マグカップが割れた。日常の中のささくれみたいな出来事だ。
「なに? どうしたの?」
マグカップの断末魔を聞きつけた彼女が台所へと顔を出す。
キッチンは緑色のマグカップの破片とココアの粉が広がりまさに惨状だ。
驚いた彼女が近づいてくるのを手で制し、そのまま両手を合わせる。自然、声が落ち込む。
「ごめん、お揃いの割っちゃった」
「怪我は?」
心配そうな表情に大丈夫だよ、とひらひらと手を振れば、彼女はほっとしたように口元を緩ませた。
掃除機取ってくる、とキッチンから出ていった背に微かに落胆する。
彼女の目の中のどこにも悲しみを見つけられなかった。
数年前から世界で流行り始めた謎の奇病はただ人から感情を奪っていくというものだ。致死率は低く、ウイルス感染もしないそれは初めのうちは危険視もされず、故に発見も研究も何もかもが遅れた。WHOが声明を出す頃には、人口の四割がこの病に侵されていると連日ニュース番組が報道していた。
それから一年経った今も治療方法はない。有病率は五割を超えた。
気の狂った人間はこれを人類の進化と声高に叫ぶ。書店には完全に感情をなくした人が幸せを綴るエッセイが多く並ぶようになった。
見掛ける度に、幸せを感じることもできないくせに何が幸せだ。という怒りと、もはや幸せの形すら変化しているのかもしれない。という焦りに似た悲しみが浮かんでくる。
だってもう道行く人の半数以上は感情を失い始めている。笑って、泣いて、怒って、喜ぶ。私のような人間のほうが最早少数派だ。
彼女は悲しみを失った。少なくともこの半年以上、私は彼女の涙を見ていない。
好きな芸人の漫才で笑う彼女は、タイタニックが沈んでも泣かない。毎年夏に放送する戦時下を生きた兄妹の映画を無表情に眺め、ティッシュで鼻をかむ私を時々不思議そうに見るだけ。
可愛がっていたペットの猫の死に目を腫らすまで泣いていた愛猫家の彼女は、アパートの前で死んでいた野良猫に対して眉を顰めるだけで興味をなくす。
涙を流さないというのは幸せなことなのかもしれない。隣で彼女を見つめ続けていると、ふとそんな考えが過ることがある。本当に不本意ではあるがあのエッセイ達は真実なのかもしれないと。
それでも私は二人分の鼻を啜る音を聞きながら映画を見たいし、野良猫の死に悲しみと怒りを露わにする彼女の背を撫でていたかった。
二人で暮らし始めたときに揃いで買ったマグカップ。沢山飲むからと大き目にしたそれで作るココアは少し薄い。
もう二人であの薄いココアを飲むことはできないのだと思うと無性に悲しくなった。甘ったるい匂いが鼻の奥を刺激して、涙がじわじわと目の表面を覆いだす。
もう元の形に戻ることのない緑の破片をキッチンペーパー片手に集めていると、掃除機を持ってきた彼女が戻って来る。
目元を擦る訳にもいかず、かといって涙を止める術を知らないから表面張力の限界に達したそれが頬を伝う。
「ごめん、割っちゃった」
滲んだ視界の中で緑とココアが混ざりぐちゃぐちゃになる。床に蹲るようにしていると、温かな手が背中を撫でた。
「またお揃いの買おうよ」
次はもっと大きいのにしよう、薄いココア結構好きなんだよね、と笑う彼女に力が抜ける。多分ここ半年無意識に持ち続けていた強張りが解けていく。
ずっと彼女が遠い存在になってしまったと思っていた。隣で何を見てももう視線が交わることはないのだと決めつけていた。
けれども彼女は映画で泣くわたしにティッシュを差し出すし、落ち込む私の背を撫でる。薄いココアが特別だと笑う。
「そうだね」
これが私達の新しい幸せなのかもしれない。そう思えるのが嬉しかった。
7/27/2025, 9:31:16 AM