余・白

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-さよならは、なしにして- 余白


微熱が出たような温度のまま、あなたを忘れて行った。


「その人とはその後、どうなったの?」

何気ない会話の中で突然出たあの人の話に、動揺をしなかったのはなぜだろう。
私はきっとまだあの人を愛しているし忘れているわけもないのに、そう思いながらドロドロに溶けたホイップクリームを見つめていた。

目の前に座る現在の恋人は特段気にしているという様子もなく、私が過去一番好きだったと断言する昔の恋人についての話を続けた。
捨てる事を諦めてしまった
あの人に対する微熱のようななまあたたかい愛情は、今や私の一部となっていた。

「タイミングが、悪かったのかな。
ちゃんと好きだったんだけどね、私が誤解を与えちゃったのかな。」

浅はかな言葉たちが溢れていく。そんな自分に少しの落胆を覚えながら、動揺を隠すためにコップに手をかけた。
期間限定のいちごミルフィーユミルクティーは甘くてくどい。まるであの人に対する当時の自分の感情のようだと思った。

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「それカロリーやばいでしょ?」
いかにもイタズラ好きといった笑顔で、あの人ならそう言うだろう。
いちごソースの塊を流し込みながら、記憶の中のあの人の輪郭をなぞった。


世界で一番愛していたあの人は、四年前の十二月忽然と姿を消した。
理由は今だに、わかっていない。
警察から電話が来た時のあの衝撃と恐怖を、昨日のことのように思い出す。
力なく帰った帰りの道で、胃の中の全てを吐きそうになったことも、寒くもないのに手の震えが止まらなかったことも覚えている。
当然ながらその日はパニックに陥り、すんなり帰宅することできなかった。
一人でカラオケに行き、歌いながら少し泣いたりしてみた。

それでも次の日の朝には、せっかくの休みだというのに七時に起きて皮膚科へ向かった。
いらないところでいい子を発動するその癖は、治し難い私の嫌な癖だった。

やけ酒を飲んだあげく友達の家に押しかけ朝まで泣いたり、しばらく仕事を休んで引き篭もってみたり。そんな風に自分の感情に素直になれたらどんなに楽だろう。

「嫌いだなぁ」

一人カラオケの帰り道、信号待ちの交差点で一人呟いた。ポケットに手を入れていないと寒さで痛くて、ただそれだけのことで私は一人なんだと実感してしまう。
愛している人に立ち去られた時でさえある程度の客観性と冷静さを保つ自分を心底気持ち悪いと思った。


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「そっか。それは残念だったね」

目の前に座っている現在の恋人は、淡白かつ少しの残念さを帯びた丁度の良い声で私に返事をした、
あぁ、この人のこういうところがいつも私を救う。
暖色のライトがつくカフェの店内で私は途端に安心感を覚えた。
いつも幸福感と安らぎをくれる、この人はそういう人だった。

あの人がいなくなって憔悴していた頃、この人に出会った。気が紛れればいい、そう思って何気なく話したあの日の電話で、私達は妙に意気投合した。

話せば話すほど気分は明るくなり、
気づけばどんな重たい話でさえも、口からすんなりと溢れていった。あの人の前では勇気を振り絞らなきゃいえなかった本音や願望が、この人の前だと驚くほど自然に口から出ていった。

その人といる自分が好きかどうかが大事である、と誰かが言った。納得はするものの、同時に
その人といる時の自分が好きでなくても会いたくなることもまた恋である、と私は考えていた。


あの人との恋は、お互いを傷つける恋であった。
刺激的である種の熱烈さを帯びたその恋は、幸せと同じくらいの分量の痛みと切なさを帯びていた。

この人との恋はまるで温泉のようであった。
体の芯からポカポカと温まり、気づけば自然体で安らぐ私がいた。いつもそこにあるのは、安心感と楽しさで、そこには地味だが小さな幸福と安らぎがあった。

「君は本当によく笑うね」
甘ったるいミルクティーを飲み終わって笑う私を見てこの人が言った。
その顔にあの人を輪郭を重ねてみる。

あぁ、私は彼をちゃんと愛していた。
その確信と同時に、今ここにある幸せを実感する。
私はこの人と生きていくんだ、この人を愛し愛されながら。
よく笑う恋人の顔を見つめながら、胸の中が幸福で満たされていくのを感じた。

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「甘えるのは苦手でしょ?」

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ふと、あの人の声が聞こえた気がした。
大好きな、忘れることのないあの人の声。


あなたには甘えられなかったけれど、甘えたいと思う人に出会えたよ。
あなたのことを愛していたの。


今でもずっと胸にある、微熱のような温度の愛情を感じながら最後の一口を飲んだ。
やっぱり甘ったるくて、もう頼まないなとそう思う。
でもこの味をきっと私はずっと覚えているだろう。

十二月の風刺すような寒さで、急いでコートのポケットに手をしまう。

「今年はちゃんと春が来るかなー」

「え、どういう意味?いつもちゃんと来てるでしょ?」
楽しそうに笑うこの人を見ながら、つられて私も笑っていた。
冬がまた好きになれればいい、あの人がいなくなるまでは一番好きな季節だった。
十二月の風も悪くない、頬を掠めていく風に少しの愛着を感じた。

見上げれば空は雲ひとつない快晴で、
大好きだったあなたの横顔を思い出しながら、あなたが笑顔でいればいい。そう思った。

ー終ー

11/26/2024, 11:45:41 PM