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 誰にもバレないようにゴミを拾えた日。
 人間らしいことができたと無性に嬉しく思う。

『誇らしさ』

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 ひたひたと一歩ずつ足を進める。
 滑らかな海水の感触が心地よくて、全身で浴びようとさらに歩む。
 海水が腹を覆った時、急に冷たい感覚が全身を襲った。腕をさすると鳥肌が立っていることに気がついた。

 このまま沖まで進んでしまおうか。
 それともやはり引き返すべきか。

 立ち止まって悩んだのはほんの一瞬だった。沖を見れば、暗くて深い色に目を奪われる。あの奥に何が隠されているのか途端に気になって仕方ない。まるで吸い込まれるように足を動かした。
 瞬間。

「何やってんだよ!」

 ドン、という音と後ろからの強い衝撃に前のめりになり、海面へ倒れ込んだ。バシャンと派手な音と水飛沫をあげた俺は、何も構えていなかったため浅瀬にも関わらず溺れかけた。
 もがきながら手足のつく場所まで辿り着いた。俺は四つん這いになりながら息を整える。鼻や耳の穴に海水が入って気持ちが悪い。
 咳き込む俺の背中に、俺を蹴ったその人は容赦なく吠えてきた。

「夢見が悪すぎるだろう! やめろよ! 今日は地元でセンチメンタルジャーニーしているこの私がいるんだ! 場所変えろ! この海で自殺なんてやめろ!!」

 自殺?

 心当たりのない言葉に首を振った。自殺なんて考えてない。ただなんとなく海が見たくて、毎日仕事があるから自由に出かけられるのが夜しかなくて、それで。

「なんだ無自覚か」

 その人はため息をつくと、咳がおさまった俺の腕を掴んで引っ張り上げた。そこでようやくその人の顔を見て驚いた。俺よりも随分若い女性だったからだ。
 女性は俺が立ったことに頷くと、ぐいぐい腕を引っ張った。慣れない浜辺の砂に足を取られて転びそうになると、女性がサッと支えてくれた。

「あの、どこへ」
「とりあえずお腹空いたからあの居酒屋行こう。汚いけど美味いから」

 女性が指差した先には、オレンジ色の提灯に明かりがついている小さな店だった。優しくて温かい雰囲気が、離れたこの場所まで伝わってきて目が緩む。

「あそこなら服も借りられっから」

 ぐいぐいと容赦なく腕を引っ張られる。俺はされるがままに足を動かした。


『夜の海』

8/17/2024, 12:32:31 AM