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[お題:半袖]
[タイトル:世界の終わりに制服を]

 世界が終わって六ヶ月ほど経ったある日、平良秀隆は宇宙服みたいな防護服を着て、灰に埋まった街を探索していた。
 それは一歩踏み出す度にふわふわと舞い上がり、重力に従ってまた地球に落ちる。
 秀隆は思う。いっそ重力なんて無くなってしまえと。この灰のような何かも、地球を覆う雲のような何かも、全部宇宙の彼方に消えてくれ。
 ちょうど自分が宇宙飛行士みたいな格好をしていたのも、そんな気分にさせたのかもしれない。
 そんな思考で暇を埋めながら辿り着いたのはコンビニだ。もちろん、店員はいない。窓は割れ、その破片が店内に散乱している。
 中に踏み込むと、数匹のネズミの死骸が横たわるばかりで、食糧なんて見つからない。水や日用品も同様だ。全て持ち去られてしまったらしい。
 災害時の助け合いなんていうのは、初期の初期でしか見られなかった。今回の災害が数年、数十年単位ですら無く、永遠に続く終わりの始まりだと気づくと、人々は獣に戻った。性善説なんていうのは、文明のみわざに過ぎないのだと、秀隆は思う。
 とはいえ、文明を創り出したご先祖様に文句を言っても何も始まらない。時間は前に進むばかりだ。
 秀隆は軽く伸びをしてから「よしっ!」と気合いを入れた。コンビニ、ドラッグストア、スーパーマーケット。食糧の有りそうな場所はまだまだ他にもある。
 これはレースだ。弱肉強食の生存レース。食糧を先に確保して、水を手に入れて、灰を吸わないよう防護服で覆って、そして最後まで生き延びて一人寂しく寿命が尽きたヤツが優勝だ。優勝トロフィーは殿堂入りの燃え滓たちが渡してくれる。
 これらの中でも最大の難関は、秀隆も着ている防護服だろう。
 空に浮かぶ雲っぽい何かが降らす灰っぽい何か。それを吸い込まないためには、防護服を着る必要があった。灰を吸い込めば、たちまち人は(もちろん動物や、時には植物も)命を落とす。人によって許容量は違うが、肌に触れ続けるだけでも死ぬらしい。これ一つを確保するために、秀隆は家族と友達を失っている。
 だから、秀隆は目の前の光景が信じられなかった。
「・・・・・・えっ」
 先ほどのコンビニを後にして、辿り着いた数メートル先のもう一軒のコンビニ。その中から出てきたのは、半袖の制服に身を包んだ女子高生だった。

