせいだから。ディーヴァは何も悪くない。“中”の肉を掻き分けられ、プツッと何かが弾けたのに痛みを感じない。優しく優しく深く深く…指が一定の位置まで挿入った瞬間、×××は指を上にクイッと曲げた。悲鳴に近しい声が出た。多分覚えちゃいけないものを身体が覚えたような嫌な気配すら汲み取れない。×××の指の腹が何度も触れちゃいけない場所を撫でてくる。

『ッ〜…ッ…んッ……クッ…。』
『声、我慢しなくて良いよ。』
『ぅるひゃい!そこッだめっあッぅうッ♡』

コイツ楽しんでんじゃないのか?とさえ思うくらい粘着質な愛撫に腰を浮かせて甘美な声を夜の森に響かせる。こんな声出せたっけ?なんて考えるくらいには頭が沸いてる。2本目の指がぬるりと挿入ってきて…やっと愛撫から解放されたかと思ったら今度は2本指で優しく撫でてくる。流石に耐えられなくて×××の腕を掴んだ。実質掴めたのは服なのだけど。

『もぅだめッ!それいじょぉはだめッ!』
『もう辞める?』
『やめぅ!やめりゅ!』
『…分かった。』

×××は素直に指を抜いてくれた。ジンジンと熱くなった“中”が急に寂しく感じる。あんなによく分からない感覚に苦しくなったのに。今度は違う感覚で苦しくなる。無意識に腰を浮かせ…抜いたばかりの×××の指におねだりするように身体を擦り付けた。

『…辞めたいんじゃなかったの?』
『ゎかんなぃぃ…もぅ…なんか…へん…。』

涙がポロポロと零れてきた。初めての感覚ばかりで怖くて仕方がないのに身体が勝手に動いて求めて…自分のものじゃないみたいで…。

『…もっと欲しいの?』

×××の優しい声色に心臓がキュゥッてなる。バラードを歌うような時とは違う…なんか…もっと違うやつ。ディーヴァは小さくこくんと頷いた。×××は優しく表面だけを愛撫し…すぐに離した。

『なん…れぇ…。』

くたくたに蕩けた切なげな声を零す。×××は自分のズボンに手をかけて…紐を解き…下着ごと軽く脱いだ。ディーヴァは初めて見るモノに流石に息を飲む。半分機能しなくなった脳みそでも分かる。丸ごとの生魚を食べた時に出てくる内蔵みたいな…いやソレよりは人間みある色というか…でもそんな事関係ないぐらい…。ディーヴァが表現する語彙力も脳も無いままソレは足の間にトンッと押し付けられる。ソレは熱くてドクドクしてて…なんか時折ビクってしてる。

『…怖い?』

その言葉に首を縦に振った。小動物の行為なら見た事あるよ。でもその時にチラリと見えるのとは全くの別物じゃないか。思った以上に大きいし、形全然違うし、ソレを今さっき指で散々弄ばれた場所に挿入れるなんて想像出来ない。

『…優しくするから…していい?』

そういう言葉が欲しい訳じゃない。一旦冷静になって欲しい。いや、冷静になるべきはディーヴァの方なのか?。思考がもう変な方向にグルグル回って遠くの方に行ってしまった気分だ。頷く事も何も出来ないままモノは濡れた部分を何度も擦る。

『ぁッ♡…しょれ…ゃだ……やだぁ…♡』
『うん、知ってる。』
『…なんれぇ…♡』

もうまともな言葉も出ないし話も通じない。どうにでもなれという気持ちを込めてケープのフードで顔を隠した。アレの先端が蕩けた一部に当たる。極度の緊張と未知の恐怖で全身に力が入った。ぷちゅっという可愛らしい音とは裏腹に押し広げられるような圧迫感が内部を襲う。だがとある場所を…散々指で愛撫された場所を通る瞬間にまたさっきのが来た。下半身がガクガクして頭と目がチカチカするやつ。ディーヴァの“中”にあるソレの形をより明確に身体が教えてくれる。更に奥へと挿入れられると同時に×××の胸辺りの服を掴んだ。

『こぇ、これぇッにゃにッ!?♡♡ぁしがッへんなのッ♡ぁたまもッ!♡さっきもっ!♡♡』
『へ、ぇ、ちょっとッ待って…。』
『ッ!?♡♡ゃだッ♡ぅごかしゃッッんァッ〜ッッ!!♡♡』

もうお互いして何が何だか分かってないのかもしれない。ただ流れるままに初めてというものを呑み込み、なんなら呑まれて。アレが愛撫された場所を通る度に、アレが奥をどちゅっと突く度に、何度も何度も表現し難い名前も知らないナニカが襲ってくる。声を抑えるとか我慢とか…そんな事出来る余裕は見当たらない。何処にもない。甘美を纏う声が唇から唾液と共に漏れて、足の指は草を握り締めれるくらいには力が入り、なのに腰は正反対に力が入るというか自分のものじゃないくらいに跳ねている。腰が浮かぶせいで細い胴体にくっきりと形が浮き出てるのも気付けない。涙を流し潤む瞳で、肌を何度も打ち付ける×××を見つめ、互いに名前を叫ぶように呼びあって、唇を重ねて舌を絡める。ディーヴァの足が×××の腰にギュッと挟む。奥をぐりぐりと押し上げられる感覚を…気分が良いと表現すべきなのだろうか?。もう分からない。分からないけどもっとして欲しい。欲しい。沢山。×××が欲しい。

『もぅッ出る…ッ。』

小さく漏らした×××の声と共に熱いものが“中”に奥に入ってきた。お互い決して離れないとでも誓うように強く抱きしめる。もしも2人して裸だったら互いの背中に爪痕が残ってただろう。ドプドプと流れ込む液体はぷくっと細いお腹を膨らませ…ちゅぽんっと音を立ててモノが抜かれれば熱い液体がこぷっと溢れてきた。

『…ハーッ…ハーッ…んッ♡…ぅ………くるしぃ…♡』
『…ごめん…ちゃんと避妊具持ってくれば良かったかも…。』
『……にゃに…それぇ…♡』
『……いつか…説明します…。』

お互い息も絶え絶えに…まともに服も着ずに隣に寝転んだ。息を整えて…やっと落ち着いてきた頃…何を思ったのか×××がお腹をぷにっと押してきた。ぐぴゅっと変な音を立てて液体が溢れる。反射的に頬をビンタしてしまった。

『なにすんのよ!』
『か、可愛いなって!』
『ぅ〜…太腿が…。』

白い液体でねっとりと汚れた太腿が気持ち悪いと思わせる。軽く足を開けばぬとーって感じで白い液体が線を引いては重力に従ってぼとっと垂れた。

『…えっろ…。』
『…なにその言葉…。』
『……この言葉は教えません。』
『なんでよ。』
『ちょっとダメな言葉だからです。』
『悪口って事!?』
『違う!違うけどディーヴァは知らなくていいの!』
『×××が教えてくれなきゃ何も分からないじゃない!何この白いの!!てかその…その…ソレ何!!』
『白いのは精液!コレは…男のシンボル!!象徴!!必ず付いてるやつ!!!』
『“えっろ”って何!!』
『それはホントに教えたくない!!』
『なんでよ!!』
『なんでも!!ほら!水含んだ布持ってくるから身体綺麗にするよ!』
『教えなさいよ!てか私立てないんだけど!!力入んないのよ!!』
『俺がやるから!!』
『〜ッ!×××の馬鹿ぁ!!!』

なんだかんだ言い合いながらも身体を拭い、服を纏った。寝るまでずっと“えっろ”という単語の意味は教えてくれなかった。代わりに鎖骨辺りを噛んでやった。結局付いたのは赤い痕で×××には全くもって効いてなかった。悔しかったが疲れた身体を抱き締められながら眠るのは気分が良かった。

……

朝日と共に目が覚める。ディーヴァが身体を起こすと×××も目が覚めたのか起き上がった。軽く欠伸をし身体を縦に伸ばすように腕を空に向けて…ふぅ…と一息をついた瞬間に異変に気付いた。

『…近くに動物が居ない。』
『俺が居るからじゃない?』
『違うわ、早く行きましょう。』
『……分かった。』

×××はディーヴァの判断を信じるようにバッグを肩にかけてディーヴァの髪をサクッと纏めてからフードを深く被せ背負う。そして指し示された方向に足速に歩き始めた。

『…ディーヴァ、何が変だって思ったの?』
『動物達にもね、色んな子が居るのよ。1人2人の人間が来たくらいじゃ動じない子も居るわ。』
『…その動物達が居なかったってこと?』
『そう、近くに居なかったのよ。少し離れた場所にも。』
『そこまで分かるの?』
『私は耳が良いからね。』
『ソレは初耳かも。』

ディーヴァの言いたい事を纏めるのなら…あの湖に複数人の人間が近付いてたという事だ。単純に森を探索してた人なら運が良い。でもそう思うのはあまりにもポジティブが過ぎる。

『また何か聞こえたら教えて。』
『少し早めに歩けるかしら?』
『行ける、指示さえあれば。』

もうお互いがお互いを信じるしかない。ディーヴァはまともに素早く歩ける状態じゃないし、×××は森の中の知識が無い。一蓮托生で森を駆けていく。

『森から出るべき?』
『この森より先は…私…分からないわ。』
『道に出られれば街に繋がるかもしれない。』
『道なら向こうが1番近いけど私達が居た街から1番遠い道ならこっち。』
『分かった。』

目標は森を散策してる人間達から離れる事。その次に別の街に潜り込む事だ。だから森から出て道を辿るべきと×××は判断した。ディーヴァはソレを信じて道を指し示すしか出来なかった。太陽が真上に近付いた頃に森を抜けた。そこには小さいながらも道がちゃんとあった。自分達が居た街とは逆方向の道を辿る。

