紅月 琥珀

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 恋愛は種を存続させる為に脳が生み出す錯覚だ。だからこそ、そんなものにかまけている暇があるのなら他の事に時間を費やしたい。
 それが私の考えだった。
 無論、友人の話でそういう話題が出たのなら聞きはする。
 しかし、私自身はどうだと聞かれたら、興味ないと一蹴する。
 なぜよく知りもしない男の為に、貴重な時間を費やさなきゃならないのか。時間は有限だ。それなら私は私の好きな事に時間を使いたい。
 そういう考え方である事は話しているので、友人達は良く知っている⋯⋯はずだったのだが―――実際はそうではなかったらしい。
「1回! お試しで付き合ってみてよ! 絶対に恋愛の良さが分かるから。それにコイツめっちゃ良いやつだし、お願い!」
 などと言いつつ目の前にいる良く知りもしない男と勝手に付き合う方面で話を進められ、呆れてモノも言えなくなった私の何を見て了承と取ったのか分からんが⋯⋯お試しで恋人同士にさせられた。
 あの女は私の了承も得ず連絡先をその男に教え、マシンガンのように言い訳と下らん布教行為をするだけして去っていった。

「お試しで2ヶ月だったか? 私は恋愛には興味がないしお前にもまた然りだ。基本、連絡は必要最低限しか返さないし、私自身の予定を優先する。それでも良いならこの戯れ事に付き合ってやる」
 怒りを抑えつつそう吐き捨てるとその男は笑顔を崩さずに「わかった」と言うに留め、帰ろうとする私を見て自身の荷物を持ち席を立つと互いに会計を済ませて帰路につく。
 ⋯⋯が、何故かその男は私についてきた。
「なぜついてくる?」と聞くと「夜道は危ないから」と返ってくる。ふざけてるのかと思ったが、その表情を見るに本気で言っているらしい。バカらしくなってもう勝手にしろとだけ伝え、その日はさっさと家に帰った。それが私と奴のはじめての邂逅である。

 それからLINEで質問されたり、出掛けようと誘いを受けたが⋯⋯必要最低限の返信に留め、外に出る用事が無いと断り続けた。
 しかしある時私の好きな作品のイベントに誘われてしまい、それも私が認知していなかったものだから二つ返事でOKしてしまう。その日を境に奴は私の好みの傾向を掴んできた様で、私の好奇心を擽るイベントや映画を提示し、誘い出すようになる。
 大変腹立たしく思いつつも、奴の提示するモノはどれも楽しく⋯⋯また、新たに趣味や嗜好の幅が広がった。
 今までの私なら提示されても行かなかっただろうと思うものにまで興味がわき⋯⋯誘いに乗るようになる。恐らく奴の思惑通りと言った所ではあるが、未だに私の恋愛観は変わってないので完全に踊らされている訳では無いと、憎々しく思うが―――視野が広がるのはとても良い事なので、この調子で様々な知識を身に着け実体験を経て見識を広げたい所だ。
 そうした事を経て、少しずつではあるが、奴に対する認識にも変化が訪れた。
 私が思っていたよりも博識であり、私ではまずやらないような事にも挑戦するバイタリティもある。ちょっとだけ見直しつつ⋯⋯しかしそれが恋愛感情であるかと言ったら否と答えられる程度の―――人として尊敬出来る人物として上書きされただけの事だった。
 しかしそうなると気になるのが、なぜ彼が私とお試しで付き合おうと思ったのかである。
 なのではじめてこちらから連絡をした。
 簡潔に『なぜあの時お試しとはいえ私と付き合おうと思った?』と聞く。
 返ってきた答えは至極シンプルで下らないものだった。
 たまたまあの女といる所を見て一目惚れしたらしい。それで一時的でも良いからと、無理言って付き合ってもらったと、そういう話だった。
 前の私ならこんな事聞かされたら、それこそブチギレてただろうが⋯⋯今は下らないと思いつつも、もう少し付き合ってやるかとも思っている。
 その代わり私の興味を引けなくなったら即別れるつもりだ。その事は先の連絡で本人に宣告してやった。その言葉に心底驚いていたが、それで良いとの事なので2ヶ月過ぎても仮恋人は継続の運びとなる。

 今日、また彼に誘われて新しい体験をして見識を広めた帰り道。出掛けた後は必ず私を家まで送り届ける彼に、よく飽きないなと思いつつも⋯⋯家に入る前に少し考え、たまには良いかと口を開いた。
「今日は楽しかった。いつも送ってくれてありがとう。気をつけて帰るんだぞ。おやすみ、智樹」
 そう告げさっさと家に入った私は、彼がどんな顔をして何を思ったのかなんて⋯⋯知る由もなかった。

5/26/2025, 1:59:13 PM