「ここ、もう何もないよ」
 女子高生は秀隆にそう声を掛けた。朗らかに、アハハと苦笑いを浮かべながら。
「参っちゃうね、ほんと。こりゃ地方が当たりだったかもね」
 彼女の声はよく通る。防護服越しに慣れ切った秀隆にはそれが妙に新鮮だった。まだ世界が終わって半年しか経っていないというのに。
 そんな感傷に浸っていると、女子高生は明らかに不満そうな顔をした。
「・・・・・・いやさ、こっちだけ喋ってるのも気まずいじゃん。なんか喋ってよ、えと、あー・・・・・・名前は?」
「・・・・・・平良秀隆、だ」
「はいはい、秀隆さんね。私は本堂蘭子、よろしく。いや、よろしくじゃないか? 生存競争のライバルな訳だし。じゃあ『いい勝負にしよう』かな?」
 蘭子はそんな、よく分からないことを宣う。その態度が、秀隆には妙に腹立たしく感じた。幾億人が死んだこの世界に相応しくないと、そう思ったのだ。
 重箱の隅をつつくつもりで口を開く。
「ライバルならなんで『何もない』とか言ったんだよ」
「本当はあるけど、一人じゃ運ぶのに時間がかかるからだよ」
 蘭子は平然と言った。
 それに何の返事もせずに、秀隆はコンビニへと駆け寄った。
 果たして、その中は相変わらずの灰とガラス片と害獣の死体である。
「・・・・・・おい」
「あははっ! 騙されたー」
 ケタケタと楽しそうに笑う蘭子に、もはや怒りを通り越して呆れてしまう。こっちは生き死にがかかっているというのに。
「ちっ、何なんだ一体」
「あらま、舌打ち? ごめんなさい、そこまで切羽詰まってるとは」
 そう言いながら、わざとらしく顔の前で手を合わせる。秀隆は思う。こいつは絶対に悪いなんて思っていない。
 秀隆は蘭子を無視してまた別の店に向かうことにした。
「あぁっ! ちょっと、まってよ」
 蘭子は急いで駆けてきて、秀隆の隣を歩く。
「なんだよ。着いてくんな」
「私は暇なんだよ。遊んでくれー! なんて言わないからさ、着いていくだけならいいでしょ?」
「俺にメリットがない。いても邪魔なだけだ」
「邪魔かもしれないけど、それに見合うメリットはあるよ! 私は『適応者』だからね」
「適応者? なんだそれ」
 その言葉にピクリと肩を振るわせつつ、秀隆は平静を装って知らないふりをする。防護服の鬱陶しいほどの分厚さが、初めて役に立った。もうそれに関わるのは懲り懲りだ。
 対して、蘭子は渇いた笑い声をあげた。
「ははっ、私と違って冗談上手いねぇ、秀隆さんは。こんな世界で半年も生きてて、知らないわけなくない?」
 まるで糾弾するような、鋭い目つきで蘭子は言った。
 その通りだ。知らないわけがない。情報が手に入りにくい混乱期にこそ、情報の力は増す。特にこの世界の終わりでは、食糧を持つ者と情報を持つ者なら食糧を持つ者の方が早く死ぬ。実際、普段から情報を得ることをしていなかった人々は、世界の終わりの一ヶ月目で全滅した。
 中でも適応者は、最重要に位置する情報だ。簡単に言ってしまえば、それは灰を吸い込んでも死なない人間のことだ。通常は、強弱があれ目に見える程度の大きさが口に入れば、それだけで一週間で死ぬ。しかし適応者は、幾らでも灰を食べられる。防護服なんてもちろん要らない。それこそ、高校の制服で出かけてもいい。
 つまり、適応者とはこの環境に、文字通り適応した人間のことだ。それは適応できなかった人間にとって希望であり、信仰の対象であり、嫉妬の対象だった。
「知らないな」
「じゃあ、ただの便利な人だと思ってよ。秀隆よりかは色々と探し物しやすいと思うけど?」
 それを否定する事はできない。どう見繕っても、この防護服が女子高生よりも小さくは見えない。
「・・・・・・もう好きにしてくれ」
「やったね」
 問答が面倒になった、という側面の方が強いかも知れない。途中で振り切ってやろうとも思ったが、それでも蘭子の安心したような顔を見ると、そんな気は失せてしまった。


 ガムテームを貼って窓を割ると、本当に音を抑えられるらしい。マンション沿いの道路から見上げている秀隆は、二階で空き巣行為を行う蘭子を見てそう思った。
「あー、荒らされて無いから、なんかあるかも!」
 蘭子は下にいる秀隆に聞こえるように大声で言った。その声色は少し嬉しそうだ。
 これが、蘭子が役に立つと言っていたことだ。秀隆は数十分前に彼女が力説していたことを思い出した。

『そもそも食糧が欲しいなら、お店じゃなくて家に行くべきだよ。特にマンション! あんまり物が手に入らない状況だと、扉を壊すのにコストがかかり過ぎるから、実は結構放置されてるんだよね。窓から入ろうにも、防護服があると二階以上には中々行きずらいし』

「缶詰めあるよー! 缶詰め!」
 果たして、彼女の推理は合っていた。でかした、と思うと共に、罪悪感も湧いてくる。もちろん、そこに住む人は既に死んでいるか、そうで無くとも放棄している。どうせ使わないなら、有効活用した方がいいだろう、なんて理屈は秀隆の目指す人間像とかけ離れている。
 まぁ、それが朽ちたコンビニやスーパーでハイエナ行為を行うのとどれだけ違うのかと問われても、秀隆は答えを持ち合わせていないのだが。

