なんか寒すぎると思ったんだよなぁ。今季1番の冷え込みだってパパが呟いてたから、そんなもんかと思ってたけど。まさか熱が出るなんてなぁ。ついてないなぁ。今日は調理実習があって、ポテトサラダを作るはずだったのに。あーあ。
「未華ー、お待たせー」
「顔また赤くなってない?」
「よしよし、かわいそうに。ゆっくり休むんだよ」
賑やかに荷物を運んでくれたのは、いつもの仲間たち。しおれそうな気持ちがヒュンと戻りかけたところで、敷居の上に所在なさげに立つ人影に気が付いた。
「……はい」
なにか言いたそうな顔だったから、なにも聞かれてないのに返事をしてしまった。仲間たちが一斉に振り向き、大げさに驚いて声を上げる。このノリが心地よい。
「これ、中村が持っていけって」
原田は学ランの腕を差し出したけれど、そこからじゃ全然届かない。ちぐはぐな距離感に、私たちは高い笑い声を上げた。心なしか、原田のよく焼けた顔が少し赤らんだ気がした。
原田は抜群に頭がいいやつだけど、みんなの先頭に立って騒ぐようなタイプではない。もちろん一目置かれる存在ではあるものの、女子の前でぶっきらぼうになるところなんかは、むしろからかわれがちでもあった。
「なんで、原田?」
1番近くにいた友達が、受け取りがてら質問したのにも、原田は口を軽く尖らせただけで言葉を返さなかった。
「日直?」
もう戻ろうとしていた原田に、別の友達が質問を重ねる。原田は首を振り、
「たまたま」
とだけ言った。そして、こっちのリアクションを確認する間もなく保健室を出ていった。
「原田って感じ」
友達の評価に、また皆で笑う。なにが原田って感じなのか、全員が基準を共通認識しているわけではないのかもしれない。ただ、私たちはこういう小さな遊びを通して空気感を共有したいだけなのだ。
「あら、ありがとうね」
保健の先生が戻ってきたことで、私たちの空気感はまた変容する。素直な良い子感をにじませながら、平和な雑談をちょっと楽しみ、やがておとなしく解散の流れになった。演じている気がする。求められている自分を。嫌ってわけじゃないけれど。
パパの迎えを待つ間、ぼんやり鈍い頭で外を眺めるのにも飽き、私はなんとなくプリントの束を捲ってみた。他に暇つぶしできそうなものがなかったから。
下の方に、返却されたらしい美術の作品が混ざっていた。校舎周りの風景画を鉛筆デッサンしたもので、にわか雨の粒を描き入れたところが我ながら気に入っていた。絵は好きな方だ。これも提出した時点で先生に褒められていたし、仲間たちからも散々うまいともてはやされていたから、見返すと気分が上がるアイテムだった。
裏返す。自分の書いた鉛筆のコメントが目に入る。
「タイトルが浮かびません!」
タイトルを付けるように言われてたけど、言葉のセンスはあまり良くないからいいものが浮かばなかった。深く考えるのも面倒くさくて、これで許してもらおうと殴り書きした乱雑な字だ。
なんだろな。雨の校舎?フツー。
ほどなくしてパパが到着し、私は家で少し眠った。温かいベッド。調理実習の夢を見た気がした。詳しくは覚えていないけれど。
さっきより完全にぼんやり度が増した頭で、スマホを手繰り寄せる。ラインの通知。開くと、ポテトサラダの画像が送られていた。実習の記録として各自がタブレットで撮影するのに紛れて、わざわざ私に送信する用に撮影したらしい。私への簡単なメッセージが書かれた色とりどりのメモが周囲を飾っている。
「あれ?」
隅っこに半ば追いやられた感じの、異質な1枚。
『タイトル 柔らかな雨』
何この気持ち悪いコメント……。誰の字?
訝しんで画面の文に目を通す。
「雨は原田 キモくない?」
え、と声が出かかった。
この顔の熱さは熱のせいじゃない。そして原田のコメントはキモくない。いつもなら一緒になってキモイキモイと笑い転げるところだけど。原田ってやっぱり…って言っちゃうところだけど。
柔らかな雨。
慌てて鉛筆のデッサンを机の上から拾い上げる。そう言えば、原田は絵が苦手だった。この時も独特な画風を仲間がからかって、原田は顔を赤くしていたんだった。なのに、…。
熱のせいかな。呆気なく決壊した涙腺。ぽとり、と涙の粒が膝に落ちた。まるで柔らかい雨のように。
《柔らかな雨》
11/7/2024, 8:42:24 AM