無音

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【62,お題:別れ際に】

「私、あなたの事嫌いじゃなかったんだよ」

「...うん」

西日が差す、簡素なアパートの一室
荷物をまとめて僕の部屋から出ていく彼女は、憂いを帯びていて
それすらも綺麗だった

「俺ら、なんで別れるんだろうね、特別仲が悪かった訳じゃないし」

「きっと疲れちゃったんだよ、お互いが大事だからこそ気を使いすぎちゃったんだろうね」

「そっか...」

じゃあね、と手を振って外に出る彼女
扉を閉めようとしたところで、あっそうだ、と戻ってきた

「なんか忘れ物?」

「うん、これは言わないと」

そういうと、彼女は背伸びをして俺の頭を抱き寄せた
いきなり近付いた距離に、驚き固まる

「ありがとう、私を彼女にしてくれて2年間だけだったけど、すごく幸せだった」

「...ぁあ、俺の方こそありがとう、君と居れて毎日楽しかったよ」

彼女の背中に腕を回して、その華奢な身体を優しく抱き締める
しばらくそうしていると、やがて彼女の方から腕を離した

「...じゃあね、幸せになってね、カップラーメンばっか食べちゃダメだよ」

「君こそ、あまり怪我をするんじゃないぞ」


エンジンの音が遠ざかっていく、いつもなら狭く感じたアパートが今日はやけに広い気がして落ち着かない
別れ際に言われた、幸せになってねという言葉を思い出して感傷に浸る

君1人幸せに出来なかったのに、俺は他の誰かを愛せるのだろうか

まだ君の気配が残っている部屋の中で、机に突っ伏して意味もなくスマホをいじる
フォルダを開くと、ところ狭しと並んだ君と俺の思い出の欠片、幸せだった日々の記録

「...不幸になるなよ」

日が沈み、薄暗くなった部屋で溢した言葉は、近くを通った電車の音に搔き消された

9/28/2023, 10:55:21 AM