 しばらくして、蘭子は戻ってきた。ベランダを伝っての登り降りにハラハラしたが、詰まることなく行っていたので、常習犯なのかもしれない。燃えるゴミの袋に、乾麺や缶詰め、タオル、石鹸、衣服に制服などを入れてサンタクロースみたいに後ろに担いでいる。
 蘭子はその全てを丸々秀隆に渡すと、手に腰を当てて言った。
「どう? 役に立つでしょ?」
「まあ」
「素直じゃなーい!」
 秀隆が素直にお礼を言えないのは、自身の中にある罪悪感との葛藤の結果だ。決して事前に色々と言ったから気恥ずかしいとかではない。そうではないと、秀隆は心の中で繰り返す。
 そうしてゴミ袋の中を確認すると、幾つか気になる物があった。
「食糧とってきてくれたのは嬉しいけど、この石鹸とかタオルとかは? あと、制服?」
 タオルは大きめのバスタオルが二枚。制服は近くの私立高校の男子制服だ。もちろん、現在は誰一人として通っていなけれど。
「何言ってるの、清潔感は最重要事項でしょうに。制服は偶々見つけて、背格好的に入りそうかなと。まあ、防護服越しだし、ダメそうなら雑巾にしちゃいなよ」
 古いTシャツとかならまだしも、制服は流石にそんな風にあつかうことに抵抗がある。生地がまず雑巾に向かなそうだが、それ以上に、持ち主を思えばそんなこと出来そうにない。
「じゃあ、あと五、六軒くらい行く? それだけ漁れば、一ヶ月分くらいは持つでしょ」
 蘭子は最初の印象とは裏腹に、そんな献身的な事を言う。また何か、出来の悪い嘘をついてるんじゃないかと疑ってしまう。
「嘘じゃないよ」
 そんな気持ちを見透かしたように、蘭子は言う。
「嘘じゃない」
 さらにもう一度。その瞳は真っ直ぐに、真剣そのものだ。
 秀隆は防護服を着ている。それによって、仕草やアイコンタクトは全く伝わらない。それでも、蘭子は秀隆の疑いを見抜いた。それは彼女が人の心を読めるとか、そういうことでは無い。秀隆は思う。蘭子はきっと、それだけ疑われてきたのだろう。疑われ続けてきた経験が、蘭子の疑念センサーを鋭敏化させているのだ。適応者とはおしなべてそういう立場に晒される。

 例えば、災害の初期では、避難所で一斉に死亡者が出た場合、真っ先に疑われるのは適応者だった。適応者は普段から防護服を着ずに外に出ることができる。その為、外から戻ってきた際に、灰を落とすことを疎かにしてしまうのではないか。なんてことを本気で宣う奴が十人に一人はいた。残りの九人に五人は流れに飲まれて糾弾し、残りの四人は擁護なんてせずに知らんぷりを決め込む。そんな流れが、世界中で起きていた。適応者はその珍しさと、灰で死なないという超特異性を持つが故に一瞬で迫害の対象になった。
 かく言う秀隆も、もしその場にいれば、間違いなく最後の四人に入るだろう。何故なら、適応者がそういう体を隠れ蓑に、集団殺人を行ったケースを知っているからだ。それはよくある悲劇だ。秀隆は偶然、食糧探索のメンバーに選ばれていて、その夜そこに居なかっただけだ。大切だった人たちは他に誰も選ばれていない。防護服を着ていたのは、秀隆だけ。

「いらないよ。これだけあれば十分だ。ありがとう」
 けれど、秀隆がこう言った理由は、目の前の適応者を信じられないからじゃ無い、本当にこれだけで十分だったからだ。
「どうして?」
 蘭子は眉を顰めながら尋ねる。自分が信用されていないと感じたのだろうか。
 秀隆にはまだそれを判断できるだけの材料は無い。だから、それは関係ない。もっと純朴で、どうしようもない理由だ。
「拠点に戻るときに、ちゃんと灰を落とし切れて無かったんだ。俺の命はもって後三日だ」
 だから、これは最後の晩餐のつもりだった。残りの人生、空腹なんて辛すぎる! そう思ったから、秀隆はハイエナ行為に及んだ。今さら無駄だと思いながらも、やっぱり最期くらいはと、そんな気持ちで防護服に袖を通したのだ。


