「綺麗。」
思わず口に出た。夜の海は、彼女みたいだった。
「これからよろしくお願いします。」
二学期が始まる頃に、彼女は転校してきた。彼女は美しかった。まるで絵画から飛び出てきたようだった。きっとこの日、僕の心は彼女に奪われた。
「ちょっと、貴方!なんてものを書いてるの!?」
美術の授業中、先生の怒号が響いた。その矛先は、彼女にだった。しかし当本人は、不思議そうに笑っていた。
「何って、桜の木ですよ?」
「そうじゃなくて!桜の木の下に死体がある事よ!」
確かに、彼女の絵には美しい桜の木と、死体が一つ描かれていた。しかし、不気味さはなかった。
「だって先生。桜の木の下に死体はあるものですよ。」
彼女は終始、笑っていた。その顔は、不気味だと思った。
この一件から、彼女は魔女と呼ばれるようになった。
しかしそんな魔女は、事故に遭い呆気なく死んだ。
彼女の命日から、早五年。僕の心は未だに彼女のものだ。我ながら女々しい。いや、違うな。きっとこれは後悔によるものだ。恋心じゃない。だって僕は、まだ彼女の化けの皮を剥がせていない。
『桜の木の下に死体はあるもの。』
綺麗なものには、それ相応の秘密があるのだ。それならば誰よりも美しい彼女にもあるはずだ。僕はそれが知りたかった。しかし、知ることはなかった。彼女は死んだから。それが悔しいのだ。
「海にも、秘密があるのかな。」
ふっと思った。目の前には、夜の海があった。きっとこの広大な海には、未知数に秘密がある。それは美しく、時に不気味な秘密だろう。彼女のように。
「綺麗。」
小さく呟く。しかしこんな言葉は、夜の海の黒さに消えていった。
8/16/2024, 2:22:57 AM