『サーカスが移動する時に使ってた道まで行けたら街まで簡単に行ける。多分。』
『今“多分”って言葉を使わないで。私は×××を信じるしかないんだから。』
『分かった。行ける、絶対。』

細い道から大きな道へ…段々と舗装された道に出てくれば×××の足が早くなっていく。どうやら知ってる道に出たらしい。

『サーカスって一度来た場所にまた来る事は無いの?』
『基本転々としてるんだよ。あの街に長く居たのはディーヴァの歌でほぼ永続的に稼げるからってだけ。普通のサーカスは芸の順番を変えたり演出に工夫をしたりしても長居すればする程客に飽きられるんだ。だから程よく金が纏まり次第、次の街へ向かう。同じ街に行くのはサーカスの熱が冷めた頃だから…短くて1年、長いと5年くらい行かない時もあるよ。』
『…そう。ならサーカスの人には見つからないって事ね。』
『そう。それにサーカス側はディーヴァを売った訳だ。変に研究所の人間と衝突する前に荷物纏めて逃げるよ。次の街にね。』
『…研究所ってあの街にだけあるのかしら。』
『それに関しては専門外。』
『…これから行く街にも…』
『ディーヴァ、それを考えたらキリがないよ。』
『…そうね。』

不安な気持ちが膨らみつつある中、前居た街とは違った装飾が施された門がある街まで来た。その門を通り過ぎるかと思いきや×××は門番に近づく。

『…ちょっと…。』
『大丈夫、寧ろやらなきゃいけない事だから。ディーヴァはなるべく静かに。』
『…。』
『お勤めご苦労様です。』
「身分証は?」
『少々お待ちを…えーっと…あったあった。どうぞ。』
「…商人がそんな格好で何を売りに来たんだか…。」
『売りに来たというか買いに来たんですよ。身綺麗にするのを忘れるくらいには上手いもんで。この街で服を買い揃えようかなってね。なんてったって此処は花と布の街ですから。』
「…ふーん…?まぁ、偽造品では無いしな。通って良し。」
『ありがとうございます!午後も頑張ってください!』

×××は軽く会釈をしながら身分証を返してもらい、門を通り過ぎる。あまりにも流れるような会話にディーヴァは目をぱちくりさせていた。

『…ねぇ、街から街へさすらう兄妹って設定は何処に行ったのよ…。』
『んー…街にもよるけど門番に身分証を見せた方が何かと動きやすいんだよ。無言で通過すると必ず何処かで止められるんだ。』
『×××って商人だったの?』
『いや?』
『じゃあ嘘ついたって事?』
『嘘じゃないよ。商人って肩書きも持ってるだけ。他にも色々あるんだよ。』
『…×××ってサーカス団員じゃないの?』
『サーカス団員で通れる街もあるんだけどねぇ…それだけじゃ通してくれない街もあるから色々必要になっちゃうんだよね。』
『…人間って難しいのね。』
『そうなのかもね。俺はそれが当たり前だと思って過ごしてたから分からないけど。』
『商人以外にはどんな肩書きを持ってるの?』
『えっとね、商人の他だと冒険者、狩猟人、大道芸人ってのが偽造じゃない身分かな。』
『…偽造もあるって事?』
『そりゃ勿論、偽造だと警備兵とか色々あるよ?』
『…×××…結構悪い人?』
『種族研究員よりかはマシだと思うな…。』
『そう思いたいわ…。』

そんな会話をしながら街の中心地に入り…少し逸れた道に入っていく。×××曰く中心地の店は物価が高いらしくそこから少し離れた店の方が安く物が買えるらしい。街の端とかに行けば安い宿もあるとの事。

『こんにちは〜。』
「いらっしゃい、あらあらこんなに汚れて…タオルでも持ってこようかい?」
『いえいえお気になさらず!ちょっとばかり服を買いたくてですね。…ココに座っててね…。』

中心地から離れた店に入れば優しそうなおばあさんがニコニコとやってくる。×××はその人と会話をしながら自分を椅子に降ろし…バッグの中からジャラリと音の鳴る袋を取り出した。

『予算は大体このぐらいで…いけますかね?』
「もちろんよぉ。ちゃんと綺麗なの揃えてあげるからねぇ。」
『ありがとうございます!』
「そちらの子は妹さん?小さくて可愛らしい子ねぇ。」
『そうなんですよ。凄く可愛い子で…。』
「……おやおや…じゃあとっておきのを用意してあげるわ。お嬢ちゃん、ちょっとだけ触ってもいいかしら?」

優しそうな顔のおばあさんはディーヴァの前までゆっくりと歩いて…曲がった腰のまましゃがんでディーヴァに問いかけた。×××はその死角で首を縦に振っている。だからディーヴァも首を小さく縦に振った。

「ありがとう、お嬢ちゃん。じゃあ失礼するわねぇ。」

慣れた手つきで布越しの足先を触り、ズボン越しの足を触り、上着にすっぽり覆われた腰や胴体、胸に手が当たった際には“おやおや、ごめんなさいねぇ…”と一言告げてから肩や腕などを触って離れた。

「そうだねぇ、少し手直しは必要になるけど…良い服があるのよぉ。おばあちゃんのねぇ、娘が昔着てたものなんだけどねぇ、今じゃああの子も大きくなって…。」
『お孫さんが居たり?』
「えぇ、もちろんよぉ。可愛い男の子の孫がねぇ。」
『素敵じゃないですか。優しいおばあちゃんに立派に育った娘さん、更には可愛いお孫さん…とても素敵ですよ。』
「嬉しいねぇ。おばあちゃんねぇ、娘が着てた服をねぇ、あの子に着せてあげようと思ってるんだよ。見てみるかい?」
『良いんですか!是非!』
「じゃあ、ちょっと取ってくるから待っててねぇ。」

おばあさんはよっこいしょっと店の奥に引っ込んでいった。

『…×××…』
『…どうした?…』
『…良いのかしら?娘さんの服…』
『…当人が良いって言うのなら貰うに越したことはない…』
『…悪い人…』

おばあさんの足音が聞こえたと同時に小声のお喋りは止まり…ゆっくりとした足音が店の奥からカウンター、こちら側へやってくる。その手には淡い桃色の花が散らされた柄のゆったりとしたワンピースがあった。生地は少々古いものだとしても丁寧に保管されてたのか色の柔らかさも鮮やかさも残ってる。胸の部分が凸凹してて…ウエスト部分がリボンで締められる仕組みで…胸の部分から垂れてるリボンは鎖骨部分から首の後ろに持っていく形で留めるものらしい…説明されても専門用語が多過ぎて分からない。

『めちゃくちゃ素敵なデザインですね!おばあさんが作ったんですか?』
「そうよぉ。娘が小さかった頃にねぇ、花祭りに見合う服をねぇ。」
『確かに花祭りにピッタリですね!色は勿論…生地が軽くて動きやすそうで…』
「そうよぉ、子供はたぁくさん動くからねぇ。動きにくかったら花祭りが楽しめないでしょう?」
『娘さんへの想いが凄く伝わってきますよ。』
「ふふふ、嬉しいねぇ。でも…お嬢ちゃんが着るにはココを切って…紐を通す形にして…」
『あ〜…なるほど…確かにその方が着やすいかもしれません。』
「そうなのよぉ。でも任せてね、おばあちゃんこういう手際だけはまだまだ現役なのよ。ついでに靴も用意してあげるわぁ。」
『ん〜そうすると…足りますかねぇ?』
「あなた達はこんな古びたお店に来てねぇ…こんなおばあちゃんに優しくお話してくれてねぇ…そんな子達から沢山お金取ったら仏さんが睨んじゃうよぉ。」
『で、でも流石に払いますよ!商売なんですから!』
「良いの良いの、おばあちゃんにはねぇ、たぁくさん甘えなさい。こういう時に良い子にサービスするのも商売の楽しみなんだから。」
『…ありがとうございます!』
「じゃあサクッと直してくるわねぇ。」

またお店の奥にゆっくりと戻っていくおばあさん。×××め…さっきまでは貰えるもんは…とか言いつつしっかり押し引きしやがって…優しそうなおばあさんが可哀想に感じで仕方がない。そんなディーヴァの気持ちなんて露知らず…『…これが交渉…』なんて言いながらウィンクしてくる…ホントに悪い奴だ。

少しばかりの時間を×××と二人で待ってる間…ゆっくりとした足音が近付いてくる。その手には手直しされたワンピースと綺麗な花の装飾品が付いたヒールのないツヤっとした赤いサンダル。そしてふわっと軽そうなケープも持っていた。

「お嬢ちゃん、どうかしら。お胸がねぇ、窮屈にならないようにねぇ、背中の紐で調節出来るようにしたのよ。」
「あとねぇ、お嬢ちゃんねぇ、ケープで顔を隠してるからねぇ…恥ずかしがり屋さんかなぁって思ってねぇ…ケープも持ってきたの。」
「あとコレはねぇ、最近作った自信作なのよぉ。お嬢ちゃんが履いてくれたら嬉しいなぁってねぇ…。」
「気に入ってくれたかしら?」

丁寧に自分に説明してくれるおばあさんの言葉に合わせて頷く。ソレを見る度にしわしわの顔が嬉しそうに笑ってくれる。

「次はお兄ちゃんだねぇ。」
『ぁ、はい!』
「ちょっと失礼するよぉ。」

×××もディーヴァと同じように足先から腕の先まで触られる。そのお決まりの動作をした後にうんうんと頷いては店の奥ではなく店内に並んである服から数着手に持ってやってきた。ソレは白いシンプルなシャツに紺色のベスト、黒いスラックスに少しばかり青みがかった黒の艶のある靴、ちゃんと靴下までセットだ。ディーヴァに差し出された服よりもうんと落ち着いた色合いをしている。

