『ティーカップ』
すっかり風が運ぶ空気も冷たくなり、木々の葉が暖色に染まりきった11月。
昨日から、俺の通う大学では文化祭が始まっている。
俺の所属する文芸サークルでは、なにを血迷ったか、男女逆転喫茶をしていた。
女性陣は執事、男性陣はメイドの格好をして来客であるご主人様を出迎える。
どれだけ策を練っても、所詮は模擬店だ。
市販品のメニューや使い捨ての食器で見てくれに限界はある。
しかし、文芸サークルだけあってコンセプトやメニュー表、メニューのネーミング、お約束の唱和や呪文などは凝っていた。
「ねぇ!? エグいカップルがきたっ」
「えっ!? どこ!?」
「青薔薇テーブルっ! 男も女もビジュ強すぎるっ」
「うわ、ガチじゃん」
大雑把にパーテーションで区切られた舞台裏にも関わらず、キャアキャアとタキシード姿の女性陣が浮き足だった声をあげる。
休憩場所としても使われているのか、意外にも賑わいを見せている店内は、幸いにも女性陣の声をかき消した。
「その青薔薇のご主人様のオーダー、用意できてるよ?」
「あ! いいところに。お願いしてもいい?」
「え、俺が行くの?」
「男のほうがエモすぎて無理。直視できない」
「そんなに?」
女性陣が騒いでいた美男美女とやらがどんなものか、好奇心が疼く。
とはいえ、男女逆転喫茶ということで俺も例外なくメイド服を着させられていた。
うまいことはぐらかそうとしたが、先を打たれる。
「表に出ないようにコソコソしてるの、バレてるから」
「……わかった」
痛いところを突かれた俺は、意を決してフロアに出た。
「お待たせいたしました。青薔薇のご主人様♡ お嬢さま♡」
……って、あん?
美男美女とやらの人物を確認して接客どころではなくなる。
俺を見上げた彼女らは、ふたり仲良く同時に口を開いた。
「ちょっと。このメイドさん、顔ヤバすぎ」
「わ。ホントにメイドさんのカッコしてる」
男のほうを見て顔をしかめる。
彼は中学の頃からの腐れ縁だ。
人脈も広いから、俺がメイドのコスプレをするという情報をどこからか仕入れてきたのだろう。
そういやコイツ、顔面偏差値だけはよかったな?
一緒になって座っている女性が、世界一かわいいと裏で騒がれたことには合点がいった。
俺の人生をとち狂わせた最高で最強で最愛の推しなのだから、当たり前である。
「メイドさーん。コレ、おまじないかけてよ」
ケラケラと楽しそうに煽る悪友は完全に確信犯だ。
「チッ」
過去イチデカい舌打ちをかまして無視しようとしたが、推しが期待の眼差しできゅるきゅるとかわいく俺を見つめている。
かわいいな?
俺は全力でメニューが美味しくなる魔法をかけた。
……それはそれとして、だ。
誰と誰がカップルだって?
*
男女逆転喫茶で悪友から彼女を奪い取ったあと、彼女と模擬店や展示会を回る。
後夜祭も打ち上げも全て断り、彼女の自宅へ押し入った。
キッチン戸棚で眠っていたティーセットを取り出し、我がもの顔で彼女に紅茶を用意する。
リビングのソファに座っている彼女に、メイド喫茶馴染みの言葉で声をかけた。
「お嬢様。お待たせいたしました」
真っ白な陶器がレースとエッジで繊細な陰影で織りなしているティーカップは、エレガントで上品なデザインだ。
スーパーで買った安価な紅茶のティーバッグも、このティーカップひとつで見栄えが一段階上がる。
薄くスライスしたレモンと角砂糖をひとつ添えれば完璧だ。
ティーカップから立ちのぼる湯気をレモンで塞ぎ、香りを紅茶に移す。
鮮やかな夕焼け色の水色を揺らす優雅な所作に目を奪われた。
「まだ怒ってるの?」
ため息混じりのその言葉とともに、彼女は角砂糖をティーカップに沈めた。
「怒るもなにも、とっ捕まったって自分で言ってたじゃないですか」
「そこの認識は疑ってないんだ?」
カップルだなんだと騒いだのは周りであって彼女たちではない。
ふたりは通っていた高校が同じで、先輩後輩の関係だ。
そこそこ交友があったのも知っている。
多少の気心も知れていることに加えて、俺という共通の話題に気が緩んだのだろう。
彼女の押しの弱さと対応力の低さでは、ヤツを捌くことは難しいはずだ。
「先に約束していたのは俺でしょう?」
「ん。れーじくんだけ」
あざとさしかない言い方に、簡単に絆されかける俺も大概である。
「……なら、なんでそんなに不機嫌なの?」
追い打ちをかけられ、俺はあっさり降参した。
「いや、だって。女装姿を見られるとか恥ずかしいじゃないですか」
あらかじめ、彼女と落ち合うための待ち合わせ時間と場所は決めていた。
俺の所属するサークルで喫茶店の出し物をすることも伝えたから、彼女は興味本位で覗きにきたのだろう。
ごまかせば逆に興味を煽るだけかと思い、男女逆転というコンセプトのみ伏せたが意味がなかった。
彼女に女装姿を見られるとか恥でしかない。
「え?」
大きな目を丸々とさせた彼女が、意外そうに首を傾げた。
「恥ずかしいとか、そういう感情あるんだ?」
「俺をなんだと思ってるんですか……」
間の抜けた声音に、ガックリと項垂れる。
メイド服は全然似合わないし、図体のデカさも手伝って完全にネタ枠にされたのだ。
そんな姿を率先して好きな人に見せようとは、少なくとも俺は思えない。
「かわいかったけどな」
正気か?
ボソッと呟いた彼女の言葉に耳を疑う。
「れーじくんが私のこと『かわいい』って連呼する気持ちが少しわかったというか……」
「ちょっ!? まっ!?」
その扉は厳重に閉じておけっ!?
そわそわと落ち着きをなくした彼女の隣に、俺は慌てて腰を下ろす。
ティーカップに残っている紅茶の水面が、激しく揺れた。
11/12/2025, 7:16:05 AM