かたいなか

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「去年は『二次創作って、自分の欲望のまま好きなように好きなものを書いてると、別の人の欲望とか好きなものとかと衝突しがちだよな』っての書いたわ」
アカウント開設2年目である。よくここまで長いこと続いたと思う。某所在住物書きはため息を吐いた。

「文才と力量があればさ」
物書きは言う。
「『欲望って要するにドーパミンが云々側坐核が云々ってハナシよな』っての、書いてみてぇの。淡々とした知識ネタとか、カッコイイから」
まぁ無理よな。レベル、足りねぇよな。再度ため息を吐く物書きはスマホのネット検索結果を見た。
前頭葉だのエンドルフィンだのの講座小説を書くには、まずこの検索結果で出てくる知識を全部理解している必要がある……「エンドルフィンが遊離してドーパミン」とはコクーンがパージ的なサムシングか。

――――――

3月1日の都内某所、某職場、夜。
つい数時間前まで先輩たる藤森の帰省に付き合い、
採れたてのフキノトウだの目の前にいる白鳥だの、あるいは雪広がる貸し切りの公園だの、もしくはメインとして、レトロな店内で堪能するミルクセーキやご当地カレーなんかを楽しんでいた後輩が、
先輩の親友で隣部署の主任、宇曽野からダイレクトメッセージによって呼ばれ、その日の朝配布された人事異動を受け取っている。

「藤森はとっくに来て、私物も全部撤去済みだ」
紙には後輩ただ一人だけの情報が記載され、要約するに、「明日から◯◯支店配属ね」とのこと。
「先輩も異動?!」
今まで数年、なんなら数時間前まで、ずっと一緒だった先輩と離れる。しかもこんな突然。
何がどうなっているのだ。後輩は仰天し、驚愕した。

「お前と藤森は明日から別々の勤務だ」
「先輩は、どこに、」
「俺からは話せない。建前としては『個人情報に関わる』、本音としては『諸事情』。お前と藤森の代わりに、俺がお前達の部署に入る格好になる」
「『諸事情』?」

「加元がウチに来る。明日から。この部署に」

加元。 元カレ元カノの、かもと。藤森の元恋人。
当時「附子山」姓であった藤森が未婚のまま合法的に改姓改名した理由。恋の依存者にして厳選ガチ勢。
己の中にある「恋人こうあるべし」の欲望と理想を「附子山」に押し付けて、そうならぬ附子山を散々裏垢でディスり、心をズッタズタに壊して、
ゆえに去年の11月、「藤森」にやんわりフられた。
加元は最後まで附子山が既に「附子山」でないことも、今現在の氏名も、知ることはなかった。
後輩はハッとした――あいつ、まだ諦めてなかったんだ。フったのが「やんわり」だったから。

「『じーちゃん』に俺から事情は話しておいた」
宇曽野が言った。「じーちゃん」とはこの職場のトップ、最高責任者、緒天戸 正義である。
「『ひとまず距離離して様子見るか』だとさ」
いやぁ。親友のためとはいえ、コネと権力でお前を支店飛ばしにするのは、非常に胸が痛むなぁ。
まぁ、「オテント様は全部見てる」し、「最後に勝つのはマサヨシ」、もとい正義だろうよ。
イタズラに笑う目と口は、それはそれは、もう、それは……奥にまだ何か秘策を秘めていそうであった。


――同時刻。宇曽野と後輩の会合など知りもせず、マンションでスマホ片手にニッコリ笑う者が在った。

「転職できて良かった。給料随分下がるけど」
高めの男声とも、低めの女声とも聞こえる中性は、ディスプレイに表示されている「採用」の2文字と、その下に続くメッセージに向けられている。
名前を、加元という。己をうつす鏡、あるいは己の価値を引き上げるアクセサリーとしての恋に恋して、
9年前、あるひとに一目惚れ。
1年程度付き合ったが8年前突然逃げられて、去年、ようやく足取りをつかんだ。
相手の名前を附子山という。
スマホの採用通知は附子山の勤務先からであった。

「待っててね。附子山さん」
既に附子山が「附子山」ではないことも、己の掴んだ部署からも離れていることも、つゆ知らず。
純粋な欲望に従う瞳と唇は、それはそれは、もう、それは。オーダーしたジュエリーを受け取りに行く、歓喜な乙女か青年のそれであった。

3/2/2024, 1:18:10 AM