「これを着てねぇ、お嬢ちゃんと並んだらねぇ…きっと素敵だと思ったのよ。」
『そ、そうですか?』
「もちろんよぉ、もう少しで花祭りだもの。是非2人には楽しんで貰いたいわぁ。」
『…そうですね!楽しませて貰います!』
「じゃ、お会計ねぇ…このくらいかなぁ…。」
『…流石に安くし過ぎでは?』
「もう歳だからねぇ…着る人の価値は分かってもねぇ…お金の価値は分からないのよぉ…。」
『…。』
「是非楽しむのよぉ。」

そう言って僅かなお金だけを貰い、丁寧に紙袋に詰めて×××に品物を渡してから店の奥に引っ込むおばあさん。流石の×××も困惑した表情をしている。そのくらいに安い値段で売ってもらったのだろうか…。×××はお金の入った袋をバッグに入れてソレを肩にかけ、ディーヴァを優しく背負ってから紙袋を持ち、きっと見えないであろうにおばあさんに向かってお辞儀をしてから店を出て行った。

『…ねぇ、あのおばあさんが貰ったお金…そんなに少なかったの?』
『それはもう、靴下しか買えないくらいの値段で2人分の服を売ったんだ。』
『ホントに?』
『そりゃぁ…俺としては嬉しいよ。金だって沢山持ってる訳じゃないし…でも流石に安すぎたから驚いちゃったよね。』
『今からでも払いに行った方が…。』
『いや、おばあさんがそう判断したんだよ。』
『…?』
『商人ってたまぁにあーいう人が居るんだ。良く言えば気前が良い、悪く言うのならお人好しって人。でも当人はそこにちゃんとした信念があるんだ。』
『…私には分からないわ。』
『いつか分かるよ、ディーヴァなら。』

そう言って街の端にある古い旅館までやってくる。扉というか暖簾というか…ソレを潜ればまたまたご老人が視界に入った。今さっきのおばあさんと違い…何処か厳しそうなおじいさんだ。

「冷やかしなら帰りな。」
『2泊3日。』

あまりにも短いやり取りをしてから×××はバッグから器用に金の入った袋を取り出してカウンターに置き、そこから数枚の金を取り出して老人に渡す。

「病気なのか?そっちの子。」
『伝染病の類じゃありませんが…失声症って知ってます?声が出なくなる病気です。』
「…ふん、なるほどね。」
『精神的なものでしてね…まぁ…見てわかる通り訳あり兄妹なもので、この街で綺麗な服着て花祭りでも楽しめば少しは癒されるかなって…。』
「そうか、好きにしな。ほら、階段登って1番奥、向かって右側の部屋だ。」
『ありがとうございます。』

鍵を器用に受け取ってから部屋に行こうとする×××。

「おい坊主。」
『はい!』
「金、忘れてるぞ。」
『あ!すみません!』
「…。」

厳しそうなおじいさんは自分の手前に置かれた金をひょいっと1枚袋に入れてから丁寧に縛って×××に渡した。

「妹の病気、治ると良いな。」

そう呟いてからカウンターにドカッと座るおじいさん。×××は聞こえるように“ありがとうございます”と行ってから階段を登って行った。そして1番奥の向かって右側の部屋の扉を開ける為にディーヴァが鍵を持って、×××が軽く屈み、鍵穴にソレを挿して捻る。ガチャリと音を立てて開く扉から見える部屋は勿論狭い。ベッドは少し大きいのが1つ、小さな机があって、上着を掛けれる棒状のものがあり、少し大きめの窓がある。×××はディーヴァをベッドに座らせてから軽く寝転んだ。

『あ〜予想通りの人で助かった〜。』
『…どういう事?』
『あーいうお堅いおじいさんは人情とかそういうのに弱いんだよ。懸命に生きようとしてる若者を前にすると優しくなるんだ。』
『…またおばあさんみたいな事したのね?』
『どうも、悪い人です。』
『ホンットに最低。』
『ディーヴァの為ならどんな嘘でもつきまーす。』
『私知ってるわ、そういう人を詐欺って言うのよ。』
『そりゃぁ元詐欺師だからね。』
『…ぇ?』

×××はひょいっと起き上がってはトイレや浴室の位置を確認する為に部屋を探索する。それほど広くないからかすぐにベッドに戻ってきた。

『トイレとシャワーは別だったけど水道水だからディーヴァにはキツイかも…。』
『待って、待って待って。』
『ん?どうした?』
『どうしたじゃないでしょ!?詐欺って…』
『シーッ!そんな大声で言っていいものじゃないでしょ。』
『…詐欺師ってどういう事よ…』
『言葉の意味そのままです。』
『…本当に悪い人って事?』
『でもあくまで“元”だよ?今は“元”サーカス団員の“現”逃亡者。』
『…なんで詐欺師がサーカス団に?』
『いや、普通に指名手配されてたから焦ってサーカス団員の身分問わず団員募集って張り紙見て入って雑用やってただけ。』

再認識した。×××は馬鹿だ。でも食えないタイプの馬鹿ってやつだと思う。敵に回したら厄介なタイプの…そんな奴だ。

『…私への言葉は詐欺なの?』
『ソレが詐欺ならここまで身を切る行動しないよ。詐欺師は自分の利益の為に人を騙すだけで、自分に不利益な動きを望んでする事は無い。』
『…私と一緒に居るのは不利益かしら?』
『利益はあるよ。俺が愛してる人と一緒に居れるっていう利益が。』
『…でも…身を切ってるって…』
『愛してる人の為ならいくらでも身を切るよ。生命だって賭ける。欲を言うなら二人で生きたいけど片方が死ぬ事で片方が幸せになれるって話があるなら俺は死を選ぶよ。』
『…それが…人間なの…?』
『違うよ。それが“俺”なんだよ。』
『…おかしな人…。』
『恋は盲目ってやつだね。』
『…何その言葉?』
『誰かを愛しちゃったら自分の事情とか顧みずに何でもしちゃうって意味の言葉。さて、お風呂入ろっか。ちょっと痒いかもしれないけど泥塗れよりはマシだと思う、どう?』
『…そうするわ。』

×××は優しくディーヴァを抱き上げて浴室に向かう。狭い脱衣所で汚い服を脱いでお互い裸になって…同じく狭い浴室に窮屈になりながらも温かなシャワーを浴びる。貧相に見せる為に付けた泥を落として…備え付けの石鹸で髪や身体を洗ってもらって…ちょっとだけ身体を触られて……まぁ深くは言わない。サッパリした状態で浴室から出た。お互いバスタオルだけ纏った状態でベッドに飛び込む。

『…ベッドってこんなに気分が良いのね。』
『良いね〜、もし二人で何処かに暮らすならベッドにするか。』
『お気楽よね、安全に暮らせるかも分からないのに…。』
『気楽に行かないと苦しくなっちゃうよ?』
『…それもそうかもね。』
『買った服着てみる?』

×××の提案に頷いてみる。紙袋から丁寧に服を取り出し…バスタオルを剥いで…初めて着る形の服に戸惑うディーヴァの代わりに×××が着せてあげる。優しいおばあさんが手直ししてくれたおかげで胸は窮屈じゃなく…ウエストラインも綺麗に見えている。スカートの丈も膝下とちょうど良い。花の装飾品が付いた靴を履いて…×××の目の前に立つ。

『………。』
『な、何か言ったらどう?』
『めっっっっちゃ可愛いっキスしていい?』
『…きすって何?』
『なんでぇ!?』

×××がベッドに倒れ込む。すぐに起き上がり自分達が散々してきた唇を重ねる行為が“キス”という事をちゃんと教えてくれた。

『寧ろ今までのをなんだと思ってたの?』
『…人間も毛繕いするのかしらって…。』
『知識があまりにも自然に塗れてるぅ…。』
『だって人間の愛情表現を知らなかったのよ?キスなんて知らなくて当然でしょう?』
『分かるけど、分かるけどさぁ……ディーヴァ。』
『何よ。』
『キスは愛してる人にしかしちゃいけないよ。』
『あぁ、だから×××はよく私にキスをしてたのね。』
『ソレを言われると結構虚しいね…片思い過ぎる…。』

しょぼくれてベッドに倒れる×××に軽くため息を吐きながら…ふわふわの髪の毛をソッと耳にかけて頬にキスをしてあげた。

『!?!?』
『ほら、私からもしてあげたわよ。』
『…ぁ…口が良い〜…。』
『我儘言わないの。』
『やだやだやだ口が良かったディーヴァからの初キスは口が良かったぁ。』
『いつかしてあげるわよ。』
『うぅぅ…。』

散々駄々をこねてもディーヴァは×××の唇にキスをしなかった。口を尖らした×××はガバッと起き上がり綺麗な服を纏った愛らしいディーヴァを抱き締めてから再度布団に寝転がる。

『キャッ!?…もうそろそろ驚かせるのやめてくれる?』
『ディーヴァが意地悪するから捕まえただけ。』
『キスしたじゃない。』
『俺は口が良かった。』
『それはいつか。』
『じゃあ俺がする。』

湖の時のようにまたディーヴァが下に、×××が上の体制にされる。柔らかなベッドの上だからかこの体制でも気分が良い。そこから仕返しでもされるかのように散々キスされた。口は勿論頬にも首にも。

『リボンが崩れるでしょ?』
『崩れても良いよ、誰も見てないんだから。』
『せっかくの服が乱れちゃうわ。』
『……それはそれで良いかも…。』
『…ホンットに×××って…馬鹿よねぇ…。』

呆れながらも×××が飽きるまでキスに付き合ってあげた。服が汚れるような事態は起きなかった事だけは幸いかもしれない。いや、詳しく言うのなら起こる前に服を脱げたのが幸いだった。それだけ。

