「突然の別れ」
――盗られた。
もぬけの殻になった部屋へ通されて、咄嗟にそう感じた。
盗られた、奪われた、不意打ちだ、卑怯者の仕業に違いない。
人間、本当に怒ると身体の表面は熱いのに胃のあたりは冷えるんだと、実感できたことだけが収穫だ。
後は何も無い。
部屋の中はなんの変化も無かった。ひとつも。さっきまで居たみたいだ。それが余計に「盗られた」ことを際立たせていて腹立たしい。いっそ荒らされていたならまだ救いはあった。
分かっていたのに。
分かっていた。
そういう人間だ。
楔を打たなくちゃ簡単に流れていく。
分かっていたのに。
自分が楔になることを先延ばしにした。自業自得だ。
よりによって。
ああ、もう駄目かもしれない、手遅れかもしれない。
今この瞬間も誰かが楔になろうとしてる。
手の届かない、視界にも入らない場所で。
最悪だ。
最悪だ。
こんなになってじゃなきゃ、嫉妬心すら自覚出来ない。
お願いだから、誰のものにもならずに帰ってきて。
誰の手も取らないで。
誰の目も見ないで、誰の声も聞かないで、誰の体温も知らないで。
悲しいことも怖いことも、楽しいことも嬉しいことも覚えないで。
前向きにならないで、後ろ向きにならないで。
諦めないで、諦めて。
許さない、許されない、こんなのは認めない。
君を奪われた。
君を与えられて、奪われた。
理不尽だ。こんなのはもう暴力だ。
盗んだ側に同情すらする。
同じ目に遭うんだ。与えられ、奪われる。いい気味だ。
そうだ、これは別れじゃない。
必ず戻る。例え変質してしまっていても。
これは別れじゃない。罰でも無い。天災だ。
こちらにとっても、あちらにとっても。可哀想に。
戻っておいで。
全部置いて、全部捨てて、全部傷つけて、全部。
サヨナラも言わずに、まるですぐ戻るみたいに。
奪い合うのは、こっちで勝手にやるからさ。 (了)
5/19/2023, 11:55:03 AM