旅路の果てに(オリジナル)(秘密の手紙続編)
俺は最期の手紙配達員の見習いをしている幽霊だ。
成仏できない人の心残りを手紙にして届ける仕事をしている。
今日の依頼人は60代半ばの男性だった。
俺の仕事を説明したのだが反応が薄く、ずっと茫然としている。
「あの、聞いてます?」
目の前で手を振ってみたのだが、全く反応がない。
猫だましのように目の前でパチンと手を叩いてようやく、彼はハッと我に返った。
「俺…死んだ…のか??」
「えっ?そこから?!」
俺は驚いた。俺が派遣されるのは明確に誰かに何かの言葉を残したい人ばかりだったので、今回のケースは想定外だ。
「えーと、最期に誰かに何か伝えたい事、あったりしますよね?」
俺は恐る恐る声をかけた。
彼はがくりと膝を折る。
両手で頭をかかえて小さくなった。
「俺の人生…何だったんだ…」
「え?」
「伝えたい事だって?何だそれ。それこそ誰かの何かになりたかった。誰かの一番になりたくて、何者かになりたくて、色々頑張ってきたさ。それなりに友達も、時には恋人もいたけどさ。何だよ、死んだら何も残らねぇじゃねぇか。…いや、死ぬ前だって何も残っちゃいなかった…生きるために頑張って働いて、働いて、食べて、寝て。何やってたんだろうな、俺」
彼は顔をあげて俺を見たが、目は虚ろだった。
「自分の葬式を見たんだ」
「はぁ」
「…夢だと思った。胸糞悪い夢だって。でも、本当だったんだな。……誰も来ちゃくれなかった。そんなもんだったんだ。俺の生きた65年なんて…」
俺の胸はズキンと痛んだ。いや、俺は幽霊だから厳密には心臓ないんだけれど。そのくらい痛みを覚えたって事だ。
人生の旅路の果てに、己の存在が、誰にも何も残らなかったと思うのは辛い。
何のために生きてきたのかと思ってしまうのは辛い。
俺は何も言えなくなって、黙って俯いてしまった。
彼は最期に何を残せば成仏できるのだろう。
俺にはわからなかった。
俺はようやくできた手紙を手に、地方に来ていた。
幽霊に距離はあまり関係ない。
今回はイレギュラーで、依頼人も一緒に来ていた。
「母さん…」
手紙の宛先は、彼の88歳の母親だった。
手紙を渡すと、彼女は無言で封を切った。
震える息子の声が、宙に溶け出す。
「母さん、俺の葬式大変やったよな。ありがとう」
母は静かに首を横に振った。
「俺…何者にもなれんかったよ。昔よう言うてたよな、立派な人になれ、幸せな家庭を築けって。結局、結婚もせん、子供もおらん、親孝行、全然できんかった、ごめん」
悔恨の滲むその声に、母は静かに返事を返した。
「そんな事ないで。信二。真っ当に生きて、最後まで誰に迷惑かけるでもなく、元気に65歳まで頑張って生きたんやろ。こんなありがたい事ないよ。そんな、卑下する方が悲しいわ。私ゃ嬉しかったし楽しかったよ。生まれてきてくれてありがとうね」
「母さん!!!」
幽霊の息子は母に縋りついて号泣した。もちろん、姿も声も、母には届かない。
けれど、母は手紙の肉声に彼の存在を感じるようで、母の顔をしてただただ微笑んでいた。
「ただ、親より先に死ぬやつがあるかい。それだけは親不孝なんだから反省しいや」
息子は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、うんうんと激しく頷いている。
「ごめん、ごめん、母さん」
存在を認められ、人生を肯定された。
許された。
己の人生への肯定的な想いが皆無であった事が、彼を悪霊たらしめようとしていて、成仏から遠ざけられていたようだった。
彼は満足して徐々に薄れ、やがて、消えた。
「……息子の手紙、ありがとうねぇ」
「いえ」
俺はもらい泣きして目も顔も真っ赤にしたまま首を横に振った。
「…私の言葉が呪いになっていたんかねぇ。偉くならんといかんとか。将来食うに困らなきゃ良いと思って言った言葉やったけど。良い母親やなかったねぇ」
「そんな事ないです。彼はとてもお母さんが大好きでしたよ」
成仏する前、彼は65歳の姿から巻き戻り、8歳くらいの少年の姿になっていた。あれは、彼が最も母に甘えられていた幸せな頃の姿だったに違いない。
「ありがとうねぇ。そうだ、君、飴ちゃんあげようね。不思議な手紙やったし、君も不思議な子ぉやけど、元気でおりや。元気が一番やで」
彼女は巾着の袋から飴を一掴み、俺の手に握らせてくれた。
「ありがとうございます。友達といただきます」
俺は涙を拭くと、一礼して家を出た。
(反省しいや、か)
彼女の言葉は俺にも響いていた。
俺も親不孝者だ。
胸がズキズキと痛む。
だから実家には長い間帰れていない。
友達の家に居候を決めたのは、そんな気持ちもあっての事だった。
それでも、今日は家族に会いに行こうと思う。
俺の声も姿も家族は認識できないので、俺が一方的に見るだけだけれど。
勇気の飴ちゃんを一つ口に入れて、俺は空を駆けた。
1/31/2026, 12:07:58 PM