『ねぇ、花まつりって何?』
『この街の催しの一つだよ。この街は花と布の街って言われるくらいには色んな花が咲くんだ。ソレを飾ったり配ったり送りあったり…時にはアクセサリーを作ったりするんだよ。』
『花でアクセサリーを?』
『そう、なんなら作ってあげるよ。2泊3日泊まることにしたのは明後日が花祭りだったからだし。』
『そうなの?』
『そうだよ?』
『×××って色んな事を知ってるのね。』
『そりゃぁ子供の頃から色んな街を転々としてたからね。街の事を知らないと仕事が出来なかったし。』
『…それは…』

ディーヴァが口にする前に唇を塞がれた。キスをされた。その唇が離れた後に×××はヘラっと笑う。あまり深掘りしないで欲しい…その気持ちだけは伝わったから…この話はそれで終わりにした。単純に花祭りというものを楽しみだと思うようにした。気楽に行かないと苦しくなっちゃうから。

……

2泊3日のお泊まりが終わる。ワンピースを着て、靴を履いて…ディーヴァのお願いで髪に×××からの贈り物を付けてもらった。服装には合わないかもしれないけど…特別な日なんだから付けたって良いだろうと。そのせいで花の刺繍で縁取られたケープじゃ髪は隠しきれなくなったが…ディーヴァは付けたいと我儘を通した。

『ディーヴァの女王様気質が出ちゃったよ。』
『何よ、その言葉。』
『悪口です。』

その言葉を聞いてすぐに手を振りあげたが簡単に手首を捕まえられた。

『そういつもいつも叩かれると思ったら大間違いだよ?』
『〜〜ッ!!!』

ヘラヘラと笑う×××に対し頬を膨らませながらフードを深く被る。忘れ物が無いかしっかり確認してから乱れたベッドシーツを軽く整えて、二人で階段を降りる。本来は首に付けるであろうリボンで髪を纏めてるせいで首元は酷くラフな状態だが…白いシャツに紺のベスト、黒いスラックス…そんな格好の×××が結構様になってるのが少し気に食わない。

『おいで、ディーヴァ。』
『自分で歩くわ。』
『…ん?』
『自分で歩くわ。もう足の荒れも良くなったし、毎日×××に背負ってもらってたら本当に歩けなくなっちゃいそうだもの。』
『…あー…まぁそれはそうかも…。』
『なんでそんな不服そうなのよ。』
『…俺の背中が寂しい…。』
『なんで×××がそうなるのよ…。』

ため息を着きながら部屋を出て鍵を閉めてから階段を降りようとする。すると颯爽と×××はディーヴァの前に行き階段を少し降りて振り返って手を差し伸べた。…こんな段差が怖い訳ないじゃない…。ちょこんっとディーヴァの手が×××の手の上に乗れば×××は嬉しそうな顔をする。…×××が嬉しそうだから付き合ってあげるだけ。そうして階段を降りきった後、厳しそうなおじいさんの居るカウンターに鍵を返しに行く。

「…妹、歩けたんだな。」
『えぇ、たっぷり休めましたので。この街に来るまで歩きでしたし…。』
「…ふん。」
『ありがとうございました。』
「…花祭り、楽しんでこいよ。」

鍵を受け取るおじいさんに対し×××が会釈するのを真似してディーヴァも会釈をする。軽く手をフリフリとしたら厳しそうな顔つきが少し綻び…シッシと追い返されるような返事をされた。×××のやり方は非常に狡猾だったかもしれないが…あの人も優しい人なんだろうなとディーヴァは思った。

街の中心地に近付けば近付くほど花で作られた装飾品が増えていく。それに合わせて人も増えていく。無意識に×××の服を掴んだら×××はディーヴァを抱き寄せながら歩いてくれた。今更×××がディーヴァの小さな歩幅に合わせて歩いてくれた事を認識できた。中心地は出店は勿論大道芸なども出ており大賑わいだ。流石に目が回ってしまう…。何を何処から見たら良いのやら…。

『ディーヴァ、あそこに座れる場所があるからそこで少し休まない?』
『……うん…。』
『…ンッ……うん、行こうね〜。』

軽く人酔いして弱々しくなったディーヴァとは裏腹に非常にご機嫌な×××が先導し、やっと休めるような場所についた。中心地の人並みや賑わいがよく見える…テラスのような広場の…特徴的な石…座っていいものなのだろうか…なんてボーッとしてしまう。

『こういうデザインの椅子だから大丈夫だよ。』

ディーヴァが座ってる椅子に気を取られてる小さな合間に×××は白い小さなふわふわとした花を手に持って隣に座る。

『何処から盗ってきたの?』
『失敬な、ちゃんと配られてたのを貰ったんだよ。』
『そんな小さいのを?』
『コレに意味があるんだよ。』
『ふーん?どういう意味?』
『それはディーヴァがいつか調べてね。』
『私が?×××が知ってるなら教えてくれれば良いじゃない。』
『じゃあいつかね。』

多分×××は先日のキスの件を根に持ってる気がする。同じような言い回しをされるとそんな風に勘ぐってしまうのはこちらの落ち度なのだろうか。×××は指先を器用に使って白いふわふわの花の茎を編んでいく。

『器用ね。』
『こんくらい出来ないと雑用なんて出来ないからさ。』
『手先が器用なのは良い事よ。』
『ディーヴァが褒めてくれるなら嬉しいな。』
『なんで私限定なのよ。』
『俺にとってディーヴァは憧れの存在でもあるからだよ。』
『…憧れ?』
『そ、初めてディーヴァの歌を聴いた時からずっとだよ。あの時はディーヴァ以外目に入らなかった、あの水槽さえも消えたように感じたよ。』
『ふーん?』
『俺は次の演目に備えて舞台端の結構遠い位置にいたんだけどさ、それでもすぐ傍に居るような感じがするんだ。』
『×××にはそう聴こえたの?』
『多分俺以外もそう聴こえたと思う。でも俺にとってディーヴァが歌う時はずっと“俺とディーヴァだけの空間”みたいに感じてた。』

×××の表現の仕方が上手く理解できない。ディーヴァは結局歌う側であり聴く側では無かったからだ。聴く側の視点も感じ方も歌う側じゃ理解できない。

『ディーヴァが歌う度に皆の手が止まる、ディーヴァが歌う度に皆がディーヴァを見る、皆で客を楽しませなきゃいけないってのに…ディーヴァはずっと遠くに居て…だけど歌だけはずっと近くに居たんだよ。』

その言葉と共に茎を編み終わったふわふわの白い花が出来上がる。×××はディーヴァの左手を優しく取って…薬指にソッとはめた。サイズはピッタリ、可愛らしい小粒の白い花が服によく馴染む。

『一目惚れだったのかな、初めての事だからよく分かんないけど…ディーヴァの実力も存在の凄さも…初めてディーヴァの歌を聴いた時に気付いたよ。』
『…だから庇ってくれたの?』
『庇ったって?』
『私が来た初めての日よ、水槽を蹴ってきた団員が居たじゃない。』
『あぁ、あの時か。』
『あの時、恨み辛みを散々吐かれたわ。言い返してやったけど。その時に間に入って場を取り持ったのは×××だけだった。』
『…俺あの時ディーヴァが言い返した時すっごい腑に落ちたんだよね。』
『…何が?』

優しく手を握りながら二人で花祭りの様子を眺める。賑やかな人波、鮮やかな花の装飾、盛り上がる大道芸…少し離れた位置から見るとこんなにも楽しげなものなのか。

『ディーヴァは自分の歌に絶対的な自信があったんだって。そんなディーヴァだから誰も彼もディーヴァの歌声に心を奪われたんだって。』
『当然の事でしょ。場所と見てくる生物の数が増えたくらいで歌えなくなる程弱くないわ。私の歌は悪魔でさえも気に入るんだから。』
『…悪魔にあった事あるの?』
『えぇ。』
『悪魔ってどんな感じだった?』
『黒い霧を纏った角の生えた生物よ。二足歩行で尻尾も生えてたわ。肌が黒くて目が真っ赤で…動物達は皆逃げたの。』
『…ディーヴァは怖くなかったの?』
『全然、私は何が来ても好きな場所で歌うだけよ。悪魔は何も言わずに座って歌を聴いてたわ。』
『悪魔って結構…悪いイメージが強く根付いてるけど歌を楽しめるような感情があったんだね。』
『私にとっては悪魔も人間も熊もリスも同じ生物に見えるわ。…でも、あの悪魔は歌を聴き終わった後少しだけ私を見つめてた、そして立ち上がってきちんとお辞儀をしてから消えたの。』
『笑ってた?』
『いいえ、笑ってるかなんて分からなかったわ。でも行動の一つ一つに敬意があるのくらいは気づけるものよ。』
『…悪魔でさえも聴き入る歌声なんて人間が聴いたらイチコロだろうね。』
『…歌いたくなったわ。』
『今?』
『出来るだけすぐに。』
『んー…小さな声ならバレないんじゃない?』

×××がそう言ってくれたから少しばかり息を吸った。サーカス程じゃない、湖に居た時程じゃない、小さな小さな声で歌う。優しい歌声なのに何処か賑やかな音程で、鮮やかなリズムで…まるで花祭りで見た景色を歌うような声だった。身体が満たされてく。やはり歌を歌うのは好きだ。隣にはお気に入りの人が居て、その人が優しく手を握ってくれていて、贈り物や優しさが詰まった衣装を身に纏って…。気分が良い。比較的短い歌を終わらせてスッキリした後…×××が自分を急いで抱き抱えた。

