sairo

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教会の鐘が鳴り響く。
青空の下。教会の前で、花嫁と花婿が幸せそうに寄り添っていた。
一際高い歓声が上がった。花嫁がブーケを投げたのだろう。
誰もが笑顔を浮かべている。幸せそうに、楽しそうに。二人の結婚式を、心から祝っている。
思わず目を背けた。唇を噛みしめて、漏れ出そうになる恨み言を噛み殺す。
今更だ。すでに指輪の交換も、誓いの口づけも終わり、二人は夫婦になったのだ。どう足掻いても、すべて手遅れだ。
それでも。届かないと分かっていても、諦められなかった。今ここで手を伸ばしたら。名前を呼んだら、もしかすれば花婿の手を振り払って、こちらに駆け寄ってきてくれるのではないだろうか。
そんな夢見がちな考えに、一人笑う。
現実ではない。確かにそうだ。普段あれだけ聞こえている〝聲《こえ》〟が、今は一つも聞こえないのだから。
教会の鐘が鳴り響く。大勢の笑い声が、歓声が聞こえてくる。
でも〝聲〟は聞こえない。とても静かだ。

ならばこれは、夢でしかないのだろう。





「おはよう。あの、ね……」
「悪い。後にしてくれ」
「あ。ごめん」

机に伏して眠り出す彼に、目を伏せる。
溜息を吐かないように口を強く閉じる。不自然にならないように気をつけながら、それでも足早に教室を出た。
僅かに滲み始めた視界に、慌てて目元を拭う。一度拒絶されたくらいで落ち込む自分が情けない。
そもそも、最初から彼は私が言おうとした事全部を知っているのだ。人の考えや思いを〝聲〟として覚《さと》れる彼には、声をかける前から言いたい事は伝わっていたのだろう。いつもならば理由を言って断ってくれるのが、今回は何も言わず完全に拒否された。つまりは、それだけこの誘いが嫌だったという事なのだろう。
手にした封筒に視線を落とす。従姉妹から送られてきた結婚式の招待状。友達や彼氏を誘っておいでと書かれたそれに、欲が出たのが良くなかったのだ。
結婚式に、彼と一緒に参加できたなら。神聖な場所で、私とよく似た従姉妹のウェディングドレス姿を彼が見たら。
もしかしたら、彼が意識してくれるのではと思ってしまった。そんな浅はかな気持ちなど、最初から彼には筒抜けだというのに。
届かないものに手を伸ばしている。こうして彼の側にいられるだけで幸せなのに、もっともっとと求めすぎている。
それが、彼には負担だったのだろう。
小さく溜息を吐く。このまま廊下に立っている訳にもいかないが、教室も戻る勇気もない。
午後の授業が始まるまで、まだ時間がある。どこかで時間を潰すため歩き出そうとしたその時、委員会の後輩がこちらに近づいてくるのが見えた。

「先輩!ちょうど良かった。少しだけいいですか?」

委員会で何かあっただろうか。
普段と違い、どこか緊張している後輩に、大丈夫だと頷く。少しでも落ち着いてもらいたくて笑いかければ、後輩も堅い表情をほんの少し崩して笑った。

「えっと、お話したい事があって。それで」
「優花《ゆうか》」

後輩の言葉を遮るように、教室から出てきた彼に呼ばれて振り返る。

「結婚式の事だけどさ」

そう言いながら、彼は私の腕を引く。
ひゅう、と教室内からの冷やかす声に、遅れて抱き寄せられたのだと気づいた。

「え……;ぁ、え?」
「け、結婚式!?」

後輩とほぼ同時に声が上がる。じわじわと熱くなる頬に気づいているのに、気づかない振りをして彼は繰り返す。

「だから、今度の結婚式の事だよ。お前が言ったんだろ」

言ってはいない。いないはずだ。
だというのに、彼は柔らかく笑う。優しく髪を撫でられて、益々顔に熱を持つ。
周りの好奇の視線に、恥ずかしくて目眩がしそうだ。

「今更恥ずかしがる仲じゃないだろ。いい加減に慣れろって」
「な、慣れるって……そんなの、無理っ」
「まったく……そんな所も可愛いけど」
「し、失礼しましたっ!」

慌てたように悲鳴に似た叫びに、後輩の目の前である事に気づく。言い訳をしようにも、後輩は既に走り去っていて。
呆然と後輩の去った方向を見ていれば、背後の彼が小さく息を吐いたのが聞こえた。

「――ようやくいなくなったか」

体は離されたが、それを寂しいと感じる間もなく手を繋がれる。後輩が去った方とは真逆の方向へと歩き出す彼に、意味が分からず慌てて声をかけた。

「ちょっ、ちょっと!急に、なに」
「場所を移すぞ。別に俺はここでもいいけど、お前がまた恥ずかしさで倒れられても困るしな」

いつかの彼の告白に、意識を失ってしまった事を言っているのだろう。と言う事は、あの時に近い話をされるのか。
少しの怯えと隠し切れない期待を抱きながら、おとなしく彼についていく。彼はそれ以上何も言わず、使っていない空き教室に入り込むと繋いだ手を離して座り込んだ。
促されて、同じように隣に座り込む。

「まず言っておく。俺はお前の従姉妹の結婚式には行かない」

真っ直ぐにそう告げられて、ずきりと胸が痛んだ。
分かっていた事。それでも僅かな期待を寄せて、勝手に傷ついている自分自身に苦笑する。

「お前の従姉妹は、お前とそっくりなんだろ?なら、お前と知らない男の結婚式を見ている気になるだろうから、行きたくない」
「――え?」

思っていたのとは違う理由に、思わず目を瞬いた。
私と、知らない男の人の結婚式。それを見るのが嫌だというのなら、それはつまり――。

「でもどうしても来て欲しいなら、条件をつける……優花はどんな条件がいい?」
「条件、って……例えば?」

彼の言いたい事が理解できない。
見たくないから、行きたくない。けれど条件を付けるなら行く。そして今はその条件を聞かれている。
彼は、何を期待しているのだろう。

「そうだな……俺としては、優花のご両親に挨拶させてもらうとか?それとも結婚式が終わった後で、必ず俺に告白をするとか?」
「待ってっ……待って、それって」
「俺との将来を約束するってなら、何でもいいや。それが条件」

顔が熱い。頭がくらくらする。
彼との将来。つまりは、私が密かに望んでいた。
これは夢だろうか。届かないのに手を伸ばし続けている私にとっての都合のいい、そんな甘い夢かもしれない。

「これは夢じゃない。しっかりとお前の〝聲〟が聞こえてるし、さっきの勘違い野郎の〝聲〟も聞こえた。紛れもない現実だ」

彼が笑って、これは現実だと突きつける。泣きたい気持ちで彼を見れば、宥めるように頭を撫でられた。

「で?条件はどうする?特別に決めさせてやる」

撫でる手つきは優しいのに、言葉は全然優しくない。
色々な事が起きすぎて、どうしたらいいのか分からない。感情が追いつかなくて、たくさんの事を考えすぎて、呼吸がうまく出来なくなっていく。
視界が滲み、くらりと世界が回った気がした。

「っおい。やっぱりこうなるか」

遠くで彼の呆れた声が聞こえた。温かな何かに包まれて、段々と意識が落ちていく。

結婚式。条件。
両親に挨拶。

ぼんやりとした意識の片隅で。
彼の両親はどんな人だろうか。私を受け入れてくれるだろうか、と。
見当違いな事を考えていた。



20250617 『届かないのに』

6/18/2025, 11:12:04 AM