 二人は秀隆が拠点としているホテルに向かった。ホテルを拠点にしていることには理由がある。灰は重力に沿って地面に溜まる一方な為、必然的に高いところの方が灰が少ないのだ。非適応者にとって、それは階段を登り降りする苦痛よりも遥かなメリットになる。火を扱う際には、かなり気を使う必要があるが。
 向かう間、蘭子は押し黙ったままだった。もっと普段通りに、生意気にしてくれれば良いのに。と言っても、秀隆は蘭子の普段を知らない。あくまで知っているのは、先ほどまでの揶揄うような態度だけだ。
 少し気になったので、秀隆はいっそ聞いてみることにした。
「・・・・・・その、蘭子はどうなんだ?」
「・・・・・・どうって?」
 どう、とは。ここまできて、秀隆は詰まってしまう。気遣いな性格が災いしている。どうして一人なんだ? なんて聞ける訳ない。適応者としてどう扱われてきた? これも気にならない訳じゃないが、あまりにもセンシティブだ。しかし既に質問は始めている。今さら引き返せないと思いながら、秀隆はとりあえず、目についたものを聞いた。
「制服。なんで制服なんだ?」
「あー、それ聞くかぁ・・・・・・」
 蘭子は心底嫌そうに呟く。
 まずい、ミスった。秀隆はそう思って別の質問をしようとしたが、先に口を開いたのは蘭子の方だった。
「ま、もうすぐ死ぬ人に聞かれちゃ、ねぇ?」
「ごめん。やっぱり言わなくても・・・・・・」
「あっ、別に重い理由とか全然ないよ。ただ高校生になったから着てるだけー」
 コイツ! と一瞬怒りが湧き上がるが、今はその言い回しの方が気になった。
「高校生になったから?」
「そ。世界が終わったのが、二〇一八年の年末でしょ? 私、その次の年から高校生になるはずだったんだよ」
 蘭子は珍しく感傷的に空を見上げる。青なんて一切ない死の空を。その目には、恨みが籠っているようには見えない。例えるなら、一家で遊びに行く予定が父親の仕事の都合で中止になってしまったみたいな、どうしようも無さに対する落胆の瞳。
「ちなみに、この制服は空き家から盗んだ物だよ。私は受験すらできなかったからね。行きたかったところの制服で、背丈が合うの探すのは結構疲れたよ。あ、あと夏服! 夏服で絞るとさらに大変で」
「どうして夏服?」
 確かに、蘭子は夏服だ。二階のベランダに登れるパワフルな腕は、しかしそうと思えないほど細い。時折りひらりと煽られた半袖の隙間には、日焼けの跡が全く見えない。これも災害によって太陽が塞がれてしまった事の弊害だ。
「やっぱりね、中学三年生としては憧れるんですよ。制服デート。特に夏ね、夏。彼氏と制服でシーに行きたかったなぁ」
「は、はぁ」
 それは秀隆にはよく分からない価値観だった。秀隆は、中学卒業と同時に働きに出て、そこから五年が経過している。当時の高校生を羨んでいた感情は、中卒の逆境ゆえの荒波に消し飛ばされた。もちろん、それが自らの選択であるかと問われれば、一考の余地はある。世の中にはどうしようもない事というのが、存外多く含まれているものだ。それこそ、灰を降らすあの雲のように。
 そして蘭子は完全に自分の世界に入ってしまった。決定的な事実を忘れて、ついいつもの悪い冗談を言ってしまう。
「秀隆さん、さっきの制服・・・・・・あっ、いや、違います。何でもないです」
 その言葉はきちんと秀隆の耳に届いた。途中で止めてももう遅い。
 秀隆は高校生を知らない。彼女が高校生だと分かったのは、職場の近くの高校と同じ制服だったからだ。そんな彼だからこそ、蘭子の提案が魅力的に感じてしまう。かつて秀隆の感情を飲んだ社会の荒波は、しかし今は凪いでいる。間も無く、感情が水面に浮上する。憧れは水よりも密度が小さいらしい。
「いいよ、やろう。制服デート。もちろん、俺でよければだけど」
「いや、でも」
「蘭子の為じゃない。それを聞いて、俺がどうしようもなくやりたくなっただけだ。それに、残り三日が残り一日になったって、なんて事ないさ」
 本当に、なんて事はない。本当に。これは自殺願望でも希死念慮でも無い。ただ世界の終わりに立っているのなら、自分の命が縮むよりもさっき聞いたばかりの制服デートの方が優先されるというだけの話だ。
 世界の終わりとはそういう事だ。文明が崩壊し、価値観が崩壊し、そのひび割れの隙間にはあらゆる願望が入り込める。それは最後の晩餐だったり、行きたかった高校の制服を着てみたり。あるいは、大量殺人であったり。
 全員同じ穴の狢だ。世界が終わったのに終わり損なった、この降り積もる灰よりも灰らしい燃え滓たち。だから秀隆は、この生存レースのトロフィーはいらない。同級生や同僚から貰うトロフィーなんてネタにしかならない。

 蘭子は少し迷って、しかしそれを了承した。蘭子もまた燃え滓の一人だ。結局、他人を気遣う倫理観よりも制服デートの方が優先される。仕方がない、世界の終わりとはそういうものだ。
「・・・・・・分かった。じゃあせめてデート中に死なないでね」
 その言葉が文明の残した最後の抵抗だったのかもしれない。

 
 秀隆はホテルのエントランスに立って、少し草臥れた制服に身を包んでいる。もちろん夏服。半袖から伸びる二の腕は、久しぶりに外に晒したからか、悲鳴にも似た鳥肌を立てている。背丈はぴったり合っているが、高校生としては少し年齢がズレるので、そこだけがネックだ。蘭子に笑われないだろうか。
 そして扉から外へ出る。外では蘭子が待っている。よく似合う夏服で待っている。
「お待たせ」
「全然待ってないよ」
 そんな月並みな事を言い合ってみる。これは流石にくすぐったい。
「結構、似合ってるじゃん」
 蘭子のその言葉に心がときめく。なんていい気分だ。こんな一日を過ごせるのなら、世界の終わりも悪くない。
 

5/28/2023, 7:16:29 PM