『何?どうしたの?』
『結構まずかったかも、周り見て。』

周りを見回せば×××がどうして焦っているのかがすぐに分かった。花祭りを楽しんでいた人が、店を開いていた人が、大道芸をしていた人でさえもその演技を止めてこちらを見ていたのだ。そこには軽やかなメロディが流れているだけで人の賑わいの声なんて一つも無かった。あんなに小さな声で歌ったのに…付近に居た人間を皆惹き付けてしまったのだ。×××は急いでその場を離れようとディーヴァをお姫様抱っこした状態で駆け出してく。その動きを追うように重たい足音が聞こえてきた。

『×××、追われてるかも。』
『何人くらい?』
『3人よ。』
『どんな人だと思う?』
『分からないけど祭りを楽しんでた人達の足音とは違うわ、もっと重くて…そう、金属質みたいな…。』
『警備兵だ。出来る限り人混みを利用して逃げよう。』

人波を縫って縫って…足音を遠ざけようとするが段々と足音が増えてくる。それを逐一伝える度に何処から聞こえるのかを問われなんとなくの位置を伝えてたら×××は人波を離れて狭い道を走り始めた。膨らんだ肩掛けバッグがぼふぼふと揺れてると言うのに速度を落とさず×××は懸命に走っている。

『なんで警備兵が追ってくるの?』
『分かんない、でも捕まっても良い事は何一つ無いよ。』
『私の歌のせい?』
『ディーヴァは何も悪くない、もしかしたら手配書が出回ってたのかもしれない。』
『手配書?』
『そう、人を探してたり、捕まえたい犯罪者を伝えたり…そういうやつ。』
『×××が追われてるってこと?』
『いや、手配書は一定期間意味をなさないと無くなってく事が多いんだ。俺のはもう取り下げられてるはず。』
『…じゃあ…。』
『研究所がディーヴァを探す為に手配書を出したってのが1番有り得るかな。』
『街から出た方が…』
『警備兵が間抜けなら出られるけど…そうじゃない限りは今の服装じゃ出られない。門で止められる。』
『元の服に着替えましょう。』
『その場所が分からない。』
『…ぇ…。』
『サーカス団は比較的邪魔にならずに、尚且つ目に留まりやすい場所で開くんだ。街によっては団員がバラバラの場所で寝泊まりする事もある。服とかを買ったり物を買ったりはするけど人目が一切無い場所をわざわざ頭に入れる事は無いんだよ。』

×××は段々と息を上げていく。人目が一切無い場所…特に街の中ならディーヴァは使い物にならない。×××にそういう知識が無いとなると…今出来るのは警備兵をなんとか振り切って身を隠すくらいだ。何か出来る事…何か…このままじゃ×××の体力がもたない。

『次の曲がり道がある場所で左に曲がって、その次に右に。』
『な、なんで…』
『静かにして、集中してるの。人目の無い場所って話し声も足音も何も聞こえない場所でしょ?なら聞き分ければ良いだけよ。×××は指示に従って走って。』

聞き分けろ。人の声も足音も何も聞こえないような寂れた場所を見つける為に耳に全部集中させる。祭りの騒ぎが煩く感じて仕方がない。なんなら×××の息を切らす音や心音も…それでも尚聞き分けるんだ。私なら出来る。私しか出来ない。指示を数回出していれば人目が一切無い、手入れもされてない場所に出た。まるで高台を目指すような階段がポツンとあるだけで公園でもなんでもない。

『登っ…た…方が…良い?』
『えぇ、でも自分で登るわ。』
『…行ける…?』
『えぇ、警備兵の足音はだいぶ遠いもの。私が登る時間くらい充分あるわ。』

スルリと×××の手から降りて階段に行くように手を繋いで歩く。最初に階段を登ったのはディーヴァだ。汗だくになった×××の手を引いて…階段を登っていく。段差を登る事がこんなに大変なんて思わなかった。持ち上げる太ももが重い、足を踏み込んで上がる身体が重い、降りる時は軽かったはずなのに…登るのは酷く苦しい。やっとの事で登りきった先には1つのベンチと高い棒状のような建物…忘れ去られていた場所のように苔が生えており周りにある木や草は手入れされずに伸びきっている。

『×××…人目は…どう…?』
『…全然…無い…。』

2人して息を切らしながら身の安全を確認し合い即座に服を着替える為に脱いだ。少し雑かもしれないが汚れないように紙袋に入れてなるべく小さく纏めてからズルリと出した汚い服に着替えてく。忘れずに髪留めもバッグの中に入れてもらってから下ろしていた髪をちょっと雑に纏めあげて、薄汚れたケープを羽織った。先程までの小綺麗な兄妹ではなく、街に来たばかりの小汚い兄妹に姿を変えてから…ベンチに二人で腰を下ろす。

『…研究所って…手配書…出せる…場所だったっけ…。』
『…知ら…ない…でも…サーカス団に…多額の寄付…を…するくらいの…財力は…ある…わよ…。』

ゼーハーとしていた息を整える時間を設けた。それと同時に×××は頭を回した。多額の寄付を出せるくらいなら背後に国や何かがあってもおかしくない。それならディーヴァの手配書が出回ってもなんら違和感は無いのだ。もし国が後ろに居なかったとしても金さえ積めば手配書なんていくらでも作れる。

『多分捕まったら研究所だ、暫くは街を行き交うのは厳しいかな。』
『…私…やっぱり魚みたいになるのかしら…。』
『ならないよ。』
『…なんで…』
『言ったじゃん。俺らの事なんて誰も知らない場所に行こうって。ディーヴァが居れば森の中でも楽しく暮らせるんじゃない?』
『…森にはベッドなんてないわよ。』
『ならベッドの代わりになるもの作れば良いよ。』
『食べ物だって少ないわ。』
『俺狩猟出来るから平気だね。』
『…×××はそれでいいの?人間は室内に居た方が安心するんでしょ?』
『俺はディーヴァが安全でいれる方が安心する。』

×××がいそいそとディーヴァの太腿に頭を乗せて寝転がる。×××がどんな表情をしてるのかは自分の胸のせいで見えないが…不安そうにしてなければそれで良いから…身体を縮めるように抱き締めた。

『…ディーヴァ…これは…死ぬかも…。』
『ぇ、抱きしめてただけじゃない。』
『胸が大きくて息が出来ないです。』
『…胸が大きいのって変な所で損するわね。』
『俺は好きなのでありがたい限りだけどね。』

もそもそと膝枕から起き上がってから×××は甘えるようにディーヴァを抱き締める。ソレを受け入れて背中をポンポンと慰めるように撫でていれば×××は“癒される〜”と小さく呟いた。そして少しだけ離れ…夕方に差し掛かる空の色合いを眺めながら少しだけキスをした。ここから見た夕方の色は多分忘れないだろう。綺麗だったから。2人は夕日を眺めてスキンシップをしながら束の間の休息を楽しんだ。

『次は何処行こうかな…ちょっと危ないけどこの街から結構離れた場所にデカめの森があるんだよね。とりあえずそこ行く?』
『そうね、まずは街から出られるかだけど…。』
『この服装なら出られると思うけど…ディーヴァ、とりあえずいつものやろ。出来る限り顔とか隠して、もちろん髪も。で、声は比較的出さない事。ディーヴァにとっては歌えないって結構苦しいかもしれないけど…安全な場所に行くまで我慢して欲しい。』
『分かったわ。我慢くらい出来るわよ。』

そのやり取りをしてからこの街に来たばかりのように×××の背中に身体を預ける。深く被ったフード、×××の肩…少なくとも顔は見えないはずだ。服もさっきとは違うし…無事に出られる確率はグッと上がったはず。そして階段を降り始めた。転ばないように1段1段丁寧に…その後曲がりくねった道を通りながら大きな通りに出る。いつ撮られたか分からない歌を歌ってた時のディーヴァと隣に居た×××の写真が壁に貼られていた。

『研究所からの脱走者と誘拐犯だってさ。』
『随分な言い草ね。脱走したのはサーカスからよ。』
『研究所にとってはディーヴァを買い取った時点で研究所の所有物感覚なんじゃない?』
『…最低ね、人を物みたいに…。』
『…これまで本に纏められていた種族の人達も同じような経験してたのかな。』
『…知らないわ…私にとっては他の生物の事情なんて知ったこっちゃ無いもの…。』
『…人間ってなんなんだろうね…。』
『…それも分からないわ…。』
『…俺も分かりたくなくなってきたよ。』

そんな会話をしていたら金属質な足音が聞こえてくる。追ってる訳ではない、単純に警戒態勢を取って巡回してるだけだ。怖がる必要は何処にもない、何処にもないはずなのに心臓がバクバクと跳ねて呼吸が浅くなる。×××の服をギュッと握った。×××は足の早さを変える事なく警備兵の横を通り過ぎる。声は…かけられない。ディーヴァは緊張で震えそうな身体を懸命に落ち着かせようとしてるのに対し×××は至って冷静に歩いていた。歩調を乱さず、焦りを見せず、ただ淡々と門に近づく。そこには嫌な景色が広がっていた。

『検問してやがる。』
『検問って何?』
『門番や警備兵が街から出る人を一人一人確認するやつ。』
『顔を見せるの?』
『そうなるね。』
『出られないじゃない。』
『シーッ…静かにしてれば行ける行ける。』

怖がるディーヴァはキュッと口を閉じた。門番や警備兵が街から出る人を確認する間にバレないよう少しばかり道を逸れて、厳重な問答や確認のせいで段々と作られる列の中に馬車を使用する人が列に並んだ。×××は颯爽とその後ろにピッタリと付いて…白い布で覆われた荷馬車の中にディーヴァを詰め込むように中に入れてから自分も入る。中には鶏を始めとした果物や香辛料の入った箱が置いてあった。

『出来る限り奥に行こう、なんなら軽く箱をズラすからディーヴァはいい感じに隙間に潜って欲しい。』
『×××は?』
『俺も入れそうな隙間を探す、絶対見つからないようにするから…はい、ココに入って。』

