旅路の果て
池袋で客を降ろすと次の客を求めてタクシーを走らせる。
さっきの客は最高だった。赤いドレスを着た20代くらいの女性で、ドレスは胸元まで開いているのだが、神に与えられしたわわな果実がこぼれそうになっていた。
パーティの帰りだと言うことだったが、よほど盛り上がったのか、会場からのテンションを車内に持ち込み、送迎中も大いに会話が弾んだ。楽しいひと時だった。
しかし車内が静けさを取り戻すと、また眠気が襲ってきた。
「ああ、ねみい。」
先輩ドライバーの言葉が蘇る。俺が眠い眠いを連発すると、決まって注意してきた。
「いいか、ドライバーは眠いは禁句だ。眠気が事故の引き金になるからだけじゃない、眠いと言うタクシードライバーには出るんだよ、あれが。」
「やめて下さいよ。俺、そう言うの苦手なんだから。」
俺は一旦気を引き締め、道なりに車を流していると、タクシーを呼びとめる女性客がいた。俺は車をとめて乗客を招き入れた。
バックミラーに写った客の顔を見て、最初はラッキーだと思った。飛び切りの美人だったからだ。
しかし、女性の目的地を告げる声を聞いた時、その思いは消し飛んだ。
「浦安へ。」
低く小さい声だった。若い女性には似つかわしくない動物の唸り声のような声だった。
浦安だって?ここからだと2時間半はかかるぞ!ちょっとした小旅行だ。
「お客さん、浦安までだと結構料金かかりますけど大丈夫ですか?」
「構いません、お金はたくさんあります。」
そう言うことではないのだが、とにかくタクシーを発進させることにした。
普通、若い女性がタクシーに乗るとすぐにスマホを操作するのだが、この客は膝に手をついたままの姿勢で前を向いたままじっとしている。
あっ、やばいバックミラー越しに目が合ってしまった。いや、目が合ったか?合ったはずなのに合ってない。女性の目がうつろで焦点が合わない。
イヤな予感が俺の鼓動を早くさせる。あれからどれくらい経った?まだ着かないか?何で浦安なんだ?浦安は遠い。浦安?浦安へ。うらやすへ、うらめしや。
脇の下から汗が噴き出す。浦安って聞こえたのは勘違いで、うらめしやって言ってたのか?待て待て落ち着け、間違いなく浦安って言ってた。
俺は不安を取り除くため、あれじゃないと確証を得るため、口を開いた。
「お客さん、お金が沢山あると言うことでしたが、仕事は何をされているんです?」
「仕事は辞めました。私には合わなかったみたいで。」
ブラック企業だ。きっと、サービス残業とか、セクハラとかパワハラとかを受けて、精神がボロボロになり、自さっ…つ
「ああ、でも、プレッシャーから解放されて、気が楽になったんじゃないですか?」
「そうですね、空中に漂って、どこまでも自由に飛べる気がします。」
そのまま天国まで飛んでってくれ。
「お客さん、美人だからモテそうだなぁ。」
「男運がなくて、私の内面を愛してくれる人がいないんです。私の見た目とか、金とか、そう言うのが目当ての男ばっかり。運転手さんはそう言う男じゃないですよね?」
「違いますよー。やっぱり人間中身ですよね。」
男に騙された口か?男の事を相当恨んでるぞ。俺は他人なんだから恨むなよー。
「運転手さん!」
突然、女性は大きな声を上げた。
「はいー」声が裏返ってしまった。
「ここで大丈夫です。おいくらですか?」
え?いつの間にか浦安に着いてたか?
助かった。この小旅行もこれで終わりだ。下着がぐっしょり濡れているのを感じる。
「運転手さん、私のこと見えてますか?」
「え?もちろん見えますよ。」
「見えちゃダメなんですよ。だって私、死んでるんですから。」
「うわー」
と、叫び声を上げなが、夢から覚めた。
「なんだ夢だったのか。この恐怖体験が夢オチなのはなんとも情けないが、無事で何よりだ。」
俺は安堵のためか、独り言を呟きながら、ハンドルを回して交差点を曲がっていく。
その頃、池袋では赤いドレスの女性が不安そうに道路の先を見つめている。
「あの運転手さん大丈夫かしら?うつらうつらしているから怖くてタクシー降りたけど。」
ガッチャーン。女性の視線の先から大きな衝突音がした。
2/1/2024, 12:07:15 AM