薄墨

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無声音の白黒フィルムを持って、走る。
足が泥を跳ね上げる。
降り続く弱い雨が、服の上から纏わりついて、体のぬくみを奪っていく。

白く色を失った手の中に、記録映画のフィルムを強く、握り込む。
雨と曇り空でかすんだ向こうの方で、ちろちろと赤く光る炎があちらこちらで上がる。

焚書の火だ。
書物のあげる悲鳴だ。

雨粒にだらだらと濡れっぱなしで、泥に足を取られないように、地面を跳ね上げる。
この記録だけは、燃やしてしまうわけにはいかなかった。

華やかな祝典、新たな指導者の誕生にわく首都で、ピカピカの折目正しい服を纏った、時の指導者は言った。
「我々に過去を振り返っている暇などない」
その言葉の通り、祝典の翌日には、過去狩りが始まった。

無数の記録が、破かれ、捨てられ、焼かれた。
民間のニュース、商業映画、一般人の書いた本、著名人が書いた本、公的な記録…
そのどれもが、燃え盛る炎に放り込まれ、石油臭い火炎放射を浴びた。

古くから、際限なく記録を溜め込んでいた、図書館や美術館や博物館にも、役所の焚書隊がやってきた。
昔ながらの教会や、歴史的に格式高い修道院のようなところにさえ、役人はやってきて、建物からは無数の記録が吐き出され、燃やされた。

…そして、うちのような国営の映画館さえも。
雨に打たれてもその勢いを消すことのない、焼き付けるような焚書の手が迫っていた。

その時になったら、命に変えてもこのフィルムを掴んで逃げる。
この記録を燃やしてなるものか。
そう決めていた甲斐あって、役人たちの焚書隊が突然、映画館の扉を破った今朝、社長や責任者とは違って、僕は素早く外へ走り出ることができた。

雨の降り注ぐ外へ。

この記録映画は、僕のお気に入りだった。
この映画館でずっと、記録映画のフィルムをセットして、舞台裏で映画を見つめながら、映写機を回してきた僕の、一番のお気に入りだった。

ある美術館の、児童向けワークショップの様子を記録した、記録映画だった。
白黒の記録の中で、きっと鮮やかだったろう筆や紙や鋏を握って、熱心に手を動かす幼い子どもたちの、あどけない真剣な横顔を、記録した映画だった。

白黒のフィルムが映し出す、幼いなりに引き締まった丸い頬の中には、今、この国に君臨しているあの指導者の、幼い姿もあった。

あの指導者も子どもだった。あの人だって人間だ。
この記録映画のフィルムは、そう訴えていた。

だから、これだけは決して燃やしてはいけない。
決して、なかったことにしてはいけない。
僕は今もそう思っている。

霧雨のような雨は、いよいよ激しさを増す。
雨粒で重い瞼を押し開ける。
後方で上がる赤い火のゆらめきが視界の端に入る。

ああ、うちには素敵な記録が、たくさんあったのに。

雨に奪われ、置き去りにする体温の中に、そんな思いを混ぜ込んで、

僕は走る。
雨の中をひたすらに。
手に記録映画のフィルムを握りしめて。

2/26/2025, 10:53:17 PM