×××が隙間を開けてくれたからディーヴァはそこに細い足を入れてお尻を入れ…しゃがもうとすると胸がぽいんっと引っかかる。顔を逸らして肩を震わす×××は多分笑ってる、いや絶対笑ってる。早くなんとかしろという圧をかければもう少しだけ箱をズラしてもらいなんとかすっぽりと収まった。×××が自分が入れそうな隙間を作ってる途中で“止まれー!”という声が外から聞こえる。馬車をひいてるであろう商人と警備兵か門番が会話をしている。“積荷を確認してもいいか?”。心臓がバグンと音を鳴らす。まだ×××が隠れきっていない。見つかってしまう。足音が荷馬車の中を見る為に後ろ側に回ってくる足音が聞こえる。その音は金属質だ。暗かった荷馬車の中に光が差し込む。

「…何が入ってるんだ?」
「この街でしか売られてない果物と卵を売る為の雌鶏、別の街で購入した香辛料…あと布も少々…。」
「中を見る事は?」
「やめてください!商品に傷が付いてしまったら値が下がる事くらい警備兵さんでもご存知でしょう?」
「…そうだな。見た所怪しいものは無さそうだ。箱という箱は言われたもので詰まってるしな。」
「勿論ですとも。」
「…通って良し。」

ギリギリで隠れ場所に身体を隠した×××はその言葉に安堵するように胸を撫でていた。馬車はゆっくりと動き出し…ガタガタと音を立てて門から出ていく。冷や汗が止まらなかった。×××が隠れられたのはギリギリだったし…隙間が出来てる事なんて商人も気付いてなかった。誰しもが緊張していたからこそ救われたのだろう。

『ディーヴァ、さっきは少し乱暴にしてごめんね。』
『仕方ない事よ。寧ろモタモタしてたら間に合わなかったかもしれない…×××の判断力で助かったんだから文句はないわ。』
『ありがとう…でも良いタイミングで出ないとね。バレたらまた鬼ごっこが始まる。』
『良いタイミングって?』
『ちょうど道が荒くなって馬車の揺れが激しくなってきたくらいかな。そこら辺なら降りてもバレにくいだろうし…そこからは森に向かって走る。』
『干し魚…食べなくて良いの?』
『臭いが残るから…食べるならこっちかな。』

×××は箱の中から林檎を1つの取り出してディーヴァに渡す。そして自分の分も取っては1口シャリっと食べ始めた。コレ…売り物だよね…でも…文句は言ってられない。覚悟を決めてディーヴァも林檎を1口齧る。両手でしっかり持ってジャグジャグと。

『ディーヴァって本当に可愛いよね。』
『何よ、急に…。』
『持ち方とか食べ方とか…なんか一生懸命って感じがして可愛いなって。』
『だってこの果物固いもの…。』
『俺が咀嚼したのを口移ししてあげようか?』
『嫌よ、そんな雛鳥みたいな事されるなんて…赤ちゃん扱いしないで。』
『良いじゃん、そっちの方が食べやすいんだから。』
『絶対嫌、一人で食べる。』


シャクッとした音とシャグシャグした音が響く中…やっとディーヴァが4分の1を食べ終わったであろう時に×××は既に食べ終わっていた。ディーヴァの顎はもうクタクタだ…階段登るのも大変だったし…だから…。

『ディーヴァ、林檎半分ちょーだい?』
『…ん……。』
『あと…こっちに来て欲しいな。』
『…ん……。』
『ありがとう。』

×××に食べかけの林檎を渡して、言われた通り近くに来て、擦り寄って…疲れた身体に身を任せるように少しばかり眠った。水槽の中とは違う、森で寝転がってた時とも、ベッドで寝た時とも違う…揺れがあって固い床があって…でも隣に×××が居るから…心地好くディーヴァは眠れた。小さく呟かれた“お疲れ様、おやすみ。”と優しく零された言葉だけはふんわりと耳に残っていた。

……

目が覚めたディーヴァはやっと自分が×××に背負われてるのに気付いた。もう2人は馬車に乗っていない、なんなら森が目の前にあって…時間はとっぷりとした夜だった。随分長い間寝てしまっていたらしい。

『おはよう、ディーヴァ。』
『随分長く寝ちゃったわ。』
『今までずっと水槽に居たんだから、いきなり長い階段登ったり人波の中を歩いたら疲れちゃうもんね。』
『いつ馬車を降りたの?』
『んー空が暗くなり始めて馬車が止まった時かな?』
『今何時くらいなのかしら。』
『多分深夜くらいじゃないかな、2時くらい?』
『7時間以上は寝てたのね…私…。』
『寝顔可愛かったよ。』
『……。』

申し訳ない気持ちで言ったつもりが×××の言葉で恥ずかしくなってしまい顔を背中に押し付けてしまう。ここまで来る間寝てる自分を気遣ってゆっくり歩いてたのであろう×××にお礼を言いたいのに…上手く言えない。

『さて、朝日が昇るくらいには森に着くかな。』
『その森ってどんな感じなの?』
『結構危険な動物が多くてあまり人が近付かない森だよ。』
『…だから私が歌っても問題無いのね。』
『そ、寧ろ歌ってもらわないと俺が食い殺されるね。』
『怖い事言わないでよ…。』
『アハハッ大丈夫だよ。その時はディーヴァが守ってくれるだろ?』
『任せなさいよ、私が歌でソイツら止めてやるわ。』
『なんなら森入って少ししたら歌ってみる?』
『良いの?』
『人間に向けてじゃなくて…そうだなぁ…動物に敵意は無いよって気持ちで歌って欲しいかな。』
『…やってみるわ…初めての事だから上手く出来るか分からないけど…。』
『ディーヴァなら出来るよ、だってサーカスでやったじゃないか。“私の歌を聴け”って。』
『…そこまで分かるような歌だったの?』
『うん、だから全員聴いたんだよ。なんなら全員に聴かせたんだよ。』

×××の言葉に“ふぅん…”と返した。つまりディーヴァの歌声はディーヴァの気持ち次第で伝わる相手を変えられると言うことか。サーカスでは“私の歌を聴け”と、街では“歌を聴いて欲しい”と…つまりそういう事なのかもしれない。

……

やっとの事で森に着いた。もう空は白みを帯びて太陽が少しばかり顔を覗かせている。森に入って少しばかり経ってから…ディーヴァは小さな声で歌い始めた。“敵意は無い事が届くように”と気持ちを込めて…。すると近くに動物が集まり×××の歩調に合わせて着いてくる。決して近寄らず、それでいて離れず…歌を聴くが為に…。最初は小動物が、途中から鹿も着いてきた、怖そうな熊が近付いてもディーヴァは気にせず歌い続ける。×××がその現状に歩調が乱れても一定のリズムと優しい歌声は崩さずに…。2人を見て歌を聴いていた動物達は一切の攻撃をしてこなかった。なんなら弱肉強食すら忘れて歌を聴いていた。人間から見れば異質な光景でもディーヴァにとってソレは慣れたものだった。途中から“×××も怖くないよ”と教えるような歌に変えていった。リズムを変えて、歌詞を変えて…この人が如何に優しい人か…ソレを伝えるように…。すると森の奥深くまで安全に歩けていた。そこで川が見えたから“此処で休憩しよう。”と×××が提案し、ディーヴァは優しく川の近くに降ろされた。ソレと同時に歌うのをやめれば動物達はやはり攻撃してくる事なく静かに離れていった。

『ディーヴァって本当に凄いね。』
『私の歌だもの、このくらい当然よ。』
『あと途中から俺の歌になったよね。』
『敵意は無い事や私の歌が美しい事は伝えられても…×××はどうなるか分からないもの。』
『なんか聴いてて嬉しかったよ、めちゃくちゃ俺の事褒めてくれるなぁって。』
『悪く歌えば悪い人間と印象付けるじゃない。』
『それもそうか。』
『あとこの川もう少し上流の方が良いわね、あまり美味しくない。』
『そう?じゃあ休憩終わったら川の上流に向かって歩くね。』
『…無理はしないでよ。』
『無理はしないよ。ディーヴァの言う美味しい水は安全な水だからね、生きてく上で必要な事だから行くべきだよ。』

たっぷり歌ったディーヴァは満腹であろうと×××は思ったのか自分の分だけ干し魚を取り出し食べ始めた。ソレを見たディーヴァは手を差し出す。何かを察した×××は少しばかり小さめに割いてからソレをディーヴァに渡す。ディーヴァは渡された小さな干し魚をモグモグと咀嚼した。しょっぱくて不味い。

『無理しなくて良いんだよ?』
『……食べたいから…食べるの…。』

口をもごもごさせながら×××に返答する。不味くてもしょっぱくても臭くても…×××はディーヴァの為に作ってくれたのだ。勿論大量には食べられないが…その気持ちは食べたいと思うには充分だった。そして軽い水分補給と食事を終えてからディーヴァを背負い×××は川の上流を目指す。どんどん森は深くなっていく。木々は生い茂り…時折動物の気配はすれどこちらに対しては何もしてこなかった。まるで仲間と判断したかのように彼らは無反応を貫いた。川の上流には少し開けた場所と湧水があった。湧水と言えども元ディーヴァが居た場所と違って岩の隙間から溢れてるもの。×××はそこに近づき、溢れる湧水にディーヴァは手を伸ばし触れる。

『どう?』
『とても新鮮で美味しいわ、飲んでも問題ないと思う。』
『じゃ、ここら辺を一時拠点にするか。ちょうど開けてるし。』
『えぇ、×××、お疲れ様。』
『ディーヴァって労いの言葉を素直に言えるんだね。』
『何よ、文句ある?』
『いや、ちょっとビックリしただけ。』

ディーヴァを背中から降ろしてから×××は指を絡ませ肩甲骨を寄せるように腕を上げて伸びをする。やはり誰かを背負いながら長時間歩くのは疲れるものなのだろう。ディーヴァなんて×××の手を引きながら階段を登るだけで息を切らし苦しくなるんだから。

『×××の体力ってどうやって付けたの?』
『サーカス団に居た頃に扱かれまくって付けた感じかな。重たいものだって平気で持てるようにならなきゃいけなかったし、演出中に失敗して怪我人が出たら迅速に奥に連れてかないといけないし、それを簡単にこなせるように走り込みや筋トレとか…まぁ色々やったかな?1番怖かったのはライオンとの追いかけっこだったけど。』
『…それ怪我しなかったの?』
『途中でトレーナーが止めに入ってくれたよ、その時に動物に背を向けて逃げるなってしこたま怒られたね。』
『…人間って結構動物に弱いのね。』
『んー…どちらかと言うと“自然に弱い”感じかな。野生動物は勿論地震とかの自然現象とか。あと結構脆い、病気になるだけですぐ死んじゃうし、時には殴られたりするだけで死ぬ人も居る。』
『脆い?あんな不味い水を飲み続けるのが普通なんでしょう?結構丈夫じゃない。』
『それは人間が水を飲めるように色んなものを混ぜたりしてるからだよ。病原菌を殺すやつとか色々。』
『だからより不味いのね。』
『ディーヴァにとっては不味い水でも人間にとっては安全な水なんだ。でもディーヴァの言う美味しい水は普段人間が飲んでる水に比べてうんと安全って事。』
『だから私の言った事に従うのね。』
『信じてるからね。ディーヴァの歌も、自然に対する対応力も全部全部。』
『…私も街やアクシデントに対する対応力を持ってる×××を尊敬してるわ。それは信じてるって言葉と同じかしら。』
『多分?』
『…そう…。』

お互いがお互いを信じ合いながら夕方になり…開けた場所から見える空のグラデーションを眺めながら少しばかりの会話を繰り返す。ディーヴァの親の話とか、ディーヴァは何処で寝ていたのかとか、ディーヴァの歌の話とか…冷静に思い返せばディーヴァの話しかしてなかったが…。日が落ちると同時に2人して身体を暖めるように寄り添い合った。

『ディーヴァ、いつか火で炙った干し魚食べさせてあげるって言ったけどさ…動物って火とか怖くないかな?』
『動物が怖がるのは火じゃないわ。火のせいで自分達の居場所が壊される事を怖がるのよ。だからちゃんと火の始末をしたり木々に燃え移らないように管理すれば大丈夫だと思うわ。』
『確かに人間も火は使えるし便利だと思ってるけど火事は怖いもんね、そんな感じか。』
『えぇ、だから火を作るのは自由だけど扱いに気を付けて欲しいわ。』
『分かった。』

そう言った×××は水場から僅かに離れた位置に穴を軽く掘り始めた。その近くには少し小さな穴を…最初に掘った穴と繋げるような形で掘る。掘り終わって汚れた手をパンパンと叩いてから比較的近い場所…ディーヴァの視界から離れないような場所で枯葉やら枯れ枝を少し少し集めていく。あとよく分からないボコボコとした木の実も持ってくる。

『…何そのボコボコしたやつ。』
『コレ?松ぼっくり、よく燃えるんだよね。』
『…×××って意外と知識があるのね。』
『そりゃぁ、まぁ、自然と身に付く感じ?』
『ふーん。自然とねぇ…。』
『ディーヴァだって歌が自然と身に付いただろ?』
『…確かにそうね。』
『ソレと同じだよ、生きる為に必要なものは自然と頭に入るし身に付くんだ。ソレを効率化させる為の知識は追々付いてくる。』

そう言って枯葉や枯れ枝、松ぼっくりを最初に掘り始めた大きな穴に入れる。そしてバッグから小さな折り畳みナイフを2本取り出して擦り合わせるようにシャッと何度も繰り返して…飛び散った火花で枯れ木が燃え始める。小さな穴に息を吹きかけて…段々と火がその穴の中に広がった。

『じゃーん、ディーヴァって焚き火とか見た事ある?』
『無いわ。』
『そう?もうちょっと近くで見てみる?』
『…えぇ…。』

少しの怖いもの見たさで×××の提案を受け入れれば焚き火の近くで…近くと言っても間近ではなく程よい距離まで近づく。火によって出来た温もりが肌を撫でる。ゆらゆらと揺れる火の先端は人工物の照明よりも柔らかくて…何処か心地好かった。

『…綺麗ね…。』
『人間は寒かったりするとこういうの作るんだよ。作り方は人それぞれだけど…動物に火を見せないやり方なら手間だけど今やった焚き火の作り方が一番かなって。』
『他にも作り方があるの?』
『あるよ〜なんなら火を作る道具とかある。マッチとかはディーヴァも聞いた事あるでしょ?あとジッポとか。』
『煙草に火を付けるアレね。』
『そうそう、アレがあると少し楽なんだけどマッチだと雨が降ったらダメになるし…小さいけどジッポは高いし…だからナイフの摩擦熱とか火花で火を起こしたんだよね。』
『…ていうかナイフなんて何処から持ってきたの?』
『ディーヴァの魚を捌くやつとサーカス団が食事する為の料理を作る為のナイフだね。1つは個人的に買ったやつで、もう1つは支給品。』
『×××って料理出来るの?』
『全然、味付けの才能が無いらしい。だから食材を切る担当だった。』
『あと支給品って持ってきて良いの?』
『それは指摘したらダメなやつ。』

なるほど、つまり×××は盗んだって事だ。まぁ、あのサーカス団から盗むのなら別に良いだろう。アイツらだってディーヴァを盗んだも同然なんだから。ナイフの1本2本で喚くのならお門違い甚だしい。そしてディーヴァはいそいそと焚き火から離れて、その熱から逃げるように近くに座っていた×××の背中にもたれかかった。

『熱かった?』
『ううん、熱くはないわ。でも暖かいなら×××の方が気分が良いだけよ。』
『そっか。』

×××はディーヴァの言葉に少し耳を赤くしながら干し魚を取り出して火で軽く炙っていく。火傷しないようにゆっくり…そして出来上がったものをフーフーと吐息で冷ましてから“1口どう?”と肩越しにディーヴァに差し出した。ディーヴァはソレをモグっと口に含んだ。臭くてしょっぱいのは変わらないが…滲み出た油で少し柔らかくなっており比較的食べやすい。ソレをチュッチュと吸っているとその姿を見たかったのか干し魚でディーヴァを少し後ろに誘導しながら×××はディーヴァの方に身体を向ける。

『…ッ〜…可愛い〜…。』

デレデレの顔を×××は晒してるがこちらは今1口食べるのにも必死なのだ。あともう少しで噛み切れるはず…と思いながらもチュッチュとしゃぶりながらブツっと食いちぎった干し魚をモグモグと咀嚼する。味が特に変わる事は無かったがそのまま食べるよりうんと食べやすかった。

『…悪くないわ…。』
『それなら良かった。もう一口要る?』
『…もう充分よ。』
『……そっかぁ…。』
『何よその顔…。』
『赤ちゃんみたいに吸い付いてるディーヴァ可愛かったからなぁって…。』
『…ふんっ!』
『ぅっ右ストレートは聞いてない。』

叩くのは対応されたから初めて人を殴ってみた。ディーヴァは怪我こそしなかったが固い腹筋に手がジンジンする。比べて×××はヘラヘラと笑って顔を赤くしてるディーヴァの手を触りながら“痛くない?”と聞いてくる。無論“痛くない!”と強がってたら頭を優しく撫でられた。ディーヴァと×××は食事を終えて…焚き火を眺め…モクモクと立ち上る煙を見ていた。

『今さっき…。』
『ん?』
『今さっきは私の話ばかりで×××の事何も聞いてなかったわ。』
『確かに。』
『私…×××の事もっと知りたいの。』
『…。』
『×××は誤魔化すけど…知りたいわ。』
『…そっか…。』
『いつかで良いわ、今すぐじゃなくても良い。いつか話してちょうだいね。』
『………俺さぁ…。』
『…うん。』
『スラム街で産まれたんだよね。父親は居なくてさ、母親は売春婦だった。』
『…売春婦って何?』
『色んな男性と性欲のやつをやってお金を貰う人の事だよ。』
『…そう…。』
『で、それで産まれたのが俺。双子の兄がいるね。』
『兄弟が居たの?』
『居たよ。』
『今は?』
『さぁ、向こうも向こうで色んな事して生きてるんじゃないかな。』
『…あまり知らないのね。』
『兄弟で助け合えるほどスラム街は甘くないんだ。食事は上手く盗めたものをスラム街の人達で取り合うし、服だっていつだって奪い合いだった。仲は良くなかったよ。』
『…そうなのね…。』
『で、俺は奪われるだけじゃ腹は膨れないし寧ろ疲れて動けなくなるって分かってからはホラ話で人を集めて小銭を稼ぐようになったんだよね。』
『…商売を始めたのね。』
『そう、聞いてくれる人は全部嘘話って気付いてたよ。最初は見てもくれなかったけどちゃんと物語調に語り始めてからはちょこちょこ人も増えて1日を凌ぐには充分な金はあったね。』
『じゃあなんで詐欺師なんて始めたの?』
『そりゃスラム街だからだよ、どんなに小銭を稼いでも奪い合いが始まるんだ。しかも俺はその時子供だったからね。だから初めてやった悪い事はスリだね。人の財布をコッソリ盗むやつ。それで服を買ってまともな見た目をしながらスリを続けて…ある程度成長して働いてもおかしくない年齢になってから詐欺を始めた。』
『…×××も大変だったのね。』
『アハハッ今じゃ良い経験だよ。おかげでディーヴァに可愛い服着せれたし、ベッドで眠れる経験させてあげれたし。あと冷静にヤバい状況を乗り越えれる度胸も付けれたし。』
『ポジティブ思考ね。』
『うん、そうだね。でもディーヴァの生い立ちも結構衝撃的だったよ?だって親の顔見た事ないんでしょ?』
『ないわね。初めて目が覚めた時からずっと1人よ。』
『寂しくなかったの?』
『寂しいなんて感情はその頃無かったもの。でも家族で歌を聴きにくる動物とか見てると少し寂しいって感じたわ。』
『でも仲間を探しに行かなかったの?』
『行かなかったわ。あの森の中しか知らなかったし…何より森から出るのが怖かったのよ。』
『…それはどうして?』
『出ちゃいけないって何故か思ったの。』
『なるほど、本能的なものか。』
『そうかもしれないわね。』
『今は寂しくない?』
『えぇ、×××が離れずに居てくれるもの。』

その言葉に×××は照れくさそうに笑う。信頼してるからこそそう思えるのだ。それと同時に…自分は長寿な方だと聞いた。どんなに長い時間×××と共にしても彼が先に老いて死ぬのは分かってる。それを考えると寂しいと感じてしまった。だから擦り寄った。

『×××、私より先に死なないでね。』
『出来るかなぁ。』
『死なないで。』
『努力はするよ。』
『絶対だからね。』
『頑張るよ、しわくちゃになっても一緒に居る。』

寂しいという感情を埋めるようにキスをした。抱き締めた。×××が自分から離れないように。離さないと誓うように。

『ディーヴァ、俺さ。』
『何?×××。』
『ディーヴァの歌聴きたいな、俺だけの歌。』
『…歌っていいの?』
『俺が聴きたいだけ、俺しか知らないディーヴァの歌を。』

×××がおねだりするように言うから…ディーヴァは×××の手を握りながら…×××の事だけを想って歌を歌った。2人だけの空間で。×××にだけ聴かせたいという気持ちで。その歌声は愛おしさに満ちていて、時折皮肉すら感じて、なのにそれさえも受け入れるような…そんな歌だった。人間らしく言うのならコレは“ラブソング”なんだろう。でもソレが分かるのは×××だけだ。ディーヴァは×××を想って歌ってるだけで…そこに愛なんて分からない感情を織り交ぜる器用さは無かった。コレは“アイの歌”だ。“愛”を明確に知らないディーヴァだからこその不器用な歌だ。でも聴かせるのは×××にだけだから…下手な方だと自覚しながらも歌った。この歌を他の人に聴かせるなんてきっと無いだろう。そんな歌だった。

そんな歌は中途半端なタイミングで遮られた。人の足音が聞こえ始めたからだ。何かを察した2人は急いで焚き火を消し、バッグを肩にかけた。

「居たぞ!!!」

その声と同時に×××はディーヴァを抱き上げて走り出した。

「誘拐犯は殺していい!研究対象はなるべく生かせ!無理なら2人共殺せ!!死体でも価値がある!!」

背後から銃声が鳴り響く。鳥がバサバサと夜空を飛んで行った。×××は無我夢中に森の中を走った。それでも銃声は鳴り止まない。追ってくる足音も鳴り止まない。

『×××!!』
『分かってる!!』

2人して知らない森の中を駆けるしか手段が無い事も、向こうは研究所側の人間であり、ディーヴァを捕らえる為の人間達である事も分かっていた。

銃声と共に嫌な音が響いた。まるで何かに当たったような…柔らかな何かを貫いたような。途端に×××は吐血する。それでもディーヴァを抱き上げる手を緩める事なく、寧ろ強く力を込めて走った。嫌な音が銃声と共に何回も聞こえる。

「もう良い、あとは血痕を追うだけだ。いずれ走れなくなる。」

その声と同時に銃声は止んで、足音も遠ざかって行った。×××は自分に残る力と時間の間走り続けた。ディーヴァが何度も名前を呼んでも返事をする事なく走り続けた。そして…ガクンと膝が折れた。

『×××!×××!』
『でぃ…ヴぁ…逃げて…遠くに…。』
『嫌よ!置いてけない!』
『…早く…。』

×××の言葉を無視して、今度はディーヴァが無理して×××の腕を肩に背負って歩き出した。重たい、階段の時よりずっとずっと重たい。でも×××を置いていきたくなかった。その気持ちだけで足を踏み出して踏み出して…。背中に伝わる熱から逃げるように懸命に歩いた。

『でぃぃ…ヴぁ…』
『×××、安全な場所で2人で暮らすんでしょ?』
『……ぅん…』
『ベッドを作るんでしょ?』
『………ん……』
『私より先に死なないよう努力するんでしょ?』
『………………』
『×××の為ならどんな歌でも歌うわ。』
『………………』
『性欲だって沢山する。』
『………………』
『この際どんなに不味いご飯でも水でも食べるし飲むわ。』
『………………』
『もう我儘言わないから。』
『………………』
『ねぇ、×××。』
『………………』
『…何か言って…。』

ボロボロと涙が溢れてくる。ディーヴァの膝はカクンと崩れる。×××を木に寄りかからせる為に懸命に引っ張って…楽な体制を取らせる。

『………でぃ…ヴぁ……』
『何?なんでも聞くわ。』
『……なか…ないで……』
『泣いてないわ。』
『………わら……て……』

ぐしゃぐしゃになった顔で歪に笑う。弱々しく×××は頬を撫でる。その掌は暖かいとは程遠くて…ぬるくて…。暖めるようにディーヴァは手を重ねた。

『……しぁ……ゎせ……に……』

最後まで言わせないように唇にキスをした。血の味しかしなかった。無理やり舌を絡ませた。×××が舌を絡ませられないくらい力がなくなっていても…下手なキスをした。

『幸せになるわよ。×××と二人で。』
『……………』
『安全な場所で生きるのよ。』
『……………』
『×××が一番お気に入りなの。誰よりもよ、どんな人間よりもよ。』
『……………』

×××の手の体温はどんどん冷たくなっていく。それが嫌で怖くて何度も手を撫でた。なんなら手に何度も息を吐きかけて擦った。

『沢山×××の歌を歌うわ。』
『何度も何度も歌うわ。』
『×××と気分が良い事沢山する度に歌うわ。』
『×××と生きる度に私の新曲が聴けるのよ。』
『喜んでよ。』
『嬉しいって笑ってよ。』
『いつもみたいにヘラヘラとしていてよ。』
『お願い×××。』

もう×××の心音も呼吸も聞こえない。何も聞こえない。木々がざわめく音しか聞こえない。

『無視しないで…×××…。』

無視してる訳じゃないのは充分分かってた。分かってたんだ。でも分かりたくなかった。分かろうとしたくなかった。沢山話しかけた。それはもう沢山。

「ねー、お取り込み中な所悪いんだけどさー。」

1人の声が聞こえる。その人の気配はホントに無くて…なんなら近付いてきた足音さえも聞こえなかった…まるで突然そこに現れたかのような…。

『…誰よ…。』
「んー?ワタシはねーサヴィって言うんだーシウって呼んでねー。とあるBARの店長やってるよぅ。」
『…そんな店長がなんの用…?』
「今ねー絶賛従業員募集中でねー、色んな所行ってたらさーキミを見つけたって訳。」
『………。』
「そこはねー今キミが居る場所よりは安全でねー結構良い所だと思うんだよねー。」
『…………って………』
「んー?」
『×××も連れてって!従業員が必要なんでしょう!?×××は口が上手いわ!BARに来る人全員と上手く話せるわ!だから!!』
「それは無理かなー。」
『なんでよ!!』
「だってソレ、もう死んでるじゃん。」

茶髪と金髪が混じった髪色の褐色肌の男は残酷な言葉をディーヴァに押し付ける。自覚したくなかった事実をこれでもかと突きつける。呼吸が浅くなる。×××を抱き締める腕に力が入る。少し固くなったその身体はとても冷たくて顔色も悪く生気なんて一切無かった。

「流石に死んでるヤツ連れてくのは無理だよー。使えないもん。」
『………。』
「でも、キミは生きてる。」
『………。』
「どうする?このまま2人一緒に死ぬ?それともキミを追う人に捕まって残酷に引き剥がされる?」
『………。』
「キミは何が出来る?」
『………歌う事…。』
「ふーん?」
『歌が歌えるわ、誰よりも上手く、誰よりも美しく、…私より素晴らしい歌声なんて無いって思わせた事もあるくらい…。……とにかく歌に自信があるわ。』
「なるほどなるほど、じゃー今欲しい従業員にちょーどいいねぇ。」

×××は最期…ディーヴァの幸せを願った。研究所に行くなんて幸せのしの字も無い。なら…コイツがもし悪魔であっても変質者でも…安全な場所を提示するのであれば…。

『連れて行きなさい。私を安全な場所に。』

いくらでも×××がしてきたように利用してやる。すぐにバッグを漁った。大切な髪留めと柔らかなブラシを持って。最後に×××の冷たく固い唇にキスをして。謎の男の前に立った。

『私の歌声には価値があるわ。絶対に後悔させない。』

その言葉と共に何も無かった場所に扉が現れ開いた。

「ようこそ、“BAR pistora”へ。」

その言葉と同時に扉の中に入って行った。最後に見た×××は…何処か安心したように笑ってるような気がした。



…あとがき…
最近書いた長文の過去SSです
どんな汚い思惑に絡まれても出会いというのはあって
どんな汚い世界にも愛というのは必ずあって
どんな汚い服を纏ってても優しさというのはあって
どんな汚い状況でも想いだけは消えなくて
永遠なんてこの世に無くて
物事の全ては有限で
その有限の中で重ねた
たかが1週間にも満たない2人の言動が行動が感情が
どんな形で明確になるのかはまだまだ未定です

9/27/2025, 6:03:22 PM